第13話 仲直り

 気が付いたら夜が明けていた。リエーフさんが置いていってくれた夕飯にも手をつけないまま、早朝、私はミハイルさんの部屋の扉を叩いた。


「朝早くにすみません。ミオです」


 名乗るとすぐに部屋の扉が開く。


「どうした。幽霊どもに何かされて、ようやく音を上げたか?」

「だとしても、泣きつかないと言ったはずですが」


 しまった、また言い返してしまった。どうしてこう、この人を相手にすると私は余計なことを言ってしまうのだろうか。


「いちいち噛みつくな。こういう言い方しかできないだけだ……人と関わる機会がないから直す必要がなくてな」


 ……この屋敷で、生きている人間はミハイルさんだけ、か。改めて考えてみれば、それはあまりにも孤独だ。言葉に気が回らなくても無理もないだろう。


「……いえ。こちらこそ失礼しました」

「で、要件は?」


 腕組みをして私を見下ろしながら、ミハイルさんが短く問う。その偉そうな態度も人と関わってこなかった産物なのだろうな……。


「今何か俺に対して失礼なことを考えていなかったか?」

「決してそんなことはありません」


 鋭い。今度は何も言わなかったのに。

 慌てて営業スマイルを貼り付けながら、私は抱えていたぬいぐるみをミハイルさんに向けて差し出した。


「ご相談したいことがあって。……これなんですけど」

「これは、ライサの? あいつがそれを手放したのか」


 珍しく、ミハイルさんが驚愕の表情をする。


「無理を言って借りたんです。直したいからと」

「それでも……、いや話が逸れたな。で、俺に相談とは」

「この子の元の顔をご存知ないですか? 腕も目も取れかけていたから、私にはわからないんです。これでライサが許してくれるのかどうか」

「どうだろうな。あいつがこんなことで他人になびくとは思えないが」


 言い方が悪かった。ミハイルさんの答えは、私が欲しいものではなくて、首を横に振る。


「そうじゃなくて……、ぬいぐるみって少し目の位置が違うだけでも別の個体になってしまうんです。だから不安で。ライサと仲良くなれるかどうかではなく、単純に、この修理で大丈夫なのかって」

「……同じようには見えるが。そもそも俺にはそんな微妙な違いなどわからん」

「そう……ですよね……」

 それはそうだ。ぬいぐるみの僅かな表情の違いを気にするほど思い入れがあるのは、その持ち主だけだろう。最初からそれはわかっていたものの、不安を拭い切れなかった。


「なぜ俺に聞いた? リエーフに聞いた方が確実だと思うが」

「私もそう思ったんですが、リエーフさん、部屋にいなくて。それで仕方なく」

「……ほう……」


 何か言いたげにミハイルさんが腕を組み、はっとする。私、今中々に失礼なことを言ってしまったのではないだろうか。


「俺はこの屋敷の当主で、お前は使用人だ」


 持って回った言い方だが、何を言いたいかはひしひしと伝わってくる。主人に対する礼儀がなっていないと言うことだろう。


「申し訳ありませんでした。以後気を付けますので、クビにはしないで下さい……」


 失礼なことをした自覚はあるし、詫びる他もなく、深々と頭を下げる。だけど返事がなくて、冷や汗が頬を伝う。ライサと仲良くなれても、ミハイルさんに嫌われては元も子もない。それからも待てど暮らせど、下げた私の頭に声が掛かることはなく。

 恐る恐る顔を上げた私の目に映ったのは、今まで見たことのない、ミハイルさんの面食らったような表情だった。


「あの……?」

「ん……ああ。今まで暇をくれと泣いて喚かれたことは数あれど、クビにするなと懇願されたことなどなかったものでな」


 皮手袋をした右手を顎に当てながら、ミハイルさんが呟く。……珍しい。いつも近寄りがたい雰囲気を感じていたけど、今のは少し素が出ていた気がする。


「まあいい、今回は大目に見てやる。しかし……」


 逆説で切るものだから、ほっと吐き出しかけた息が途中で止まった。クビにされない代わりに、何か罰でもあるのだろうか。身構えた私にミハイルさんが手を伸ばす。いや――私にではなく、正確にはライサのぬいぐるみに。


「どうやって直した? 外に持ち出して魔法で直したのか?」

「いえ、リエーフさんに裁縫道具を借りて、自分で」

「掃除以外にも特技があるのか、お前」


 ミハイルさんも結構失礼だと思うけど、ミハイルさんは雇い主だし、それに言われても仕方がない自覚もある。


「私の中ではこれも掃除と同じというか……キレイにするのが好きなんです」

「結局そうなるのか。ぶれない奴だな」

「でも、ミハイルさんがこの子が壊れる前を知っているの、意外でした。てっきりもっと昔のことだと思ってたから、それでリエーフさんに聞こうとしたんです。だからさっきのは、別にミハイルさんのことを信用していないとかではなく……」

「その話はもういい」


 ちょっと言い訳したかったんだけど、蒸し返さない方が良かったようだ。ミハイルさんのムッとした様子を見て口を噤むと、彼は溜息を挟んで言葉を継いだ。


「知ってて当然だ。そもそも、そいつをそんなにしたのは俺だからな」

「え!? どうしてそんな大人げないことを」


 ジロ、とミハイルさんが私を一瞥する。あああ……私の馬鹿。幸いにしてミハイルさんは私の失言を責めはせず、むしろ肯定する。


「大人気なくても仕方ないだろう。ライサの見目より幼い頃の話だ」


なるほど……。ああ、それでライサはミハイルさんを嫌っているのかな。私も幼稚園のとき、同じクラスの男の子にお気に入りのキーホルダー壊されたことある。あのときはめちゃくちゃ泣いたなぁ。


「なら……、今からこれを返しに行くんですけど、ミハイルさんも一緒に行きませんか?」

「なぜ俺が?」

「今ではもうミハイルさんの方がずっと大人なんですし、謝ってあげたら……どうかなと……」


 一言告げるごとに、彼の表情に凄みが増して行く。それに伴って、私の言葉は尻すぼみに小さくなる。だけど……きっと彼は怒らない。

 だいぶミハイルさんのことがわかってきた。この人は、たぶんとても誇り高い人。

 幽霊嫌いだと言いながら、恐れるような態度は見せないし、いつだって毅然としてる。表情が薄くて言葉も少ないから、冷淡で偉そうにも見えてしまうけど、決して自分より弱い立場の相手を力尽くで従わせたり、思い通りにしようとしたりはしない。

 だから、今だって。


「……ライサの居場所はわかっているのか」

「それは……、わからないから今から探そうかと」

「だろうな。着いてこい」


 そう言って、ミハイルさんは上着を羽織ると、部屋を出た。やっぱり、一緒に来てくれる。言葉は冷たいけど、私が傷つかないよういつも気遣ってくれてる。

 屋敷の使用人たちも、幽霊たちも、婚約者さえも。ミハイルさんのせいで去ったという話だった。

 だけどこの人……リエーフさんの言う通り、本当は優しい人なんじゃないかな。


「あら坊や。なんのご用?」


 ミハイルさんの後を追ってテラスに出ると、上からライサの声が降ってきた。風が強いのに、ライサの長い髪は少しも揺れていない。風の冷たさよりも、その光景の方がどこか肌寒い。

 ライサは柵の上に浮かんで、目を細めてこちらを見下ろしていた。挑発するような物言いに、だがミハイルさんは何も言い返すことはなく、私に視線を走らせる。私はうなずき、一歩ライサの近くに進み出た。


「大事なぬいぐるみ、貸してくれてありがとう。私なりに精一杯直してみたけど、どうかな?」


 彼女の足元で、私は直したぬいぐるみをかかげた。ふわっと私の手からぬいぐるみが離れ、彼女の手の中におさまる。いつも通りライサはぬいぐるみを抱えると、愛おしそうにぎゅっと抱きしめた。その様子は、満足してくれたように見えたけど。


「少し……顔つきが違う気がする」


 彼女が零した言葉に、心臓がキュッと収縮する。でも、取り返しがつかないことじゃない。


「じゃあ、直すから教えて。あなたの記憶の通りになるまで、私、何度でも直すから」


 実を言うと、そう言われることは予想していた。だからためらいなく答える。すると、ライサは意地の悪い笑みを浮かべた。


「ふぅん。今、何度でもと言った?」


 ……もしかしてライサは、何度やり直しても、どんなにキレイに直しても、私を認めないつもりかもしれない。それだって、考えた。

 だけど――それでも。

 仲良くなれるかどうかは二の次だ。今はただ、満足してもらいたい。私の仕事で。

 再び口を開きかけた私の前に、ミハイルさんが進み出る。


「待て、ライサ。それを壊したのは俺だ。俺に嫌がらせをするならわかるが、ミオは関係ないだろう。お前の行いは当主として看過できない」


 心臓が跳ねる。

 今、私の名前呼んだ?

 てっきり忘れているのかと思うほど、呼ばれたことなかったのに。


「じゃ、なに? アンタが直してくれるワケ?」


 ライサが笑みを消して、ミハイルさんを見下ろす。


「それは、俺にはできん」

「だったら、何ができるのよ、アンタに」

「すまなかった」


 今まで冷ややかだったライサの目が、驚いたように見開かれる。


「壊して悪かった。俺には詫びることしかできんが……」

「……つまらない」


 言葉の通り、ライサが愛らしい顔をつまらなそうに歪ませる。


「死んでも謝らないって言ってた坊やが、もうこんなに大人になるなんて。ズルいわ、生きてる人間は」


 そう呟くと、ライサは私たちが立っているところまで降りてきた。こちらを見上げる大きな瞳から、敵意は綺麗に消えていた。


「許してあげる。あたしの方が年上だしね。それと、ミオ」


 私の名を呼んで、ライサがにこっと可愛らしい笑みを見せる。


「顔は少し違うけど、今の方が嬉しそうに見えるから、これでいいわ。ありがとう、ライサの大事な子を直してくれて」

「う、うん……?」

「でも勘違いしないで。この子に触ったことは許してあげるけど、アンタを認めたわけじゃないから」


 言うなり、ライサはくるりと背中を向けて、そのまま朝焼けの空に溶けるように姿を消した。それはつまり……掃除の妨害はやめない、ということかなぁ……。


「もうアイツは、お前の邪魔はしない」


 私の心を読んだかのように、ミハイルさんが声を上げる。


「素直じゃないが、受けた恩には真摯だ」

「あれで良かったんでしょうか。顔が違うって言ってましたけど……」

「最高の仕事じゃなければ、あの笑顔は見られないだろう」


 ライサの笑顔は、確かに屈託なく、幼いのに素晴らしく美しかった。じわじわと、仕事を認めてもらえた充実感が胸に広がっていく。


「ありがとうございます、ミハイルさん。一緒に来てくれて。それに、ライサに取りなしてくれて」

「俺は礼を言われるようなことはしていない。お前の仕事の結果だ、ミオ」


 あ、また……名前呼んだ。


「私の名前、覚えててくれたんですね」

「お前こそ忘れたか? 俺は去る者の名は覚えんと言ったんだ。……昨日は寝てないんだろう。今日は掃除はいいから休め。当主命令だ」


 相変わらず、口調はぶっきらぼうだし、見下ろす瞳は冷たいけれど。

 去る者の名は覚えないと言いながら、私の名前を呼んでくれた。

 当主の命令だと言った。

 ひとまずは、認められたんだ。この屋敷の使用人として。認めて貰えるに足る仕事ができたんだ。ライサだけでなく、ミハイルさんに対しても。


「――はい! ありがとうございます!」


 去っていく彼の背に向かって、私は深々と頭を下げた。

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