第7話 洗剤を求めて

 ライサに謎の宣戦布告をされてから、妨害はさらにエスカレートした。


 今日もあまり掃除は進まず、クタクタになりながらも掃除用具を片付けていると、ふいに良い匂いが漂ってくる。あっちは確か、キッチン。ついふらふらとそちらに足が向く。


「おや、ミオさん。どうしましたか、疲れた顔をして」


 エプロンをつけたリエーフさんがお玉を片手に声を上げる……エプロン似合うなこの人。

 疲れた頭でどうでもいいことをボンヤリ考えていると、唐突にリエーフさんがパアッと顔を輝かせ私に詰め寄ってきた。


「指輪! つけて下さったんですね!」


 お玉を放り投げて私の両手を握りしめ、リエーフさんが感極まったように叫ぶ。これじゃなんだかリエーフさんにプロポーズされてるみたいだ。


「左手の薬指にって申し上げましたのに!」

「サイズが合わなかったんです!」


 のけぞりながら答えると、リエーフさんは「ああ」と言って私の手を離した。


「それは、気が回らず失礼をいたしました。次に街に行くときサイズを直してもらいましょう」

「いえ結構です」


 真顔で言うリエーフさんに、真顔で返す。そしてこの話を終わらせるべく、話を変える。


「リエーフさんて街に行ったりするんですね」

「ええ、この屋敷の中でできることにはどうしても限度がありますから。わたくしが外に行くのも、外のものを持ちこむのも、幽霊たちはよく思っていないのですが……ご主人様にはできるだけ不自由な思いをしてほしくないのです」


 胸に手を当てて、今まで見た中で一番優しい顔をする。リエーフさんって何考えてるかわからないけど、この顔見てると主思いなのは確かなんだろうなって思う。

 でも、どうして幽霊は外が嫌いなんだろう。ライサも外の人間が嫌いだって言っていた。それが妨害の理由なら、突き止めれば解決の糸口になるかもしれない。


「リエーフさん、どうして幽霊たちは外のものが嫌いなんですか?」


 率直に聞いてみると、リエーフさんは首を捻った。


「そうですねぇ……単純に、自分たちは外に出られないからでは?」

「そうなんですか? でも今リエーフさん、街に行くって」

「わたくしは……特別なんです。長く幽霊をしていますから」


 唇に人差し指を当てて、にっこりとリエーフさんが微笑む。うーん……この人にもこの屋敷にも、まだまだ謎が多すぎる。


 そこまで考えて、思考するのを一度止める。私はこの屋敷に謎解きをしに来たわけではない。住処を求めていたのであって、そのためには掃除さえしていればいい。幽霊屋敷なのも、それによって人が寄り付かないから私が働けると思えばありがたくすらある。


 考えてみれば、別に構わないではないか。

 幽霊がいても私に危害を加えるわけでなし、不気味と言うなら魔法だって大差ない。ライサの妨害には辟易するけど、また片付ければいいだけの話。リエーフさんの様子じゃ、クビにされる心配はなさそうだし。……だけど、だけど。


 確かに私は掃除が好きだ。住処を求めてここに来た。でも、永遠にキレイにならない場所を掃除し続けるのはストレス以外の何者でもない。掃除が好きだからこそ許せない。キレイにするためにどんな苦労も厭わない、その瞬間のための過程がお掃除なのであって。

 だったらやっぱり……そのためにはライサと仲良くならないといけないし、屋敷の謎を探ることも必要になってくるのかもしれない。


「おっと、料理していたのを忘れていました」


 火が爆ぜる音とリエーフさんの声で我に返る。すっかり考えこんでしまっていた。

 慌ててリエーフさんが鉄鍋を火から降ろす。火にかけられた鉄鍋に直接触れても、火傷しないどころか熱がる様子すらもない。やっぱり普通の人間じゃないんだ。


「私、お手伝いします」

「いえ、ミオさんはお疲れでしょう。部屋でお休み下さい。ご主人様に食事をお出ししたら、ミオさんのお部屋にもお持ちします」

「でも……」


 改めてキッチンを見回してみる。水場の水垢、かまどの焦げ跡を私の目が敏感に捉える。先にキッチンを掃除すれば良かったな。けどキッチンの掃除は専用の道具がないと難しいか。塩素系漂白剤とか……そこまで強力じゃなくても、せめてクエン酸とか重曹とか。


「ちょっとここ掃除しちゃ駄目ですか?」

「お仕事熱心ですねぇ。でも休息も大事です。今日はもうお休み下さい」


 肩を押されてキッチンを出される。その日は結局リエーフさんの言う通り、ご飯を食べてすぐ休んだ。

いつの間にか、夜更け枕元が騒がしいのはなくなっていて、毎日ぐっすり眠れるようになっていた。



 * * *



「やっぱり洗剤は欲しいなぁ……」


 翌朝、庭でシーツを手洗いしながら、私は独り言を口にしていた。今はまだ蜘蛛の巣を払って床を掃くくらいしかできてないし、それすらライサに邪魔されて進んでいないけど……やはり、ゆくゆくはないと困る。酸性とアルカリ性の洗剤、もしくはそれに代わるものが欲しいな。


 天然のものならあるかもしれない。元いた世界で言うなら、クエン酸の含まれる柑橘類とか。オレンジの皮で磨くとシンクがピカピカになるあれだ。この世界の果物に同じ成分があるかはわからないけど、幸い時間はたくさんある。どうせ掃除してもライサにめちゃくちゃにされるだけだし……今日は洗剤を探してみよう。


 そう決めて、シーツを干し終わると、私は脚立を持って中庭へと足を向けた。


 庭はひどい荒れようだった。枝葉があちこちにぐねぐねと伸び、花はなく、枯れ落ちているものも少なくない。でも実をつけてる木もある。一つ拝借、と木に脚立をかけたところで、ぞわりと背中が粟立った。


 ――さわるな。


 聞き覚えのない男の声に、バッと振り返る。でも誰もいない。指輪はつけているから、いるなら姿は見えるはずなのに。


「誰かいるんですか?」


 返事はない。気を取り直して数段脚立を上り、もう一度果物に手を伸ばしてみる。すると突然強い風が吹きつけた。脚立が頼りなく揺れ、咄嗟に木にしがみつく。生い茂る葉がバサバサと唸り、肌を叩いた。

 さっきシーツを干してたときには風一つなかったのに、どうして急に。やっぱり幽霊の仕業なのだろうか。


「誰かいるなら出てきて。話をしましょう!」


 しかし私の説得も空しく、強まる風に脚立がガタガタと悲鳴を上げる。

 駄目だ、倒れる……っ!

 そう覚悟した瞬間、嘘みたいに風は止み、揺れが収まった。


「――何をしてるんだ、お前は」


 驚くほど近くで不機嫌な声が上がる。振り向くと、片手でミハイルさんが私の肩を支えていた。


「は、離して下さい!!」


 脚立を上りかけていたから、身長差が埋まって――いつもは少し遠かった顔があまりにも近くて、不覚にも動揺した。思わず叫ぶと、ムッとしたように彼が手を離す。


「助けてやったのに随分な態度だな?」

「す……すみません。ちょっと驚いて……」

「この屋敷のこと、リエーフから聞いているんだろう。あれだけ妨害されてまだ懲りないのか」


 驚いたのはそっちではないのだけど。いや、風にも少し焦ったけど、あのまま倒れてもせいぜい打ち身か擦り傷くらいだったし。

 それより、助けてくれるとは思わなくて。駄目だ、意識してるわけじゃないのに顔が熱い。女性ばかりの職場にいたし、彼氏とかいたことないし、家族以外の男性と関わることがほとんどなくて。免疫がないのだ。

 なんてこと、絶対ミハイルさんにもリエーフさんにもバレたくない。


「あの実が欲しかったのか? あれは酸味が強くて食えん。小腹が空いたならリエーフにでも言え」

「違います、そんなに意地汚くありません」


 幸い気付かれなかったようだ。デリカシーのない物言いに、顔を隠して脚立を降りてここぞとばかりに言い返す。しかし酸味と聞いてますます興味が増した。


「掃除をするのに使えるかと思ったんです。私がいたところでは、果物の皮を掃除に使うこともあったので」

「そんな話は聞いたことがないな。第一外では掃除など魔法でできるだろう」

「あ、ええと……」


 ミハイルさんが腕組みをし、怪訝な顔で私を見下ろす。しまった、そうだった。どうしよう。異世界から来たこと、別に隠すことではないけれど。果たして信じてもらえるだろうか? 頭がおかしい奴だと思われないだろうか。でも、下手に嘘をついて信用を失うよりはいいか。


「……信じてもらえないかもしれませんが、私はこの世界とは別の世界から来ました。そこには魔法などありませんでしたので」

「そうか」


 ……あっさりと会話が終わってしまった。結構思い切ったカミングアウトだったんだけど。

 もしかして異世界の人は私以外にもよくいるのか。それとも、端から信じていないのか。


「信じてくれるんですか?」

「というよりどうでもいい。俺にとって人間は生きてるか死んでるかの二種類だけだ」


 さすがにちょっと雑じゃないかとは思うけど、幽霊が存在してるなら異世界人がいても驚くことではないのかもしれない。


「しかし、事情はなんとなく察した。この世界で魔法が使えなければ生きていくにも不便だろう。そこに魔法が使えないこの屋敷の話を聞いて来たということか。使えないということは、使わなくていいということだからな」


 見事に見抜かれてしまい、その通りだったので私はうなずいた。そして、信じてもらえたついでに、もう一つの目的についても話しておくことにする。


「仰る通りです。それに、私は元の世界に戻る手掛かりも探しています」

「それならここを出た方が賢明だ。俺はこの屋敷のことしか知らん。他の世界のことなどわかるわけがない」


 ふっとハイルさんが嘲笑する。私を嘲っているようでいて、自嘲のようにも聞こえる。

 そして彼が言うことにも一理ある。衣食住を得られても、世界がこの屋敷から広がっていかないのは確かだ。でも、この屋敷に手掛かりがないとも言いきれないのである。そう、例えば……


「……地下には、開かずの扉があるんですよね」


 最初に聞いたときは、そこまで深くは気に留めていなかった。

 だけど、ここは幽霊屋敷だ。幽霊屋敷の開かずの扉なら、異世界に繋がっているという期待をしてもいいんじゃないだろうか。

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