第11話 仲直りのために・1

 幽霊たちの気配がなくなったのは、当主が現れたからなのだろうか。それとも、何か言ってくれたんだろうか。ともあれ、冷めた目でこちらを見るミハイルさんに、私は落ち込んでいるのを悟られないよう、いつもと同じ声を上げる。


「……見ていたんですか」

「ライサが煩くて、おちおち本も読んでいられんのでな。文句を言いに来た」


 肯定もしなかったが否定もしない。多分、見ていたんだろう。


「辞めません」

「どうせまた荒らされる」

「構いませんよ。好きなお掃除がずっとできるんですから、ありがたいくらいです」

「……いつまでも強がって、心身を壊しても知らんぞ」


 小馬鹿にしたような言い方に、つい言い返しそうになってしまうけど。

 確かに強がっていた。声をかけてくれなければ、もしかすると泣き崩れていたかもしれないから。


「ありがとうございます」

「何故礼を言う?」

「声をかけてくれて。心配してくれたんですよね」

「救いようのないほどめでたい頭だな」

「掃除のことしか考えられない頭ですので」


 ……おかしいな。お礼を言いたかっただけなのに、気が付いたら皮肉になっていた。ミハイルさんが苛立ったように眉間に皺を寄せる。


「お前は幽霊が怖くないのか?」

「怖くない……わけじゃないですけど、脅えて逃げ回るほどじゃないですね」


 答えながら首を捻る。なんでかは自分でもよくわからない。ホラー映画とかは苦手だけど、ここの幽霊はそうグロテスクなわけじゃないからかな。


「死人だぞ?」

「そうですが、あまりそういう感じがしなくて。話してても普通の人間と変わらないですし」

「それは……恐らくここに来たばかりだからだな。長年まったく姿が変わらない様を目の当たりにすれば、嫌でも奴らが普通の人間じゃないとわかる」


 普通じゃないくらいのことは、もうわかっているけど。でも私からしてみれば、魔法を使えるという時点でこの世界の人みんな普通じゃないし。


「ミハイルさんは嫌いなんですか? ここの幽霊たちが」

「好きになる要素がどこにある?」


 ミハイルさんの鋭い目がギロリと私を睨む。でも何かもう、それにも慣れてしまった。

 彼が幽霊嫌いということは、リエーフさんから聞いてるから知っている。ミハイルさん自身も、今間接的にだけど嫌いだと言った。だけど私には、あまりそうは思えない。


「昨夜、ここの幽霊たちのことをまとめていて気付いたんですけど。ミハイルさんて屋敷の幽霊たちについて詳しいですよね。顔も名前も性格も、すぐわかるじゃないですか」


 庭に近づくなと言ったのも、すぐにエドアルトさんのことを考えたからだろう。それに謝罪させたときの話の持って行き方も、彼の性格を把握していないとできないものだった。


「薬品に詳しい人がいないかって私とリエーフさんが話してたときも、すぐ名前を出していました。嫌いなものについて、そんなに詳しくなれるでしょうか?」


 少し、しゃべり過ぎただろうか。なかなか返ってこない返事に不安になる。謝ろうかと唇を湿らせた頃、ようやく彼は口を開いた。


「それは、生まれた時からずっとこの屋敷にいるんだから当然だ」

「そうでしょうか? 顔と名前だけならそうかもしれませんけど……」

「言っただろう。俺はこんな幽霊屋敷、一刻も早く出て行きたいと」

「でも、出て行っていませんよね」


 またミハイルさんが押し黙る。

 今しゃべり過ぎた思ったところで、またやってしまった。

 でもたぶん……表情が薄くて、目つきが鋭いからそう見えるだけで、この人は別に怒っているとか不機嫌とかいうわけではないんだろう。

 というよりむしろ、最初からずっと気にかけてくれてる気がする。

 眠れているかとか、無理するなとか。それも、言い方や余計な一言のせいでわかりづらいけど。

 

「……出て行ったところで、リエーフに連れ戻されるがオチだからな。ウソ泣きしながら説教するに決まってる」


 ややあって、ミハイルさんはボソリとそう答えた。それはなんだか目に浮かぶ。と和みかけて、ふと私はかねてからの疑問を思い出した。


「そういえば、どうしてリエーフさんだけが特別なんですか?」

「さあな。どうしてこの屋敷に幽霊が住むのか、なぜ魔法が使えないのかも俺は知らん」


 先回りするように釘を刺される。本当に知らないのか、はぐらかすためなのか、今の時点じゃその判別はつけようがないけれど。

 結局掃除を円滑にするには、幽霊たちと友好的な関係を築くのが一番早そうだ。 


「何度も言うようだが、興味本位で首を突っ込まない方がいいと思うぞ」

「興味本位ではありません。掃除を円滑に進めるための一環です」

「呆れる」


 一言で切って捨て、ミハイルさんは肩を竦めてから言葉を継いだ。


「掃除をするために幽霊たちと親しくなるつもりか? 俺は勧めんがな。……アラムもお前に興味を示してはいたが」

「アラム?」


 聞き覚えがあるような名前だがどこで聞いたか思い出せず、その名を拾って復唱する。


「お前も会いたがっていただろう。薬品に詳しい幽霊だ」


 その説明で繋がった。そうだ、私が薬品に詳しい人を探していたとき、ミハイルさんが口にしていた名前だ。


「会えるんですか?」

「会うと言っていたが、その後は姿を見せずじまいだ。俺も奴は何を考えているかわからん。それほど変わり者だが、それでも会うのか」

「はい。薬品で洗剤……、掃除に必要なものが作れないか知りたいんです」


 ミハイルさんの目が、呆れより憐み寄りになった気がする。どうしようもない掃除女だと思っているんだろうな。実際そうだからいいけど。

 確かに、私には危機感が足りないのかもしれない。でも中庭で頬を切ってしまったとき、たかが軽い切り傷ごときで、リエーフさんもエドアルトさんも、ミハイルさんでさえもあんなに気にしてくれたくらいだ。ひどいことにはならない気がする……というのはあまりに楽観的すぎるだろうか。


「忠告はちゃんと覚えています」

「どうだかな」


 答えると、ミハイルさんはフン、と鼻を鳴らして踵を返した。その靴が小枝を踏んで、パキ、と小さな音を立てる。それを見下ろしてミハイルさんは顔をしかめた。


「ライサめ。少しきつく言うか……」

「待って下さい!」


 彼のひとり言が聞こえて、とっさに私は彼の腕を掴んだ。

 驚いたように、ミハイルさんが私を振り返る。


「ライサを叱らないでくれませんか?」


 そう言うと、彼は不可解な顔をした。


「なぜ? あいつにはお前も迷惑しているんじゃないのか?」

「でも、まだ子供ですし」

「見た目はそうだが、あいつは俺やお前よりずっと永く――」

「永く『生きている』わけじゃない、ですよね? だったら子供のままではないですか?」


生きていれば、色んな経験をして、学習をして、それで大人になっていく。でも体を失った幽霊じゃそういうわけにはいかないだろう。まして、お屋敷から外に出られもしないのに。

 そう考えてみると、幽霊たちが外の人間を嫌いなのも納得が行くような気がした。


「同情か?」


 ミハイルさんの顔に、少し嘲りが見える。偽善者だとでも思われたのだろうか。だとしたらそれは見当はずれだ。別に憐みでも優しさでもなんでもない。


「そうではありません。もしミハイルさんが当主としてライサを注意すれば、ライサは私が唆したのだと思うはずです。そうすれば妨害はさらに酷くなりかねませんし、私に対する印象も悪化すると思うんです。有体に言って、迷惑です」


 ミハイルさんが私の手を振り払って、溜息を吐く。


「後で泣きついても知らんぞ」

「そんなことしません」

「だろうな」


 予想外な返事を残して、今度こそミハイルさんが場を後にする。……少しは私のことをわかってくれたのかもしれない。


 確かに楽観的なところはあると思う、自分でも。でも悲観的なことを考えたらやっていられないもの。掃除がうまくいかないことも、この世界でこれからどうなるかとかも、そもそも元の世界に帰る方法があるのかとかも。私には不安要素しかない。何かしていないと、何か考えていないと。それが掃除のことであるのは不幸中の幸いだ。


 ミハイルさんが立ち去ると、私はリエーフさんの部屋に足を向けた。とにかく、ライサとこのままの関係なのはまずいと思う。今のうちに掃除を進めたところで、どうせまた駄目にされるだけだ。そしてここをうやむやにすませてしまえば関係の修復は難しくなるだろう。

 今はまだ、ライサの私に向けられる感情は嫌悪くらいで済んでいる。けれどこれがハッキリと憎悪に代わってしまったら、和解は無理だ。といって、リエーフさんの部屋に向かったのは、彼にとりなしてもらおうというわけではない。私自身でなんとかしないと、ライサはきっと私を許さないと思う。 


リエーフさんの部屋の扉をノックすると、幸いすぐに返事があった。

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