第37話 掃除婦の矜恃
リエーフさんの話では、賢者は王宮に招かれ、そこに滞在しているという。そんなわけで、私たちは今、城を目指して馬車に乗っているのだけど。
「あの! なんで私たち……屋根に乗っているんですか!?」
風に煽られながら、その風に負けないように私は叫んだ。もっと早く聞きたかったけれど、振り落とされないよう必死だったのである。
「馬車が満員だったからですが」
きょとんとして答えるリエーフさんは、なんでもないように屋根の上に正座している。そのままお茶でも飲めそうなくらいの余裕がある。なぜだ。
「わたくしたちの姿は誰にも見えていませんから、どこに乗っていようと咎められはしませんよ」
「それにしては、たまに視線を感じるんだが」
「感度の良い人は気配を感じることもあるでしょう。でもその程度です。わたくしたちはこちらの方々に干渉することはできません。ま、幽霊みたいなものです」
どこに乗ってもいいなら、安定した場所に乗ってもいいと思う。それにしても……干渉できないと断言するということは、リエーフさんは干渉しようとしたのだろうか。伯爵は私たちが見えていたし、気配を感じているレベルを超えていたと思う。それでも、あの悲劇は避けられなかったのか。それとも、避けたところで、元の世界には干渉できないということか……
いやダメだ。この状況では落ち着いて考えられない!!
思考を手放して必死で屋根に捕まっていると、近くで溜め息が聞こえた。
「ほら、手を貸してやる」
ミハイルさんが手を差し伸べてくれる。その気持ちはありがたい、ありがたいけれど。
「いいですいらないです!」
「何故」
若干苛立ちのこもった声が返ってくる。いや、だって。非常事態だったとはいえ。
昨夜のことを思い出すと顔が爆発しそうになる。だから思い出さないようにしてるのに、触れたら思い出しちゃうじゃないか。顔も直視できないし、声聞くだけでも心臓に悪い。あんなのリエーフさんにバレたら、なんて言ってからかわれるか……、いや、待て、もしかしてもうバレてるのでは……?
恐る恐るリエーフさんを見ると、それはもう「ニッコー!!」って感じの笑顔でこちらを見ている。
ていうかだ。やたらと良いタイミングで声をかけられたけど、いつからリエーフさんは側にいたんだ? 何かすごく嫌な予感がする。
「どうしました、ミオさん。わたくし見ておりませんよ、昨夜一晩じゅ」
「ぎゃああああいやあああああ!!」
リエーフさんの言葉を掻き消すために声の限りに叫んで、真っ赤になりそうな顔を隠そうとしたのがいけなかった。バランスを崩しかけた私の手を、ミハイルさんがすんでのところで掴む。
「離して下さい! もういっそ落ちたい!!」
半ばヤケクソで叫ぶ私を見て、再びミハイルさんが溜め息をつく。それからリエーフさんを振り返った。
「リエーフ……」
「おお、怖い。冗談、冗談です」
どんな形相をしていたのか知らないが、リエーフさんが両手を上げて弁解する。
そして、リエーフさんも私の手を取り、馬車の上に引き上げてくれた。ようやく少し落ち着いて、私は咳払いすると有耶無耶になっていたことを確認するために声を上げた。
「それより、リエーフさんが死者でないというのは……?」
問うと、二人の視線が私を見た。二人ともわかってるみたいな様子だった割には、中々返事は貰えず、ややあってリエーフさんが「うーん」と口元に指を当てる。
「どういうことかはわたくしにもわからないのですが。少なくともわたくしは『幽霊』の定義からは外れまくっている気がするのですよ」
「歴代当主も気が付いていたと思うぞ。お前は俺の力で縛れない。そもそも実体がある」
リエーフさんが「特別」ということは知っていた。指輪をする前から見えたし話もできたし。だけど、だからといって普通の人間とも思えない。怪我をしないし、しても治るし、そもそも何百年も前の人なわけだし、それに……
「普通でないのは最初からわかってます。でも、リエーフさんはさっき……」
「ええ。わたくしは一度、自ら命を絶ちました。ですが気が付いたら焼け落ちた屋敷で、坊ちゃん――、さきほどお二人もご覧になられた、病気で亡くなったはずの坊ちゃんを抱えていたのです。そしてそれから、死ねない体になりました」
首元を押さえて、リエーフさんが自嘲的に呟く。
「かといって、老いもなく痛みもないわたくしと、幽霊たちと、さほどの違いはないと……自らの犯した罪から目を背け、ただお屋敷と旦那様の忘れ形見を守るのに執心することで、わたくしは自分が何かすら見失ってきたのです。やっと……思い出しました」
首から胸に自らの手を滑らせて、まるで胸に大事なものを抱え込むように、二度と手離すまいとするように……リエーフさんは目を伏せた。しばらく私もミハイルさんもそれを眺めていたのだけど……彼には悪いけれど、あまり感傷に浸っている場合でもない。
「リエーフさんは、ここが何なのかわかっている口ぶりでしたが……結局扉とは何なんです?」
問うと、彼は目を開き、私をじっと見た。それからおもむろに口を開く。
「わたくしも断言はできませんが……わたくしたちが生活しているのとは別の次元へと繋げるものかと。人によって姿を変える異次元……心を堕とした幽霊たちには無限の監獄……わたくしたちにとっては真実を映す鏡。というのはちょっと都合のいい考えかもしれませんが、現状そう機能しています」
「別の次元……」
その言葉を拾って復唱する私が何を考えたのか、リエーフさんは正確に読み取ったようだった。
「でもたぶん、ミオさんがいらした世界とはまったく違うものではないでしょうか。結局この世界は精巧にできた紛い物に過ぎません。精巧すぎて、元々力のある者は同様にその力を有していたりするようですが……」
「だから伯爵には私たちが見えたということですか?」
「憶測にすぎませんが」
私の問いかけを、リエーフさんが遠回しに肯定する。
「魔法というのは、かなり個人の能力に依存する力のようです。皮肉なことに、反勢力の筆頭でありながら旦那様はその力に優れていらっしゃったのですね。扉を作り出したのも、おそらくは旦那様ではないかと……」
「……私がお屋敷の外で見た魔法は、生活を少し便利にする程度のものでした。でも元々は異次元を作り出したり、死人を蘇らせてしまうほどの非常識な力だった……」
「ねえ、ミオさん」
ふいに名を呼ばれて、私はリエーフさんを見上げた。すると彼は、どこか思いつめたような、覚悟を決めたような顔をして、形の良い唇を震わせた。
「貴女は一体何者なのですか? 本当のことを教えて下さい」
すがるように問いかけられて、焦ってしまう。多分リエーフさんが期待しているような答えなんか、私は持ち合わせていない。
「本当のこともなにも、今までにお話した以上のことは何もありません。違う世界から来たというだけで、他に特別なことは何もない、掃除が好きなだけの普通の人間ですよ」
「ですが貴女は聡明すぎる。洞察力に優れていて思慮深く、忍耐強い。元の世界では、さぞ名のあるお方なのでしょう」
あまりに壮大な買いかぶりをされたもので、堪え切れずに噴き出してしまった。急に笑い出した私を二人は怪訝そうに見ていたけど、これが笑わずにいられようか。
「いえ、今までの人生でそんなに褒められたことがないから、驚いてしまって。私は普通の人より出来が悪いくらいですよ」
「信じられません」
「リエーフさん、お掃除とはですね」
この期に及んで掃除の話を始める私に、二人の目が怪訝なそれから点になったが、構わず私は先を続けた。
「ただ汚れを落とすにしても、その汚れがなんなのか……油汚れか皮脂なのかカビなのか、そしてそれがどの程度の付着をしているのか。まずはそれらを観察し、それに反応する洗剤を選び、どんな手法で落とすのかを考えなければきれいにできません。だからいつも考えていただけです。自分の置かれた状況、自分がどうしたいのか、何ができるのか。それだけですよ」
そのとたん、今まで黙って話を聞いていたミハイルさんが、弾かれたように笑い出した。
「ハハッ! 聞いたかリエーフ。お前は単なる一人の掃除馬鹿に心を乱され、挙句当家はこの騒ぎだ!!」
「そんな言い方……」
こうなったのはまるで私のせいみたいじゃないか。いや……私のせいなのかな。
私が色々なことに首を突っ込まなければ。リエーフさんにあんなことを聞かなければ、こんなことにならなかったのかもしれないし……。じわじわと罪悪感が沸いてきたけれど、でも、笑うミハイルさんがあまりにも楽しそうなので、それも忘れて見とれてしまった。
「お前は本当に大した掃除馬鹿だな。おかげで当家も綺麗になりそうだ」
「そう……ですか?」
褒められているのか貶されているのかわからないけど、ミハイルさんが楽しそうだからいいのかな。リエーフさんも納得してくれたのか、私たちを見ながら小さく笑った。でもその表情から憂いは抜けきらなくて、笑みを消すと意を決したようにミハイルさんに向かって語りかける。
「坊ちゃん……いえ、ミハイル様。もしも賢者に会うことで、お屋敷が永き業から解き放たれて、私が不死でなくなったとしたら……そのときにはどうか、貴方の手でわたくしを終わらせて下さいませんか?」
あまりにも物騒なリエーフさんのお願いに、ミハイルさんがいつもの仏頂面に戻る。
「わたくしはずっとお屋敷のために……旦那様のためだけに生きてきました。ですからお屋敷のためにならないのであれば、執事でありながら歴代当主に従わぬことも多々ございました。永く生きるうち、わたくしにとって歴代当主もお屋敷を守るための道具としてしか見られなくなっておりました……ですが貴方様だけは、先代奥方の事情もあり……また先代方が早世されたこともあり、幼い頃からずっとわたくしがお育てして、ああ、考えてみたらそのせいでこんなに捻くれてお育ちになったのかもしれませんね。昔はあんなに可愛らし――」
「もういい黙れ」
ぺらぺらと喋り続けて次第に脱線してきたリエーフさんの顔を、ミハイルさんが鷲掴みにして強制的に黙らせる。
「俺にもろくに従わないくせに、勝手なことを言うんじゃない。いいか、お前はそうやって自分の命を軽んじるから不死になどなるんだ」
むーむー唸るリエーフさんを見下ろし、ミハイルさんが呆れ混じりの声を上げる。
「俺を主人と認めるのなら従え。不死であろうがなかろうが、自分の一生を人に任せるんじゃない。いいな」
馬車がガタンと停止する。
ミハイルさんが手を離すと、リエーフさんはしばらくぽかんとした顔をしていたが。
「行くぞリエーフ」
「……はい。ご主人様」
それ以上二人は何も言葉を交わさなかった。
もう要らないのだろう。
ミハイルさんが淡々とした言葉の裏でリエーフさんを必要としていることも。リエーフさんがそれに救われたことも。見ていた私にも充分わかったから。
私はほころぶ顔をそのままに、二人の後を追ったのだった。
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