第17話 幽霊の条件

 コンコン、と部屋の扉が鳴り、びくっとして着替えの手が止まる。あんなことの後だから、ちょっとした物音にも過敏に反応してしまう。だけど冷静になってみれば、私の部屋の扉をノックをする人なんて、この屋敷に一人しかいないわけで。


「リエーフさんですか?」

「ええ。入っても?」

「ちょっとだけ待って下さい」


 パパッと作業着を身に着け、髪を束ねて、部屋の扉を開く。


「お待たせしました」

「いえ。ライサたちの件なのですが……」


 言い辛そうに、リエーフさんが声をひそめる。


「あんなことになって、何とお詫びをすれば良いのかわかりません。さすがのわたくしも、これ以上ミオさんに辞めないで下さいとは言えません……」

「いえ、辞めませんから」

「やはりそうですよね――え? 今、なんと?」

「ですから、辞めませんと」

「ミオさん――――!」


 ガシッとリエーフさんが私の両手を握りしめる。


「わたくし、貴方の責任感と優しさに心を打たれました! そうまでしてミハイル様に尽くして下さろうという心意気! このリエーフ! 感じ入りました!」

「さりげなくそっちに話を持っていこうとしないで下さい。確かに掃除は好きですが、私にも打算はあります。つまり自分のためです」

「フフッ。正直な方ですねぇ」


 率直すぎる私の言にも動じず、リエーフさんがいつものように穏やかに笑う。取りようによっては主人への非礼にも当たるだろうに。

 まあ、リエーフさんに対しては嘘をついても取り繕っても意味がなさそうと意図的に腹を割っているところはあるけど。化かし合いをしたところで勝てる気はしない。


「不思議なもので、裏などないと言われるより、打算があると言われてしまった方が信用できる気がしてしまうものです」


 いや、堂々と裏があると言う人を信用するのはどうかな……と思わなくもないけれど。それはともかくとして、この機会に気になっていたことを聞いてみることにする。


「ところで、もしも私がこの屋敷で死んでしまったら、私も幽霊になったりするんですか?」

「おやおや、ミオさんはもしかして幽霊になりたいんですか?」

「違います、幽霊になる気も死ぬ気もないですけど、ちょっと気になって」


 ミハイルさんが言った「これ以上幽霊を増やしたくない」という言葉が、ずっと頭に引っかかっていた。リエーフさんは少し考え込むように宙を睨んでいたけれど、やがて首を振って否定を示した。


「多分、ミオさんは幽霊にはならないと思います」

「どうしてですか?」


 やはり幽霊になるのは条件があるということだろうか。しかしリエーフさんから返ってきたのは、もっとシンプルな答えだった。


「わたくしの記憶に、幽霊が増えたという事例はございません。もし屋敷で死んだ者が幽霊になるなら、先代方もみな幽霊になっていたはずです」


 なるほど、それもそうだ。

 答えを悩んだ所を見ると、仮に条件があったとして、その条件をリエーフさんが知っていると言うわけでもなさそう。そして幽霊が増えたことがないと言うなら、やっぱり何か事件があってこの屋敷は幽霊屋敷となり、それ以来ライサもエドアルトさんもアラムさんも他のみんなもずっと幽霊なんだろう。


――いや。それじゃおかしい。


「ちょっと待って下さい。リエーフさんに幽霊が増えたという記憶がないなら、他の幽霊たちはリエーフさんより前、もしくは同時に幽霊になったことになります。リエーフさんだけが特別なのは『長く幽霊をしているから』と言っていましたが、それじゃ理由になりません」

「…………」


 リエーフさんが口に手を当てて、押し黙る。その目つきからは穏やかさが消えていて、私は慌てて頭を下げた。


「すみません。使用人が首を突っ込むことではありませんでした」

「あ、いえ。確かにミオさんの言う通りです。でも何故でしょう、わたくしもあまり深く考えたことがありませんでした。そのようなこと、問われたことがなかったので……」


 なんだろう、ライサの本当の名前を思い出せないと言ったエドアルトさんもそうだけど、やっぱり昔のことは忘れていくものなのだろうか。千年も前のことを正確に覚えていなくても別に不思議はないんだけど、こうなってくると『千年前から幽霊』という情報すら疑わしくなってくる。


 この屋敷はなぜ幽霊屋敷になったのか、本当に誰も知らないのだろうか。誰も気にならないのだろうか。自分がなぜ幽霊なのか、いつまで幽霊なのか。


「申し訳ございません、ミオさん。用件を話してもよろしいでしょうか」


 すまなそうなリエーフさんの声に、思考を止めて顔を上げる。


「もちろんです。こちらこそ変なことを聞いてすみません。それで、何のご用でしょうか?」

「はい。ライサとアラムですが、ミオさんを襲った間の記憶は全くありませんでした。二人とも話を聞いて酷く動揺しており、ミオさんに謝りたいけれど、もう会いたくないのではと」

「そんなことありません。確かに怖かったけれど、二人の意志じゃないなら、二人のせいじゃないですよ」


 なら、誰のせい?

 頭の中に、自分の問いかけが響く。


 ……ここで働き続けて大丈夫なんだろうか。本当に二人を恨んではいないけれど、ああなった以上、またならないとは言えないのではないか。

 でも、出て行ってどうする? この魔法世界で、魔法の使えない私が生きていける場所なんて他にあるのだろうか。元いた村なら、きっと私を受け入れてくれるだろうけど。でも、私にできることは何もなく、ただ保護されて生きていくだけ。


 駄目だ。すぐになんて選べない。


「……今から街に買い出しに行くのですが。もし宜しければ、付き合って頂けませんか?」


 リエーフさんが、優しく私に微笑みかける。きっと私が気分転換できるよう、気を遣ってくれてるんだろうな。


 ――もう少し、頑張ってみよう。せめて、このお屋敷がキレイになるまでは。

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