第5話 執事の秘密

「――――ッ!!」


 声にならない悲鳴が零れる。あまりの恐怖に呻き声すら出なかった。しかしすぐに、強張った体をほぐすような穏やかな声が耳をなでる。


「驚かせてしまい申し訳ございません。リエーフにございます。どうぞお静かに」


 口を押えていた手が離れ、バクバクと騒ぐ胸を押さえながら、ゆっくりと振り向く。リエーフさんが唇に人差し指を当てて、にっこりと微笑んでいた。


「好奇心の強い方ですねぇ」


 薄目で私を見下ろす彼が、感心しているのか咎めているのか、その表情からはわからない。

 地下には立ち入るなと言われたけれど、夜間に出歩くなとは言われていない。かといって、勝手に屋敷の事情を詮索するのが良いこととも言えないだろう。


「すみません……」

「見られてしまったからには……仕方ありませんね?」


 声こそいつもと変わらぬ穏やかさだったが、それが逆に怖い。

 スウッと、温厚そうなリエーフさんの瞳が危険に細まる。ゴクリと、私が生唾を呑み込む。

 硬直する私を見下ろして、彼は――


「……事情をお話ししますが、辞めないで下さいね?」


 いつものフレーズを繰り返し、私はやや肩をコケさせた。



 * * *




 曰く、こういうことだった。この屋敷は実際に幽霊屋敷なのだと。


「で、わたくしも実は幽霊なのです」


 はい? と、思わず聞き返す私。だってリエーフさんはどこからどう見ても普通の人間だ。そう言うと、ふふ、と彼は笑った。


「こう見えて、わたくしは千年近く生きていま……生きてはいませんでした、死んでました」


 テヘペロ、という感じで頭を掻く彼を見ていると、冗談にしか聞こえないのだけど……それなら、ミハイルさんが幼い頃から屋敷に仕えている、というのも辻褄があう。それも彼が自分で言ったことだから、確証には至らないけど。


「この屋敷には、わたくし以外にも多数の幽霊がいます。そして代々のご当主は、その幽霊達を従えて暮らしておりました。しかし現当主ミハイル様には、若さや性格以外にも一つ、大きな問題があってですね……」


 そこでリエーフさんは柳眉を顰め、神妙な顔をした。とても、とても重大な秘密を打ち明けるような雰囲気に、緊張しながら先を待つ。

 たっぷりと間を持たせてから、彼は再び口を開いた。


「ミハイル様は、お化けがお嫌いなのです」

「はぁ」


 思わず、間の抜けた声が出た。


「ミハイル様のご幼少のみぎりは、それはそれは可愛らしゅうございました。泣き虫で、ちょっとつつけばワンワンお泣きになるので、幽霊たちも面白がって悪ふざけがすぎたのかもしれません」


 ポケットからハンカチを取り出すと、リエーフさんはそれで目頭を押さえた。

 幽霊なのに涙が出るのか、演技なのか、この人どうもよくわからなくなってきた。


「そのトラウマから立ち直れないまま、若くして屋敷を継ぐことになったミハイル坊ちゃん。性格は捻くれ、不愛想には拍車が掛かり、幽霊嫌いの為に彼らを統率することもできず、やがて使用人も去り、婚約者には逃げられ」

「最後の聞かなかったことにします」

「え、そこが一番悲惨で、情が移ったりするかなって」

「そんな打算でプライベートを暴露されたミハイルさんに、ある意味同情はしますが」


 つい突っ込んでしまったが、リエーフさんは気を悪くした風でもなく、ケロッとした顔でハンカチを仕舞った。代わりに小さな指輪を逆のポケットから取り出す。


「ミオさんにお願いがあるんですが」


 私の右手を取りながら、リエーフさんはそう切り出した。


「もうおわかりと思いますが、ミオさんの掃除を邪魔しているのは幽霊たちです。この指輪を身に着ければ、彼らの姿を見、声を聴くことができるようになるでしょう。どうかミハイル様がこの屋敷の当主として彼らを統率できるよう、お手伝いをしてはくれませんか?」

「そんなことを……言われましても……」


 手の平に乗せられた指輪を見つめ、私は当然ながら困惑していた。


「私はここに掃除をしに来ただけで……」

「でしたら、それでも構いません。ですが姿も見えない者に妨害されるより、相手を知ったほうが掃除も捗るのでは?」


 ……正論だ。この人、私を上手く動かす手管を身に着けつつある。

 うまく乗せられた自覚はあれど、掃除のためと言われると断れない。


「……わかりました。これはお借りしておきます」

「ありがとうございます!」


 ぱぁぁっと笑うリエーフさんの笑顔が。



 ……そろそろ胡散臭く見え始めてきた。



 * * *

 


 そんな夜が明けて。

 寝不足の目を擦りながらも、朝日が昇ると共に目を覚ます。身支度を終えたところで、狙いすましたかのように部屋に響くノックの音。


「おはようございます、ミオさん。朝食をお持ちしました」

「リエーフさんっていつも、私の準備が終わるのを見ているかのように入ってきますよね」

「歳の功でございます」


 ウインクをしながら、リエーフさんがテーブルにクロスを掛けて手際よく食事を並べる。使用人どころか、これじゃ良家のお嬢様だ。三食据え膳を頂いているのだから、私もしっかりお仕事しないと。


「いただきます」


 椅子に座って手を合わせる。その指先をじっと見られているのに気が付いて、私は怪訝な表情でリエーフさんを仰いだ。


「なんですか?」

「あ、いえ。……指輪はどうされました? あれは指に嵌めることで初めて効力を発揮するものなんですが」


 ためらいがちに言うリエーフさんから視線を外すと、私はフォークを置いてジッパー付きのポケットを押さえた。ポケットの上から指輪の感触を感じながら、再び彼へと目を戻す。


「昨夜もお話しましたが、私がここに来たのは掃除をするためです。そのためならどんなことでもしますが、幽霊をどうこうするという話はお受けしかねます」

「しかし今ミオさんは『掃除のためならどんなことでもする』と仰いましたよね。幽霊たちをなんとかしなければ掃除はできないのでは?」


 くっ言い返せない……、やはりこの人は侮れないな。ペースに飲まれないようにしないと。


「ですからこうしてお預かりしていますが、使うかどうかの判断はこれからします」

「成程よくわかりました。もう口は挟みませんが、どうか失くさないで下さいね。それを失くしますと」


 スッとリエーフさんの顔から笑みが消える。もうその演出には慣れたと言いたいところだけど、幽霊がかかわっている指輪だけに、やはりゾッとしない。

 やっぱり呪われたり……するのだろうか?


「ご主人様がご結婚できなくなってしまいます」

「はぁ」


 ……もうこの人のこの手の発言には構えないようにしようと心に決めつつ、よくわからないので聞いてみる。


「なんでそうなるんですか?」

「その指輪は、代々当家の花嫁に受け継がれるものだからです」


 なるほどね、この屋敷に嫁いだ人が幽霊とコミュニケーション取れなかったら不便だものね……ってちょっと待って!!


「返します!」

「どうして?」

「そんな大事なもの、預かれません!」

「構いませんよ、どうせご主人様には許嫁も恋人もいらっしゃらないのですから」

「聞かなかったことにします!」

「是非、左手の薬指につけてあげて下さいね!」

「いや、だから――」

「駄目ですか?」


 意気揚々と喋っていたリエーフさんが突然うるっと目を潤ませ、しゅーんと項垂れる。……そんな顔されると駄目とは言いづらいじゃないか……。


「駄目というか、そもそもよく知らないです」

「容姿は悪くないですよね?」

「まあ……そうですね。一般的には」

「ですよね、ですよね! 性格は少しアレですが、わたくしが誠心誠意お育て致しました自慢の主人でございます。ぜひぜひ」

「かっ、考えておきますので、その話はまた今度で」


 今度は一転、目をらんらんと輝かせて手を組み合わせる。そんなリエーフさんの背中を押して、どうにか部屋から押し出したのだった。

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