第39話 命を一つ

 今まで聞いた中で、一番不機嫌な声だった。


 光を裂いて、闇が現れる。突如として場に現れたミハイルさんが、その言葉も終わらぬうちに賢者の胸倉を掴み上げると、拳を振り被った。


「どけ!!」


 だがそれが届く前に、賢者の姿はフッと掻き消えた。そして、少し離れた場所に姿を現す。そこからこちらを見る表情には、驚きがあった。


「お前、今どうやって現れた。魔法を使った気配がしなかったぞ……」


 私も驚いた。


「どうして……?」

「屋敷の者は俺が喚べば来るし、逆に俺を喚ぶこともできる」


 確かに、アラムさんに襲われたとき、ライサが呼んだらすぐに現れていたけれど。


「でも私は屋敷の住人じゃない」

「その指輪は使用者を霊体に近づけ、当主の力の影響下に置くものだ。文句を言うなよ。認めろと言ったのはお前……」


 私を抱え起こして、ミハイルさんがふと言葉を止める。そして、片手で私の頬の撫でた。その手が、私の血で汚れる。


「おい、お前。無視するなよ」


 不満そうな賢者の声に、彼は――携えていたナイフを抜いた。


「何? やる気?」


 余裕の笑みを讃えたままで、賢者が身構える。しかし、彼はそのナイフを賢者に向けることはなく……自分の手首に当てがった。賢者が呆気に取られたように、それを眺める。


 止める暇もなかった。ミハイルさんが血が滴る自らの手を翳す。


『捉えよ!』


 その血は緋色の刃と化し、賢者めがけて奔って行く。


「なんだそれ……」


おぞましそうな顔で、賢者が目の前に手を突き出す。すると刃は見えない壁にでもぶつかったかのように砕け散った。それと同時に今度は賢者が手を振り上げと、手の軌道に合わせて生まれた光が生まれる。その一筋の光はまるでギロチンの刃のように、こちらに向かって宙を滑ってくる。

 ミハイルさんは私を抱えて横に跳んだが、光の端が彼の脇腹を掠め、バッと血しぶきが舞った。


「ミハイルさんっ!」


 私の悲鳴に、にやりと笑った賢者の顔が――凍り付いた。流れた血は床に零れることなく、無数の矢へと形状を変え、一斉に賢者めがけて飛んでいく。


「なんなんだよ、お前は!」


 初めて、賢者の顔に動揺がゆらいだ。だけどそれでやられるようなことはさすがにしない。両手をかざして光の幕を作り出し、ミハイルさんが作った矢を全て弾いた。そのままふわりと宙に逃れて、下に向かって手を突き出す。その手から、まるで雨のように光の筋が降り注ぐ。


「リエーフ!」


 銀色の尻尾が目の前で揺れた。私たちの前に立ち塞がったリエーフさんの背に、容赦なく光の矢が突き刺さる。だが、顔を上げた彼は顔色一つ変えていなかった。


「やっと見つけました」


 にっこりとリエーフさんが微笑む。それを見て、こんな状況なのに私も笑みがこぼれた。

 ……この笑顔に、私はずっと救われてきたんだと思う。


「リエーフ、ミオを頼む」

「はい」


 涼やかに答えるリエーフさんに、ミハイルさんが私の体を押し付ける。そして、二人は逆方向に走り出した。


「しかし、こういうのこそ坊ちゃんがやったらいいのに……」


 私を庇って賢者の攻撃を一身に受けながら、リエーフさんが場違いな不満を漏らす。だが、私はそう心穏やかでもいられない。


「リエーフさん、ミハイルさんが……!」

「本気になりさえすれば、ご主人様なら大丈夫。何しろ幼少より、不死者や世界最強の騎士を相手に修練を詰んでおりますからね」


 リエーフさんが器用に片目を瞑り、力強くニッと笑う。そして、ミハイルさんの方に視線を投げた。負けることなど考えもしていないように、その顔に心配の色はない。

 現に、ミハイルさんは全く動じていなかった。かざした左手の先に赤い呪印が生まれ、それは瞬く間に盾のように広がって、賢者の生み出す光を弾き返す。何本かは通り抜けてミハイルさんを傷つけたが、流れた血は全て矢になって賢者へと向かう。傷つけられれば傷つけられるほど、ミハイルさんの攻撃は苛烈さを増した。みるみるうちに、光の雨は血の雨に飲み込まれた。


「うっ……エグ。引くわー」

「そうか? 俺は結構気に入ってるがな」


 青ざめて、軽薄な声を上げる賢者に、ミハイルさんが壮絶な笑みを見せる。

 ……嘘つき。引かれないか結構気にしてるくせに。

 けどそんなこと微塵も感じさせないハッタリに、賢者はわずか怯んだ。その隙をついてミハイルさんが床を蹴る。宙に階段のように呪印が生まれ、それを足場に賢者に肉薄すると、かざした彼の右手に巨大な紅の剣が現れる。


「……ッ」


 キィィン、と澄んだ音が広間に響く。賢者に届くギリギリで、剣は止まっている。まるで見えない壁に阻まれているかのように。


「もらった!」


 すかさず賢者が放った光がミハイルさんの肩を大きく抉る。だがその血は流れ出ることなく、螺旋を描いてミハイルさんの体に戻って行く。眉一つ動かさず、ミハイルさんが一言呟く。


「何を?」

「マジで、なんなのお前……」


 ギリ、とミハイルさんが手に力を込める。勝てるかも。そう思ったところでハッとした。


「待って、ミハイルさん!」


 拮抗していた両者が、私の声で動きを止める。


「その人が賢者です!!」


 急なことについ成り行きを見守ってしまったが、私たちは賢者を倒しにきたわけじゃない。相容れない人ではあるけど、伯爵が使った魔法について聞くことができる唯一の人なのだ。


「こいつが賢者だと?」


 ミハイルさんがじっと賢者を見つめる。そして、何かに気が付いたかのようにはっと目を見開いた。


「陛下……?」


 呟き、ミハイルさんが剣を引く。そして足元の呪印も消して、私たちの前に着地した。賢者の攻撃が止んだので、リエーフさんが私を下に降ろしてくれる。


 賢者は戦いによって乱れた着衣を直しながら、ゆっくりと床に降りてきた。


「オレに用があるなら、なんでいきなり襲ってくるんだ。無駄に疲れたじゃないか」


 けだるげな様子に、ミハイルさんが舌打ちしながら賢者を睨む。


「ミオを傷つけたからだ」

「ちょっとからかっただけだよ。オレと同じ異世界人だったから」

「なんだと?」


 ミハイルさんが、私と賢者を見比べる。


「ならば……貴様はミオが元の世界へ帰る方法を知っているのか?」

「聞きたいのはそれ?」


 可笑しそうに賢者が問い返し、私はそれを否定するために息を吸った。


「違いま――」

「お前は黙ってろ」


 最後まで言い切る前に、ミハイルさんが私の頭を押さえつける。賢者は意味ありげに笑った後、考え込むように自分の額に手を当てた。


「全く別の世界に行くとなると色々と難しいんだけど、元の世界に帰るだけならできるよ。この世界から弾き出せば、勝手に元居た世界が引き寄せてくれるだろう。まぁ……器が残っていればの話だけど」

「簡単に言うがどうやって?」

「少なくともオレにとっては簡単だ。……そうだな。お前がオレに刃向かったことをひざまずいて詫びるなら、ミオを元の世界に帰してやってもいい」


 腕を組み、ふんぞり返って、賢者が楽しそうに言う。なんか……思ったより幼稚な人だな。そんな挑発に乗る私も、人のことは言えないけれど、喉を駆け上ってくる言葉を止められなかった。


「いりません」

「そんなことでいいなら――」

「しないで! そんなの見たくない」


 珍しく私が声を荒げたからだろうか、ミハイルさんが怯んだように開きかけた口を閉じる。

 千載一遇のチャンスを逃したのかもしれない。それでも後悔しない。手段さえあるのなら、いつか他の方法を自分で探す。そう誓いながら、私は正面から賢者を見据えた。


「それより、あなたはプリヴィデーニ伯爵をご存じですか?」


 ミハイルさんの咎めるような視線を感じながら、私は本題を切り出した。その名を出すと、賢者は意外にも「ああ」と頷く。


「彼は魔法を広めることにいい顔をしなかった。だからオレも何度か会って説得した」

「だからってどうして、人を蘇らせる魔法など教えたのですか!」


 リエーフさんが勢い込んで会話に割って入る。いつも一歩退いて控えている彼らしからぬ行動だったけど、それほど耐えられなかったんだろう。そもそも、そんな魔法を教えなければ。リエーフさんの顔がそう雄弁に語っていたが、賢者の答えは意外なものだった。


「人を蘇らせる魔法なんかない」


 何を馬鹿なことをとでも言いたげに――あっさり切って捨てた賢者に、リエーフさんが反論する。


「しかし旦那様は、貴方からお聞きしたと!」


 必死の様相で語るリエーフさんを見上げ、賢者は珍しく神妙な顔をした。そして、リエーフさんの頭に手を伸ばし、触れる。だがすぐに離す。


「お前、不死者か」

「はい。旦那様が、魔法を使うのに命が必要だと言いました。ですから私は私の命を。それ以来、不死となってしまったのです」

「……魔法の不文律を破った報いだ」


 しばし賢者は考え込むように腕を組んでつま先で床を叩いていたが、やがて顔を上げた。


「つまり……こういうことか。お前たちは伯爵の外法によって呪いを受けた者たちで、それを解く方法を求めている、と」

「はい、大体それで合っています。詳しく話すと長くなりますが……」

「面倒だ、頭を読ませろ。ついでに解呪の方法も考えてやる。件の伯爵が魔法を使うところも見たいから、それを見ていた奴がいい」


 ――おかしい。さっきは、ひざまずけとか絡んできたのに。どうして急に協力的になったんだろう。


「それなら、わたくしが」

「お前は駄目だ。不死者の頭は煩くて読めない。――そうだな」


 名乗り出たリエーフさんを押しのけ、賢者がピッと人差し指を立てる。そしてその指先をゆっくりと移動させて、ミハイルさんの前でピタリと止めた。


「お前がいい」


 無邪気に笑いながら、ミハイルさんを指差して、楽しそうに言う。それを受けて、ミハイルさんが眉間の皺を深めた。


「……何を企んでいる」

「人聞き悪いね。澪には言ったけど、オレは自分の力で世界を良くするためにこの世界に来た。オレは箱庭の人形に過ぎないが……現実世界のオレもきっと、外法を使って呪われた一族がいるなんてことは不本意だろう」


 ああ、だから――

 国王様が、賢者の生まれ変わりなのか、子孫なのかはわからないけど……ミハイルさんのことを気にかけていたように感じたのは、もしかしたらその記憶を継いでいるからなのかもしれない。


「要するにオレの為さ。でもまあ、オレは別にどっちでも構わないよ。さぁ、どうする?」


 賢者が軽い調子で肩を竦める。――ミハイルさんが、私の横を通りすぎて賢者の前に立つ。どのみち、伯爵の魔法をろくに見ていない私では役に立てない。適任者はミハイルさんしかいない。そして、罠かもしれないとしても、賢者に手だてを聞く以外には解決法を思いつかなかった。


「……わかった」

「特別に詫びはなしにしてあげよう」


 賢者がニヤァと笑って手を伸ばし――ミハイルさんの額に触れる。しばらく、静かに時間が流れて。賢者の顔が仄暗く歪む。


「ふーん……」

「約束通り、解呪の方法を教えてもらおうか」

「……逆魔法というものがある。魔法の構成を逆に行うことで効果を解く術だ。今見た限りだと、伯爵が使った魔法はあまりに様々な要因が重なりあっていて、オレでもきっと解けなかった。だが、経年により呪術が綻び暴走しているのなら、可能性はあると思う」


 何か無理難題を押し付けるのでは、と身構える私たちを前に、賢者はあっさりと解決法を教えてくれた。頭から信じることはできないけど……でも、これで終わらせられるかもしれない。


 しかし、そう喜ぶのは早かった。


「嬉しそうな顔をしてるけど、澪。逆を行うということは、蘇った分の命が一つ、必要になるよ?」


 賢者の声が、耳に突き刺さる。咄嗟に理解できなくて、え、と掠れた声が出た。

 ミハイルさんは最初から察していたのか、表情を動かさない。逆にリエーフさんは顔を輝かせた。


「でしたらこのわたくしが!! わたくしの命でお屋敷が救えるなら今日まで生きた意味もあります!」

「不死者がどうやって命を使う気だ」


 ミハイルさんの声に、リエーフさんの表情が凍り付く。


「そう。この中で命を捧げられるのは、澪。キミか、ミハイル・プリヴィデーニの二人だけだ。オレが逆魔法を教えたことには、ちょっとした意趣返しもある」


 顔から血の気が引いていく。この人は……、


 きっと私の気持ちを知って、それで敢えてこの方法を。


「よく話し合って決めなよ。どっちの命を使うかを」

「貴様……」

「そろそろ、この箱庭の終わりだ」


 賢者が両手を広げ、それと同時に景色がぐにゃりと歪む。


「待て! この世界を出るにはどうすればいい!」

「作った者を壊せばいい。さぁ――ちゃんと受け取ってよ、澪。オレからの贈り物を」


 彼へと視線を移した瞬間、辺りの景色はぐにゃりと歪んで溶ける。賢者の哄笑がうるさく聞こえる中、耳の奥で何かがカシャンと壊れる音がした。

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