第6話 ライサ

 昨日掃除した部屋に来て、私はげんなりした。


 椅子は机の上に積み重なってピラミッドを作っており。

 屋内なのに床には一面に枯れ葉が敷かれ。

 棚に並べてあったカップは全部テーブルの上。


 切れそうな堪忍袋の緒を、私はどうにか結び直した。これが幽霊の仕業なら、私が怒ったり悲しんだりすれば余計彼らの思う壺だ。

 感情を顔に出すことはせず、まずはカップを棚に戻す。冷静に見れば、棚は別に汚されてないし、これならカップを並べ直して、床を掃いて、椅子を戻せば終了だ。椅子がどけてあるだけ掃き掃除しやすくてありがたいくらいだ。


 さっさとカップを並べて、ホウキを取りに行く。すると突然、ガタガタと窓ガラスが鳴り出した。いや窓だけじゃなく、壁も天井もガタガタピシピシ。これはいわゆる……ラップ音というやつだろうか。

 気味は悪いけど、幽霊がいるのはわかっていることだ。ならば桶が逃げるのに比べればどうってことはない。黙々と床を掃き、椅子を降ろして次の部屋の扉を開く。


 ここは応接間かな。大きなテーブルに、ソファとシャンデリア。家具はどれも埃が積もっているけど傷みは少ない。作りを見れば、一目で上質なものだとわかる。

 今までと同じ手順で、まずは天井の埃を払うため脚立に足をかける。だいぶ慣れて手際もよくなってきた。さて……問題はこの大きなシャンデリアだな。鎖がついていて高さを調節できるようになっているけど、一番下まで下ろしても私の身長だと脚立なしではちょっと辛い。飾りが多いから、作業は慎重にしたいところ。

 だというのに、脚立を運んで足を掛けたそのとき――また部屋がガタガタ鳴り出した。しかもさっきよりも激しくて、床も揺れだした。これでは足場が安定しない。


「ちょっと、部屋を揺らすのやめてくれますか? 足場が安定しなくて困ります」


 無視を決め込むスタンスだったが、ついに観念して私は声を上げた。すると嘘のように揺れが収まる。なんだ、だったら最初から声に出してお願いすれば良かった――


 などと思ったのは早計だった。静寂はごく一瞬のことで、すぐにさっきよりも激しいラップ音が起こり、次いで調度品がガタガタと倒れ、シャンデリアはブランブラン揺れ、桶はひっくり返って、モップが宙に浮いて踊り出す。怒りや恐怖を通り越して、私はしばらくこの惨状をポカンと見つめていた。 

 だがあちこち踊りまわるホウキやモップが目の前を通り過ぎた瞬間、プツンと頭の中で何かが切れた。無言でポケットのファスナーを開けて、例の指輪を取り出す。

 ……元々薬指に嵌めるつもりはなかったけど、どのみち小さすぎて嵌まりそうにないじゃないの……

 いや、それはどうでもいい。ただただ、どんな人――いやどんな幽霊がこの子供じみた悪戯で私の仕事を妨害しているのか、そっちの方が今の私には重要なわけで。


 すみません、ちょっとお借りします!


 と、左の小指に指輪を嵌める。……とくに、何か変わったような感覚はない。本当にこれで見えるようになるのだろうかと半信半疑だったけど……いた。辺りを見回すと、部屋の隅にさっきまでは居なかった女の子の姿が見えた。

 歳は十歳くらいだろうか。波打つ長い金髪と、大きな空色の瞳に、贅沢にフリルがついた水色のドレス。右手にはぬいぐるみを大事そうに抱えている。まるでお人形のような可愛い子。


 なんだ、子ども染みたイタズラだと思ってたけど、本当に子どもだったのか。


「あの、すみません」


 悪ガキ……ごほん、お子様といえど、雇用主宅のお嬢さんである。粗相のないよう気を付けながら声をかけると、彼女はギョッとしたように肩を跳ねさせた。


「まさか、あたしが見えてるの?」


 呟く声もハッキリと聞こえる。私がうなずく前に、彼女はブンブンと首を振って自分で自分の言葉を否定した。


「そんなハズないわよね。偶然、偶然。無視しちゃお!」


 いえ、聞こえてます。

 停止していたモップがまた踊り出すのを見て、私は溜息を吐くと、つかつかと真っすぐに彼女に歩み寄った。彼女はいよいよ驚愕に目を見開いて、無茶苦茶に左手を振り回す。その手がパシッと私の伸ばした手をはたく。

 すごい、この指輪……、見えるだけじゃなくさわることまでできるんだ。だったらもう普通の人間と変わらない。相手が幽霊だという恐怖も消えて、気を取り直して交渉する。


「落ち着いて下さい。私はただ、掃除をさせて欲しいだけで……」

「うそ!? どうしてあたしにさわれるの!?」


 私のお願いは、残念ながらこの少女の耳に届かなかったらしい。どうやって落ち着かせようかと考えていると、ふと彼女は私の手に――いや正確には小指に視線を当てた。


「指輪……っ! ミハイルったらいつの間に結婚したの!? この屋敷に近づく女はみんなあたしが追い払ったはずなのに!」

「ご、誤解です!」


 勘違いされている気がして、咄嗟に否定する。そこで初めて彼女は、私の目を見返してきた。


「それならどうして指輪をしてるのよ」

「これは、リエーフさんからお借りしただけで」

「あんの性悪執事……何を企んでるの……?」


 あ、やっぱリエーフさんってなんか企んでるんだ。いやそんな話をするために指輪をしたのではない。


「それより、あなたがこんなことするのは、もしかしてミハイルさんを結婚させないため?」


 さっき彼女が口にした言葉から推測して聞いてみると、「はぁ?」と心底不愉快そうな声が返ってくる。


「やめてよね。その言い方だと、まるであたしがミハイルを好きみたいじゃない」


 可愛らしい顔を精一杯歪ませて、ギロリと私のことを睨む。


「違うの?」

「当たり前よ! あー、気持ち悪い。あんな貧弱泣き虫坊やに興味ないわ!」


 こんな幼い子がミハイルさんを「坊や」呼ばわりするのには違和感があるが、幽霊なら見た目と歳は関係ないのかな。でも言動も抱えたぬいぐるみにしても大人とは思えない。


「……ミハイルが困っているのが楽しいだけよ」


 その思考回路も、どう考えても子供。幽霊って成長しないのかな? しないか、生きてないんだもの。

 ということは、ずっと死んだ時のままってことなのかな。……つまり。


 この子はこんな幼い歳で亡くなったの? そう思うと、少しやるせない気分になる。


「あの、名前を聞いてもいいですか?」

「馴れ馴れしくしないで。……なぜ邪魔をするかって? ミハイルを困らせたいのもあるけど、それ以上に外の人間が嫌いだからよ」


 さっきの睨みなんて、まだ可愛いものだった。

 愛らしいお人形のような顔から表情が消え、憎悪が浮かぶ。決して忘れていたわけじゃないけど、彼女は幽霊なんだ……そう思ったら、背筋が寒くなった。だけど彼女がそんな顔をしたのは一瞬のことで、すぐに面倒くさそうに宙に視線を投げた。


「でも名前なんて執事に聞けばわかっちゃうわよね。ライサよ。アンタは?」

「あ、名乗らないでごめんなさい。使用人として雇われました、ミオといいます」

「どうしてそんなに掃除なんかがしたいの?」

「それが仕事だからです。それに、キレイになったら気持ちいいでしょう?」


 ふーん、と彼女……ライサは、生返事をしながら改めてまじまじと私を見る。そしてフッと意地悪い笑みを浮かべ、こう告げた。



「だったらあたしは、それを徹底的に邪魔してやるわ」

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