第28話 屋敷の惨禍
お屋敷の近くまで来ると、馬車は停止し、動かなくなった。しかし私たちが降りるとそれを待ちかねたように、すかさず元来た道を帰っていく。一日のうちに二往復も大変だとは思うけど……
「そんなに怖がらなくてもいいのに」
「怖れてくれるからこそ、俺が何もしなくても土地も屋敷も守られる。……それより」
ぽん、と私の頭に手を置きながら、ミハイルさんが怪訝そうに辺りを見回す。
「リエーフの姿が見えないな」
言われてみれば、送り出すときも姿が見えなくなるまで見送ってくれたリエーフさんのことだ。ミハイルさんだけでなく私のことも心配してくれていたし、馬車の音を聞いたら飛んで出迎えに来てくれてもいい気がする。
「何かあったんでしょうか」
「わからん。とにかく帰るぞ」
屋敷はもうすぐそこに見えている。このときまではまだ、リエーフさんでもうっかりすることはあるだろうと楽天的なことを考えていられたのだけれど。
「なに、これ……」
屋敷の門までたどり着いて、絶句する。
綺麗に片づけたはずの玄関が、ガラスや調度品の破片や血の跡で汚れている。扉は誘うように半開きのまま、キィキィと風で揺れていた。急に暗雲が立ち込めて薄暗くなり、ゴロゴロと雲が鳴き始める。
「誰かの嫌がらせでしょうか。もしかしてお城の人とか……?」
ミハイルさんが不在と知っている城の人なら、その間に嫌がらせをすることもあるかも。
「閣下ならやりかねんがな。幽霊たちが黙っていないだろう。いずれにしろ、人の悪戯なら可愛いものだが……」
ということは、ミハイルさんはこれをやったのは「人」ではないと思っている。人ではないということは……
幽霊たちが暴走した日のことを思い出して、嫌な汗が額に滲んだ。
「ミオ、お前は今すぐ屋敷から離れろ。嫌な予感がする」
「ミハイルさんは」
「……俺が戻らんわけにはいかんだろう」
まるで自分に言い聞かせるかのように、ミハイルさんが応える。……今なら、リエーフさんもいなくて、屋敷の様子もおかしい今なら、見なかったことにしてこのまま屋敷を去ることもできる……と。いつも出ていきたいと言っているミハイルさんが考えないわけがないと思うんだけど。
それでなくとも、誰だってこんな異様な雰囲気の屋敷に近づくのは怖い。それなのに、一人で行くだなんて。
「あの、私も行っちゃ駄目ですか」
「駄目に決まってるだろう。お前が来てどうするんだ。足手まといだ、さっさと行け」
一大決心で言ったというのに。
シッシッと獣でも払うように片手で跳ねのけられる。これはずいぶんな仕打ちじゃないかと思うのだが、足手まといなのも事実だし。シュンとしていると、ぼそりとミハイルさんが付け加える。
「……落ち着いたら迎えに行く」
見上げても彼はこちらを見ていなかった。小声な上に早口だったけど、たぶん聞き間違いなんかじゃない。だから、無理に笑顔を作って答えた。
「お願いします。まだ掃除が終わってないんですから」
きっと私がいた方が足を引っ張ってしまう。だから、胸騒ぎを押し殺してお屋敷へと戻っていくミハイルさんに背を向ける。そして門を出ようとした、そのときだった。
ギィィィ、ガシャン!
激しい音を立て、目の前でお屋敷の門が一人でに閉ざされる。
「な――何!?」
開けようとしてもビクともしない。異変を察したミハイルさんが駆け寄ってきて門をこじ開けようとするが、それでも動く気配はない。
「乗り越えられるか?」
「手伝ってもらっても自信ありません……」
門は結構な高さがあるし、足を掛けられそうなところもない。私にはとても無理そうだ。
「乗り越えたところで……無駄なんだろうな」
ミハイルさんが呟いた意味がよくわかる。この屋敷からはもう逃さないという何者かの意志を感じる。無理に出ようとした方が危険な気がした。
「一緒に来てもらうしかなさそうだな。巻き込んですまない」
「いえ……ミハイルさんの所為じゃないですし。わかりました」
「……俺から離れるなよ」
言われなくとも、この状況で一人で行動する気になんてとてもなれない。返事をして彼の後を追う。
玄関は半開きの状態だったが、中は薄暗くてよく見えない。扉を開いて、ミハイルさんが息を飲んだのがわかった。絨毯はめくれ、壁は壊され、花瓶は割れて、瓦礫や破片がいたるところに散らばっている。私が初めてここにきたときより酷い有様だ。
「妙だな。基本的に幽霊たちは物に触れられないはずだ」
「でもライサみたいに能力を使えば物を移動させることができるんですよね」
「ライサは重量のあるものはそう自由に動かせない。俺が屋敷を離れた僅か半日で、幽霊の能力だけでここまで荒らせるとは考えにくいし、幽霊が屋敷を壊す理由もわからん」
「じゃあ、やっぱり外の人間が?」
だけど、それにしては人の気配はまるでない。人だけじゃなく、幽霊の姿も見当たらない。
「ライサたちの姿も見えませんね。リエーフさんも。みんな一体どこへ――」
そう呟いた瞬間だった。なんの前触れもなく、突如真後ろに気配を感じたのは。
「ミオ!」
振り返ると、壁から白い手が二本――こちらに向かって伸びていた。血まみれの、白い手が。その手が私の首を掴むより一瞬早く、ミハイルさんが勢いよく私の腕を掴んで引っ張る。空振りした手はそのまま、彼の肩をガシリと掴む。壁からぬるりと女性が姿を現して、その肩口に剥き出しの白い歯を突き立てた。
「ミハイルさんッ」
悲鳴じみた声が零れた。しかしミハイルさんは苦悶の声を上げることもなく、顔色一つ変えずに右手をかざす。
『捉えよ!』
鋭く飛んだその声と同時に、彼から流れ出た血が鎖のように幽霊を縛り付け、動きを封じる。
「ミオ、走れ!!」
「……ッ、はい!」
手を引かれ、私は震える足で必死に走った。
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