第二部 死霊使いの花嫁

プロローグ

 遠くでサイレンの音がする。



 目の前は真っ暗。

 ふわふわと、夢の中を漂っているかのよう。

 いつから、どのくらい、そうしていたのか。ふと呼ぶ声がして、「私」は目を開ける。



「お目覚めでしょうか、奥様」



 視界に飛び込んできたのは、長い銀髪をきっちりと束ねた燕尾服の青年だった。寝起きの、ぼんやりした頭でもわかるくらいの美青年。耳に滑り込んできた穏やかな声を、頭の中で何度か復唱して。そして、起き上がる。


「……奥様?」


 今、そう聞こえた気がしたんだけれど。私の他に誰かいるのかと辺りを見回せど、誰もいない。


「貴女様のことでございますが」

「私、結婚した覚えはないんですけど。それに……ここ、どこですか?」

「覚えておられないのですか?」


 燕尾服の青年が、綺麗な形の眉を顰める。

 覚えていないもなにも。


 私の名は白石澪しらいしみお。ごく普通の一般人。

 家事代行サービスの仕事をしていて、今日も、仕事に行こうとして……、でも、その後のことが思い出せない。


 耳に残っているのはサイレンの音。思い出そうとすると出てくるのは真っ暗闇。

 それでも、それでも。

 こんなお屋敷で、こんな執事風の人物に、奥様とか呼ばれるような覚えは一つもない。結婚どころか、恋人だっていたことないのに。


「あの……、驚かないで聞いて下さいね?」


 考え込む私の顔を覗き込むようにして、青年がおずおずと声を上げる。


「多分、貴女はその……お亡くなりになられたと思われます」

「……は?」


 驚かないでと言われても、驚くほどにも現実感のない言葉が聞こえて、思わず間の抜けた声を出してしまった。慌てて咳払いする。


 お亡くなりに? なら、今、ここにいる私は何?

 そんな私の疑問を察してくれたのか、青年が言葉を継ぐ。


「諸事情がありまして、当家には死人がよく集まります」

「ま、待って。ちょっと待って下さい。ちょっと、理解が追いつきません」

「すぐにご理解いただくのは難しいと思いますが……、どのくらい待てばよろしいでしょうか」


 少し困ったような顔で問われ、私も困った。

 何がって、どれだけ待ってもらっても理解できそうにない。


「……理解に時間が掛かりそうなので、先にお話だけ最後まで聞かせてもらってもいいでしょうか」

「相変わらず冷静な方です」


 美しい微笑みを浮かべながら、青年が呟く。……相変わらず?


「貴女がこちらにいらしたときは魂だけでした。わたくしの主人が少々特殊な力を持っておりまして、その魂を元に貴女をこちらの世界に転生させたのでございます」


 そんな夢物語のようなことがあるのだろうか。

 ないに決まっているのだけど、実際今私は見覚えのない場所にいる。その事実だけは認めねばならないことだった。夢にしては、あまりにも全てがはっきりしすぎていて。


「あの、貴方のご主人様は、魔法使いか何かですか?」

「いいえ、死霊使いでございます」


 思わず出た皮肉は皮肉ともとられずに、けろっとした顔で青年が答える。


「死霊……」


 どうせ夢物語なら。

 王子様とか、賢者様とか、高名な大魔法使いとかにしてほしかった。

 ……物騒すぎる。


「と言いましても、死人の魂を転生させるなどということ、本来はできることではありません。それができたのはひとえに」


 そこで彼は言葉を切った。たっぷりタメを挟んでから、すぅと息を吸い込み、満面の笑顔で。




「貴女様が当家の花嫁であり、旦那様と一心同体であるからこそなのですよ!」




 何が何だかわからないけど。

 ごく普通の人生を送っていた私は突然その人生を終わらされ。

 わけもわからず見ず知らずの人に嫁いだことになったらしい。

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