第27話 守るべきものの為
ピカピカに磨き抜かれた大理石みたいな床に、はるか高い天井。美しいステンドグラスに、ロウソクを幾つも乗せた荘厳なシャンデリア。青い絨毯がまっすぐに敷かれ壇上には玉座がある。だが、そこに人の姿はまだない。
「いいか。何を言われても絶対に口答えするなよ」
隣にいるミハイルさんが、小声で私に念を押す。
さすがにこんな空気の中で王様相手に何か言えるほど図太い神経はしていない……でも、信用がないのも仕方ないという自覚はあるので、黙ってうなずく。
しかし、いつまで待たされるんだろう。もうここに通されてけっこう経つ。私はいいけど、その辺に控えている兵たちは血の気を失って真っ青だ。変な目で見られる以前に目も合わせないし、なんならさっき一人倒れた。
そんなに……怖いのかな。
ちらりと横目でミハイルさんを見上げたそのとき、「シャンッ」という鈴のような音が鳴り響いた。途端衛兵たちが直立不動の姿勢を取り、それと同時にミハイルさんが膝をつく。私も慌てそれに倣う。
顔を上げたときには、今まで空いていた玉座に人が座っていた。
……いつの間に。それこそまるで、魔法のように。
玉座にいた白い髪の青年が立ち上がると、ふわっと青い光が舞った。
「久しいな、プリヴィデーニ伯爵。来てくれて嬉しいよ」
「ご無沙汰しており申し訳ございません、陛下」
穏やかで、親しみがこもっているけど、どこか白々しい声。
対して、淀みなく述べるミハイルさんの言葉も、丁寧だけどどこか棒読みだ。
通り一遍の挨拶を終えると、しばし沈黙が続いた。
ミハイルさんは来たくて来たわけじゃない。使いが来たから来たわけで、用件があるのは向こうだろうに。一向に言葉を発さない王様を不審に思って、頭を下げたまま上目遣いに玉座を眺める。
しかし、その場は空っぽで。
「……!」
唐突に気配を感じて正面に目を戻すと、いつの間にか国王が私の前にいて、膝をつきこちらを覗き込んでいた。金色の瞳が物珍しそうに私を映す。
「へえ……珍しい」
さっきの、儀礼的な挨拶より幾分か素が出たような口調で、王様が声を上げる。
……国王って、もっと歳がいってるものだと勝手に思っていたけど。かなり若い。初見から思っていたけど、近くで見るとミハイルさんより年若く見える。三十手前……二十半ば……
ザッと隣で気配が動いた。ミハイルさんが立ち上がって、国王を見下ろしていた。……背筋が凍るような、凄惨な表情をして。兵たちがバラバラと駆け寄ってくるのが視界の端に映った。
「ミハイルさん……!?」
小声で呼びかけながら服の裾を引く。これは……どう考えてもやばいんじゃないだろうか。
しかし私や衛兵たちがそれ以上動く前に、国王の姿はすっと消えていた。あれは……魔法なのだろうか。 彼は再び玉座の上に現れると、兵たちを目だけで制し、落ちついた声を上げた。
「そう殺気立たずともよい。今日はリエーフ君でないのが珍しいと思ってね」
衛兵たちが元の場所に戻っていって、ミハイルさんが再び跪く。それを見て、私もほっと胸を撫でおろした。
「それに、君がそんなに感情を露わにするのも珍しい」
「……ご用件は」
国王の話に取り合うこともなく、ミハイルさんは短く一言だけで先を促した。それに気分を害した様子もなく、何事もなかったように国王が話し出す。
「うむ。このところ人成らざるものを束ねる君に、あの広大な領地を任せるのは酷なのでは――などという声が絶えなくてね」
「領地を召し上げるということですか」
「君を抜きにその結論を出すのはいささか乱暴だろう。だが肝心の君が幽霊屋敷から出てこない」
「それは失礼しました。確かに私は領民から慕われてはおりません。しかし私が領主であることによる混乱や問題が起きているわけでないことは、見て頂ければおわかりになるかと」
「そうだな……取り立てて問題があるとは聞き及んでいないが、君自身はどうなのかと思ってね」
「陛下が心配なさるようなことは何も」
「そうか。ではこれからも君は死者と共に暮らすのか」
ミハイルさんの言葉は、いずれも用意されたものを読み上げるかのように流暢だったが、ここに来て口を閉ざした。黙したままの彼を見て、国王が小さく息をつく。
「まあいい。今日は君が城に来たことに免じて領地の件は保留にしよう。屋敷にこもりきりの幽霊伯爵殿がせっかく出向いてくれたのだ、何か土産を持たせてやれ」
そう言うと、彼はまた空気に溶けるように姿を消した。
* * *
「ミハイルさんがお城に行きたくない訳、なんとなくわかりました」
帰りの馬車、そう声を上げると、俯いていたミハイルさんが目線だけをこちらに向けた。
「いつ俺が城に行きたくないと? ……ああ、リエーフか」
ミハイルさんが嫌そうに顔を歪める。なんかミハイルさんとリエーフさんの関係って、息子とお母さんみたいだなぁ。
「お前、城であったことリエーフに言うなよ。なんてからかわれるかわかったもんじゃない」
あ……そうだった。失礼なオジサンに婚約者だと勘違いされたままなのだ。リエーフさんの満面の笑みが頭を過ぎって、絶対バレないようにしようと固く誓った。
「……すまんな、付き合わせることになって。いずれ誤解は訂正しておく」
「いえ。ただ、国王様は少し苦手です」
「奇遇だな、俺もだ。だが何故?」
意外な同意に、ふと好奇心が疼いて理由が知りたくなる。
「どうしてですか? 表向きはすごく友好的でしたよね。王様は蔑んだり、好奇の目を向けてくるようなこともありませんでした」
「ならお前は何が気になったんだ」
「それは……」
目つき、だろうか。
間近で見た金色の瞳。それは人を値踏みするような、どこか見下すような目だった。温和そうで丁寧で、気遣いもできるように見えながら、その実そこには血が通ってないような印象を受ける。
だけど実際どうかはわからないし。勝手に決めつけるのもよくないし。
どう言おうか迷っている間に、ミハイルさんの視線が逸れる。
「……まぁ俺も単に苦手なだけだがな。国王なんてのは国を守ることができれば後のことはどうだっていいような人種だ。しかしその庇護の元にいる以上はなじることもできん」
なるほど。優しいだけじゃ国なんて守れないというのはわかる。ただ、私のような一般人とはかけ離れていて……だからこそ苦手と思うのだろうか。
「リエーフに少し似ている。守るべきものがあると、誰しもああなるものなのか。生者であれ、死者であれ……」
それは私に言っているというより、独白に近い響きの声だった。
リエーフさんと似ている……とは思わなかったけれど、リエーフさんだって屋敷やミハイルさんを守るためなら私のことを利用する。人当たりが良くて優しいけど、大事なものを守るためならきっと容赦のない人だ。
対して、ミハイルさんは冷たくて不愛想だけど、きっと誰かを切り捨てるということを即座に選べない人。例えそれが死者――幽霊だとしても。だから今まで当主の仕事を放棄していたのかもしれない。
「何にしろ、お前はもう城に行かない方がいいかもな……」
窓の外に目を向けながら、ぽつりとミハイルさんが呟く。
「どうしてですか?」
「いや。ちょうどよく牽制もできたし、当分行くことはないだろう。次に行くときにはお前は屋敷にいないだろうし、気にするな」
牽制……立ち上がったあのときかな。
たぶんかなり無礼なことだと思うんだけど、衛兵たちは駆け寄ってはきたけど震えていたし、誰も止められなかった。国王も咎めることはなかったし。でも、それよりも……
次に行くときには、私はいない、か。
シン、と馬車の中が静まり返る。
行きの馬車では、考えていたことだ。もうお屋敷を出ようって。なのに、そう言われてしまうことが辛いなんて、あまりにも我儘だろう。
「あの……お土産ってなんだったんですか?」
来た道のりを思い返すと、屋敷に着くまではまだ少しかかるはず。それまでずっとこの空気は正直しんどい。会話を盛り上げるのは得意じゃないけど、なんとか明るい声を絞り出すと、ミハイルも顔を上げた。
「ん? ああ……酒だな、これは」
高級そうな木の箱に目をやり、ミハイルさんが答える。それに対して、私は今度こそ心から華やいだ声を返した。
「お酒!?」
酒。つまりはアルコール。いや、この世界のお酒の成分が何かはわからないけど、わからないだけにもしかしてもしかすると――
「すみませんが、そのお酒、少し私にいただけませんか!?」
「別に構わんが……お前が酒好きとは意外だな。確かにかなり希少な銘酒で――」
「はい、早速お掃除します! そのお酒、もしかしたら掃除に使えるかもしれません! もちろんお酒の種類によるのですが!」
ミハイルさんの目が点になったような気がするけどあんまり頭に入ってこない。それより、掃除用洗剤の存在しないこの世界で、洗剤代わりになりそうなものの単語を聞いて、胸のときめきが抑えきれなくなった。
「お酒はアルコールという成分が含まれている可能性が高くてですね、いやこちらでもアルコールというのかどうかわからないですけど、アルコールには油を溶かす成分があって、汚れを浮かすことができるかもしれまん。あ、消毒や殺菌も期待できるかもしれませんね! 掃除は汚れを取るだけでなく、綺麗な状態を保つことも大事ですから。勿論向かないお酒もありますから、試してみないことにはわからないですけど」
「待て、ミオ。何故酒から汚れがどうのという話に……」
「汚れと一言で言っても色んな種類があって、手が触れるような場所は皮脂によるものでそれに対して効果が高いのが……」
突如笑い声がして、喋るのをやめる。驚いて正面を見ると、ミハイルさんがお腹を抱えておかしそうに笑っていた。
「はっ、ははは――本当にお前は掃除馬鹿だな。呆れて笑いが止まらん」
ぽかんとしていると、そんな失礼なことを言う。だけど腹が立つどころか、私まで噴き出してしまった。うん。本当にそうだ。でも掃除馬鹿で良かった。
――そう、私は掃除馬鹿なのだ。いずれお屋敷を出るときは来るだろう。だけど、やっぱりお掃除が終わるまでは。
受けた仕事はちゃんと最後までやるのが信条だ。途中で投げ出すのは私らしくない。
「……次にミハイルさんがお城に行くまでに、掃除が終わればいいですけどね。何せ広いし、私一人しかいないから。無理かもしれないです」
ふと笑い声が止まる。一瞬視線が交わって、それから彼は目を伏せた。そのまま会話は途絶えたけど、静かな静かな馬車の中で二人きりでも、もう気まずい空気はきれいになくなっていた。
――もう少し、お屋敷が遠ければいいと思ってしまうくらいに。
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