第14話 兄妹

 ライサとの和解から数日、私はようやくエドアルトさんから庭に立ち入る許可を貰えた。


「ライサのぬいぐるみを見て、ミオならあの庭もキレイにしてくれるんじゃないかと思って」


 ぬいぐるみと植物じゃ勝手がだいぶ違うけど、とにかくあの一件から一気に物事がいい方向に流れ始めたように思う。諦めなくて良かった。

 そんなわけでエドアルトさんの指示の元、私は庭の手入れをしていた。ライサが大人しくなった今、お掃除に専念したいところではあるけど……エドアルトさんの気が変わらないうちにと庭に入ったら、草むしりで一日が終わった。まだ腰が痛い。

 その代わり、あの果実を好きなだけ持っていってもいいことになった。だから暇さえあればあちこちを磨くというそれなりに充実した日々を送っている。


 そして今日は――


 パチリ、とハサミを動かし、花を落とす。

 こんな荒れ放題の庭の中で、頑張って咲いている花を落とすのは心苦しいのだけど。


「ちゃんと剪定したら、もっと見事な花が咲く。奥様がそう教えてくれた」


 私がそう言うと、エドアルトさんはどこか遠い目をして答えた。


「だけど、僕はその花を見ることができなかった。この体になってから見た、庭師が世話して咲かせた花も見事だったけれどね。……あのひとが咲かせた花を見たかった」


 エドアルトさんの話に出てきた『奥様』は、何代前の奥様なんだろう。彼の言い様だと、まだエドアルトさんが生きてた頃の話っぽいけど。

 騎士だったというエドアルトさんは、やっぱり戦争で死んだのかな。それならライサは? あんなに幼い女の子がどうして死んでしまったのだろう。病気? リエーフさんは……二人よりは年上だけど、それでも死ぬには若すぎる。

 当主であるミハイルさんなら知っているのかな。


 パチン、と音がして、花が落ちる。茎は太くて丈夫で、結構手に力をこめないと刃が立たない。


 聞けない。みんなの死因なんて、それこそ興味本位で詮索していいことじゃない。

 黙ったまま作業を終えると、私は今切り落とした花を拾い集めた。


「これ、頂いていいですか? お屋敷に飾ろうと思って」

「ありがとう。花も喜ぶ」


 にこ、とエドアルトさんが笑う。その笑顔はとても綺麗で、思わず見とれてしまった。

 爽やかで少し幼さの残る笑顔は、歴戦の騎士にはあまり見えない。どちらかというと深窓の令嬢だ。……深窓の令嬢と言えば。


「ミオ~!」


 甲高い声と共に、ふわりと上空からライサが姿を現す。


「探したのよ。今日は掃除しないの?」

「エドアルトさんに教えてもらって、庭の手入れをしていたの」

 

 無邪気に花をのぞき込んでいたライサが、エドアルトさんの名前を出した途端に表情を変えた。なんだろう……、気まずそうな、緊張した、そんな感じの張りつめた顔。

 けどすぐにそれを綺麗に消すと、彼女は私の後ろにいるエドアルトさんに笑顔を向けた。


「お兄様、ご機嫌麗しゅうございます」


 その声を誰が上げたのか、一瞬わからなかった。

 ぽかんとする私の前で、ライサが優雅に一礼してみせる。

 ……微妙に気になってはいた。

 いいところのお嬢様っぽいのに、ライサは言葉遣いも素行も、あまりいいとは言えないなと。けれど、今のライサは大きなお城のプリンセスのよう。もともとお人形みたいに可愛らしいし、悪態をついても意地悪に笑っても見惚れてしまうくらいだから……今のライサは大輪の花でも色褪せて見えてしまうほど、文句のつけようのないくらい美しい。

そのギャップに驚いて、思考がなかなか追いつかなかったけれど。


「お兄様?」


 と、確かにライサは言った。え、兄妹? エドアルトさんとライサは兄妹だったの?


「ライサも、今日も綺麗だよ」


 広い庭園で、花をバックに微笑みあう美形兄妹……眩しすぎて眩暈がしそう。

 言われてみれば、似ていなくもない……か? ライサは勝気だし、エドアルトさんは少し気弱そうだから、印象が真逆で気付かなかったけれど。

 兄妹だと知って、疑問がまた首をもたげた。若い兄妹がどちらも死ぬような何かが、あったのだろうか? 戦争? 流行り病? どちらにせよ、ありえないことではないだろうけど。


「ライサ!」


 優雅な美形兄妹の会話も、私の思考も、突然の怒声によって破られる。現れたミハイルさんを見て、ライサが「げっ」と漏らしてから、慌てて口を押える。


「書斎の本を散らかしたのお前だろう!」

「それではお兄様、ご機嫌よう」

「待て!」


 挨拶もそこそこに、ライサが空を滑って逃げていく。二階の窓の向こうに消えていくライサを視界で追いかけてから、ミハイルさんも階段の方へと早足で去っていく。


「……力を使って捕まえればいいのに」

「力?」

「当主には幽霊達を強制的に従わせる力があるんだよ。そういえば僕にも使わなかったな」


 そんな力があるならば、私が庭の果実を欲しがってエドアルトさんを怒らせてしまったあのとき――、あのときこそ使えば良かったのではないだろうか。私が思ったことと同じことを、エドアルトさんも思ったようだった。


「ミハイルさんは……人を無理やり従わせるのが嫌いなんじゃないでしょうか」

「僕らは人ではないよ、ミオ」


 寂しそうな顔で、エドアルトさんが微笑む。しくりと胸が痛い。この空気を払おうと、私は話題を変えた。


「そう言えば、エドアルトさんとライサって兄妹だったんですね。知りませんでした」

「うん。嫌われているけどね」


 エドアルトさんがますます寂しそうな顔をする。明るい話にしたかったのに、私は選択を誤ったようだ。いや、でも。


「そんな風には見えませんでしたけど」


 あのいっつもツンツンしているライサが、お兄さんの前では随分淑やかになって。むしろ好きだから良く見せたいのかと思えた。


「僕にだけ他人行儀でしょ。でも仕方ないよ。僕は彼女を救えなかったから」


 ふと、エドアルトさんの視線が逸れる。彼が俯いたので連られて私も下を向くと、エドアルトさんが屈んで地面に落ちた花に手を伸ばしていた。だけどその指先は花を通り抜けてしまう。彼は、少し寂しそうに微笑んでから先を続けた。


「本当はね……『ライサ』という名前は、彼女の双子の妹のものなんだ。五歳の時に病死してね。母上はその事実を受け入れられず、姉をライサだと思い込んでしまった」


 彼の口から淡々と語られたのは、意外なライサの生い立ちだった。

 我儘で、高飛車で、悪戯好きで、お人形のように可愛らしい彼女は、生前は蝶よ花よと育てられ、幸せだったと思っていたけど。


「それじゃ、ライサ……彼女は」

「うん。死んだのは妹の方だったのに、母上は姉の方を殺してしまったんだよ。僕がいくら言っても母上は聞き入れて下さらなくて……何もしてあげられなかった。そんな僕をきっと恨んでる」


 エドアルトさんの話に、私は相槌を打つことすらできなくなった。ただ、彼女が『ライサの大事なぬいぐるみ』と言っていた理由はわかった。あれは彼女の妹のものだったんだ。それを大事にしているということは、ライサは妹を恨んではいないのだろう。彼女が憎んでいるのは外の人間だけで、母や兄に対する恨み言なんて、一言だって聞いたことがない。


 だからといって、部外者の私がエドアルトさんに「そんなことない」なんて軽々しく言えないよね……。実際私もライサから聞いたわけじゃないし。


「ライサの……本当の名前を聞いてもいいですか?」

「恥ずかしい話、覚えていないんだ。誰も覚えていなかった」


 そう言って、エドアルトさんは立ち上がった。ふわりと優しい風が吹いて、足元に落ちていた花を私の抱える花束の上に運んだ。

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