第20-4話 いつか去るもの

 ダイニングに案内されて座っていると、ほどなくしてリエーフさんが湯気の立つ料理を運んでくる。いい匂いが鼻孔をくすぐり、空っぽの胃を刺激する。

 しかし、次々に目の前に並んでいく料理にたちまち頭の中は疑問符でいっぱいになった。

 

「ええと……こんな短時間で、一体どうやって作ったんですか?」

「歳の功でございます」


 唇に人差し指を当て、リエーフさんがにっこり笑う。いや年季でどうなるものでもないと思うのだけど……まあいいや。今はそれより腹ペコだ。空腹を満たす方が先である。

 夢中で料理をかきこんでいると、リエーフさんがデザートを運んでくる。焼き立てならまだしも、よく冷えたプリンに一度は引っ込んだ疑問がまたむくむくと蘇るが……まあ、もう何も言うまい。どうせはぐらかされる。ミハイルさんも、何事もなく食べているし。

 ……それにしても。


「ライサはどうして、ミハイルさんにあんなに突っかかるんでしょうね」


 せっかく一緒に食べているので、何とはなしにミハイルさんに話しかけてみる。ここに来てからいつも一人で食べていたので、久々の誰かと一緒に食べるご飯にちょっと気分が浮いていた。問うと、ミハイルさんは手にしたスプーンを遊ばせてつまらなそうに答えた。


「さあな。だが別にあいつだけじゃない。屋敷の幽霊どもは、大体俺を目の敵にしてる」

「そんなことは……ないと思いますけど」

「そこにいるそいつもな」


 スプーンを置いて、ミハイルさんが横に視線を向ける。それを受けても怯むことなく、リエーフさんはにこにこしている。


「これは異なことを。それよりも、これからはご一緒にお食事をなさってはいかがでしょうか」

「話を逸らすのが何よりの証拠だろうが」

「坊ちゃんのことを心配しているのです。人の短い終生とはいえ、お一人で過ごすにはいささか長いと存じます」

「お前は単に、屋敷が潰れたら困るだけだろう」

「ずいぶん捻くれてお育ちになったものですね」

「お前に育てられたからな」


 デザートには手をつけないままミハイルさんが席を立つ。それを見て、つい口を挟んでしまった。


「あの、もしミハイルさんさえ迷惑でないのなら、私はそうしたいです」


 ぱぁっとリエーフさんが顔を輝かせるのを見て、ミハイルさんは顔をしかめたが。


「別に……迷惑ではない」


 余計なことを言ってしまったかもしれないと不安になっていたので、答えを聞いてほっとする。


「よかった。リエーフさんのご飯はおいしいけど、一人で食べるのは少し寂しかったんです。リエーフさんは一緒に食べてくれないし」

「わたくし、食事は特に必要としておりませんので。このお屋敷で食事を召しあがるのは坊ちゃんとミオさんだけなんですから、ええ、はい、けっしてけして他意などございませんよ。ご一緒に召し上がって頂けた方がわたくしも給仕が楽ですので、はい」

「他意しかない言い回しをするのはやめろ」


 置いてあったナイフをリエーフさんに突き付けて、ミハイルさんが唸る。


「ミハイルさん、いちいち構うのはやめてデザート食べましょう?」

「わあ、ミオさんけっこうキツイですね」


 降参するように両手を上げながら、リエーフさんがなぜか嬉しそうに言う。


「そのくらいの方が当家の花嫁には相応しいかと思うのですが、どうでしょう坊ちゃん」

「やかましい、茶を淹れてこい」

「はあい」


 すげなく言われたにもかかわらず、いそいそとリエーフさんが退散していく。扉が閉まるのを見て、ミハイルさんは眉間に皺を刻みながら椅子へと体を戻した。


「……すまん。気にしないでくれ」

「はあ、なんかもう慣れました」

「ならいいが……」


 それきり彼が沈黙したので、場は食器の触れ合う音しかしなくなる。先に食べ終えてしまったので他にすることもなく、向かいに座るミハイルさんをじっと眺める。

 一緒に食事をしてみて気付いたけど、この人所作はとても綺麗だ。多少失礼だけど見た目も悪くないし、幽霊屋敷とはいえ伯爵家なら地位もあるんだろうし、黙っていればモテるだろうにな。

 リエーフさんが心配するのもわからなくはない気がする。


「……なんだ」

「いえ、何も」

「言いたいことがあるなら言ったらどうだ」


 その物言いが、空気をギスギスさせる原因なのだと思うけど。さすがの私も直球でそれは言えないので、変わりに違うことを口にする。気になっていたことは他にもある。


「じゃあ……言いますけど。あの女って誰ですか?」

「うぐっ」


 変な声をあげてミハイルさんが咽る。珍しい、動揺してる。

 ……聞いておいてなんだけど、大体察しはついている。


「おい、リエーフ! さっさと茶を持ってこい!」


 扉に向かってミハイルさんが咳き込みながら叫ぶが、リエーフさんが戻ってくる気配はない。お茶を淹れにいっただけにしては遅すぎる。当分戻ってこないつもりな気がする。

 思わぬところで仕返しができた。けど……思ったほど気が晴れないな。


 このいつも不機嫌で失礼な人が、デレデレニコニコしながら女の人と並んで料理していたと思うと……やっぱり全然想像できない。


「きれいな人でした?」

「は? まあお前よりは」

「失礼すぎませんか」

「冗談だ。怒るな」

「別に怒ってませんよ。……そりゃそうでしょうね」


 ふう、と息を吐く。

 やっぱり、その人って、たぶん。


「……婚約者、でしょう?」

「そうだが、本当に冗談だ。もう顔なんかろくに覚えてない」

「嘘ばっかり。ライサがデレデレだったって言ってましたよ」

「誰が……」


 てっきり焦るかと思ったのに、気のない声でミハイルさんが答える。その言葉が途中で消える。


「なんだ、妬いてるのか」

「だっ、誰が!」


 思わず立ち上がって叫ぶと、今まで無表情だったミハイルさんが突然ぶっと吹き出した。


「はははっ。だから冗談だ」


 ついポカンとしてしまう。

 ミハイルさんが、こんな、笑い声を上げて楽しそうに笑うのなんて見たことなくて。

 つい呆然と見とれた。でもそれがバレないうちには目を逸らす。


「お前といると気楽だ。どうせお前はいつかここを出ていくからな」


 デザートをつつきながら、ミハイルさんがそんなことを言う。なんと答えたらいいのかわからず、黙って水が入ったグラスに口をつける。

 私は別に……、ここが嫌だから出ていきたいわけではないのだけど。ミハイルさんにとっては、どちらも同じことか。


「責めているわけじゃない。……昔、屋敷から誰もいなくなったとき、リエーフには随分小言を食らった」


 そこで一度言葉を切ると、どこか自嘲的に目を伏せて、彼は先を続けた。


「……去られないよう必死だった。楽しかろうが楽しくなかろうが笑っていたさ。それでも去る者を引き止めてどうする。だが、リエーフに言わせれば、それも俺の努力が足らんらしい」


 ライサがデレデレしていると言ったのは、ミハイルさんがそうやって必死に笑ってた姿か……だったらやっぱり見たくないな。


「不器用でも無愛想でも失礼でも、それがミハイルさんじゃないですか。その人もきっと、無理をして欲しくなかったんだと思います」

「さらっと貶すな」

「あ……そんなつもりじゃ。そのままでいいという意味で……」


 ジロリと睨まれて、慌てて言い訳をする。そんな私を見て、ミハイルさんは溜め息混じりの声を上げた。


「違うな。俺の力と呪印が受け付けないという理由だった」

「そんな……、そんなのミハイルさんのせいじゃないじゃないですか」

「そうだが、無理もない。伯爵家の花嫁ならば跡継ぎを作る義務がある。自分の子が俺のようになることを考えれば容易い決断ではないだろう……、先代夫人も覚悟していただろうが、実際に俺を受け入れることはなかった」


 先代夫人ということは、ミハイルさんのお母さん……ってことだよね。ライサも言っていた。ミハイルさんのお母さんは、心を病んでしまったと。


 どうして、それを、そんな何でもないことのように言えるんだろう。


  ……いや、違う。

 何でもないことのように思わないと、辛くなるから。


「辛い気持ちに蓋をしなければ動けないときがある。でもそれだけでは動けなくなる。泣きたいときは泣いた方がいい……って。教えてくれた人がいます」


 気が付けば、言葉が零れていた。


「ミハイルさんは相手のことばかり考えすぎです。自分のことも考えてあげて下さい」


 あのとき、本当に救われたから。

 この世界に来てからのことだけじゃない。今までそんな風に言ってくれた人なんていなかった。


「泣いてもいいですよ。今なら誰もいませんし」


 結局リエーフさんは戻ってこないし。幽霊たちの気配もない。だけどミハイルさんは首を振った。


「やめておく。一番見られたくないやつがいるからな」


 空になったお皿にスプーンを置き、ミハイルさんが呟く。


「あとで何を言われるかわかったものじゃない」

「言いませんよ、ミハイルさんじゃないんですから」

「ほらみろ、既に口が減らん。……だから」


 睨まれて慌てて口元を押さえ、言葉を継いだミハイルさんの、その先を待つ。


「……お前がいなくなったらそうする」

「私、そんなに信用ないですか?」


 ふっ、と曖昧にミハイルさんが笑う。だがそれもすぐに消して。


「さて、話は終わりだ。リエーフを引きずってくる。そろそろ茶が飲みたい」

「はい」


 いつもの仏頂面に戻ったミハイルさんが席を立つ。だけど、今ならわかる。


 その不機嫌そうな顔が、少しだけ……穏やかなのが。

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