第38話 賢者
城に勝手に入って、勝手に歩いても、咎める人は誰もいない。かといって適当に歩くには、お城は広すぎる。しかしリエーフさんは迷わずスタスタ歩いていく。
「リエーフさんは、どこに賢者がいるか知っているんですか?」
「実をいうと、城のどこかにいるだろうくらいしか」
頼りない答えが帰ってきて、少し拍子抜けする。
「謁見室、貴賓室、王族の私室あたりは見当がつきますので、まずはそちらの方からと」
しかし、あてもなく歩いているわけではなさそうだ。そこは信じるとして、私は改めて城の中を見回した。……さっきから気になるのは、回廊などには燭台があり、炎が揺れているということ。魔法の灯りではなく。
「まだ魔法は完全に普及しているわけではないんでしょうか?」
「ええ。先ほども申し上げましたが、魔法は個人の能力に依存する……つまり旦那様のような才ある者の反面、使いこなせない者も多かったのです。当家に集まった者の半数以上がそうでした」
リエーフさんは哀しげに目を伏せたが、ミハイルさんはそれには触れることなく、ごく自然な疑問を口にした。
「それなら、どうして魔法はここまで広まった?」
「誰でも使えるように体系化されてきたんでしょう、長い年月をかけて。そうでないと旦那様のような過ちを繰り返す人がまた現れてしまいます。そういう力を潰し、秩序を保ちながら、生活が便利になるためのほんの少しの力を、誰もが扱えるように……」
そう聞くと、魔法というのはさほど特殊な力ではない気がする。私がいた世界で言う、科学とか、機械とか、そういうものとさほど変わらないのではないだろうか。
「もしかすると、旦那様の一件があったからこそ、そういう方向に転換したのかもしれません」
だけど決定的に違うのは、そこ――、その能力に特化してしまえば、財力や技術、設備がなくとも、個人で恐るべき力を手にしてしまえる。
伯爵のように、魔法で不可能を可能にしようと思う人は、特に珍しくない気がする。
長い年月をかけて体系化していく間、それを倫理を外れたことに使おうとする人は他にいなかったのだろうか。生活が便利になるためのほんの少しの力くらいで、人々は満足できたのだろうか。
力を制限した方が、平和を保つことはできるのだろうけど……でもそんなギリギリの水準を何百年も保てていることには、人為的な何かを感じる。
「うん。いい線行ってる」
突然思考に、知らない声が割り込んでくる。
はっとして顔を上げると、いつの間にかミハイルさんとリエーフさんの姿は辺りから消えていた。……ううん、二人が消えたんじゃない。今までいた場所から景色は一変しており、私は一人きりで広いホールに立っていた。
荘厳なシャンデリア。美しいステンドグラス。何百年も前のはずなのに、見覚えがある場所。
「キミ、この世界の人間じゃないね」
振り向くと、一人の青年が立っていた。今まで全く気配を感じなかった。金の刺繍が入った青いローブに身を包んでおり、フードを目深にかぶっているので顔は見えない。背格好からはなんとも言えないけれど、声で判断するなら男性だ。
「名前は?」
無防備にこちらに歩み寄ってくる彼が、ぞんざいに問いかけてくる。距離を取りたいのに、まるで体が動かなかった。恐怖のためとかではない。体が竦んで、とかいうレベルじゃない。ピクリとも動けないのだ。彼の伸ばした手が私の額に触れても、避けることも、それを跳ねのけることも叶わない。
「
名乗ってもないのに彼は私の名を口にして、まるで頭の中を見ているかのように、私が元いた世界のことをつらつら喋る。いや、見ているかのようにじゃない。こんなの確実に覗かれてる。
「仕事中にこの世界に迷い込んで……、ふーん、好きな人がいるんだ?」
「やめて!!」
思わず叫んでいた。こんな妙な力を持った相手に一人きりで、気分を害したら何をされるかわからないのに、恐怖よりも嫌悪が勝ってしまった。
幸い彼は口ごたえした私を糾弾することなく、ピタリと口を閉じる。
「……あなたはもしかして、この国に魔法を伝えたという賢者ですか?」
そのまま彼が喋り出さないので、思い切ってこちらから問いかけてみる。
城にいるというその人と、さっき彼が口走ったこと。そこから考えられる可能性を口にすると、あっさり彼は肯定した。
「そう呼ばれてるね」
「どうして私がこの世界の人間ではないとわかったんですか?」
「オレもそうだからだよ。ただ、オレがここに来たのは自分の意志と力でだけど」
「……貴方に聞きたいことがあります」
「何? 元の世界への帰り方?」
そう聞き返されて、言いかけた言葉が消えた。
……そうだ。彼が違う世界から自分の力で来たというのなら、それを知っていて然るべきだろう。この時代の魔法が絶大な力を持っているなら、この空間の能力者がその力を有していれば、賢者に頼めば私を元の世界に戻してもらえる。リエーフさんに話を聞いた段階で、その仮説にはたどり着けたはずだ。
なのに考えもしなかった。今聞こうとしたことだって……伯爵が使った魔法のことだった。
沈黙してしまった私を面白そうに眺めながら、賢者が再び口を開く。
「何にしろ、条件がある」
「条件?」
「キミの頭の中をもっと見せて欲しいな」
かろうじてフードからのぞく口元を笑みの形にして、賢者が「条件」を口にする。
「……何のために」
「
「だから、それは何のためですか」
「別に悪用しようってわけじゃない。元々オレがここに来たのは、オレの力でこの世界をもっと良くするためだし」
真意が読めない。そう言われても、いきなり人の頭の中を覗くような人、私は信用もできない。
……だけど、ここで何をしても現実世界には干渉できないとリエーフさんは言っていた。それなら構わないのかも。判断を迷っていると、賢者は口元から笑みを消し、肩を竦めた。
「そんなに悩むことないと思うけどな。……澪はさ、この世界に来て思わなかった? 世界を変えてみたいって。それだけ高い文明を持つ世界から来たなら、ちょっとは思っただろ?」
「いえ、別に……」
「どうして? 自分の力で世界を発展させるのは楽しいよ。みんな神みたいに崇めてくれるしさ。すごくキモチイイ」
自らの体を抱くようにして、賢者が恍惚とした顔をする。
……悪い人では、ないのだろう。世界を良くしたいと思っているわけだし。実際この世界は元より随分栄えただろう。暮らしも便利になっただろう。それはたぶん、賞賛されるべきことなんだろうけど……私には理解や共感はできそうにない。
「私にはわかりません。私は……ただ元の世界に帰りたくて」
「ふーん? 本心かなぁ」
「見ないで!!」
また叫んでしまったのは、覗かれることへの嫌悪のためじゃない。ただ自分が認めたくなかっただけ。だけどそれを認めてしまえばもう同じことだ。
帰りたいのは決して嘘じゃない。それがずっと私の目的だった。家族のことを忘れた日なんてない。嘘じゃない。――だけど。
今まで比較的友好的な様子を見せていた賢者が、ここにきて明確な苛立ちを表す。腕を掴まれ、体の自由が利かない私は成すすべなく押し倒された。その上に馬乗りになった賢者がフードを取り払う。青いフードの中から、白い髪が零れた。
「ねえ、澪。オレと一緒に世界を変えようよ」
顔を近づけて、賢者が囁く。吐息が、髪が、顔を撫でる。
「できません。この空間は紛い物。何をしても現実世界には影響しないんです」
「知ってるよ。この世界は誰かが作った箱庭。決められた時間軸に来ればそこで終わり、そうしたら最初から繰り返すだけの世界……」
とっておきの切り札を切ったつもりだったのに、賢者の知識は私より上だった。……それはそうだ、魔法のことなんだから。
「オレもその中の人形にすぎない。それなら箱庭の終わりを伸ばして作ればいい。オレの力があればできると思わないか? 箱庭でも世界と同じくらい広げれば、それは世界だ」
賢者がじっと私を見つめる。その瞳には、やっぱり見覚えがある。
人を値踏みするような、見下すような、金色の瞳。
「……国王様……」
思わず唸ると、彼はひどく無邪気に笑った。
「へえ。オレはいずれ国王様になるんだ。いや、オレの子孫かな? どう、いい国だった?」
「ええ……」
いい国、だろう。村の人も町の人もみんな幸せそうだった。
「だったらどうしてオレに従わないんだ」
「貴方を否定するつもりはありません。ただ、私が幸せでいて欲しいと思う人は、今苦しんでいると思うから……、せめてこの世界にいる間は、その人のためにできることをしたい。それだけです……」
「ふーん……なーんか、面白くないな」
賢者の手が私の顔にかかる。それと同時に、頬に痛みが走った。
「君みたいなやつ、嫌いなんだよね。可能性を持っているなら試すべきじゃない?」
「だから……否定はしないと言っています……、貴方にとって間違ったことだからって、私には関係ないじゃないですか。貴方の価値観を強要しないで」
脅しだ。だってこの世界で起きたことは、現実世界には影響しない。そこは否定されてない。
だから精一杯の虚勢を張る。それを崩すように、賢者は手を離すと指先についた血を見せつけるように舐めた。頬がヒリヒリと痛む。
「軽く傷をつけただけだけど……その様子じゃ痛みはあるみたいだね。現実世界で死ななければいいと考えているのかもしれないけど、果たしてそうかな? 死んだ方がマシってくらいの苦痛を味わっても、意地を張っていられるかな?」
――悪い人じゃない、なんて思ったのは取り消そう。人を従わせるためにこんな方法を取る人は、いい人とは思えない。大体、私の世界の文明がすごくても、私はただの一般人だし、どの道この人の期待に沿えはしない。私に、世界を変えられるような力なんてない。私は特別な人間じゃないから。
それでも……できることはある。とても小さなことだけど、でも、それで喜んでくれる人たちがいる。認めてくれる人がいる。
誰に笑われてもいい。誰に蔑まれてもいい。価値なんてなくていい。そんな私でも受け入れてくれる人が、この世界にいる。
どんなに偉くても、どんなに凄くても、人を見下して、価値観を押し付けて、無理強いしてくる人より、私は……、私のままで受け入れてくれる人がいい。
だから私は……お屋敷に戻って掃除をするんだ。
そして、あの人に……笑って欲しい。
「ミハイルさん……ッ」
涙と共に、口からその名が零れていた。
そしてその途端に、凄まじい光が迸った。見覚えのある光、これは――指輪の光。
「なんだ、この光。この指輪か?」
怪訝な声を上げて、賢者が私の左手に手を伸ばす。
「触るな」
その瞬間、最高に不機嫌な声が、耳に届いた。
「当家の花嫁に、指一本触れるな!!!」
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