第4話 謎の声

 そしてこの日も散々だった。

 さっき拭いたはずの棚は、また埃だらけになってるし。

 磨いたはずの床には泥や足あと。

 片付けたはずのテーブルにゴミの山。

 プルプルと肩を震わせながら、私はホウキをへし折りたい衝動をこらえていた。もちろんへし折らない。何の解決にもならないし、貴重な掃除道具だし。


「辞めたくなったか?」

「はい!?」


 そんなタイミングで声をかけられたものだから、つい返事が荒くなる。しかし振り向いて驚いた。

 ――ミハイルさん。部屋の外に出ているのを始めて見た。


「すみません、失礼しました。何かご用でしょうか」

「いや、通りかかっただけだが。もう嫌だと言わんばかりの顔をしていたから声をかけただけだ」

 

 しまったな……誰もいないと思って気が緩んでいたとはいえ、顔に出ていたなんてプロ失格だ。慌てて営業スマイルを貼り付ける。


「これくらいなんでもありません」

「無理だな。どんなに片付けてもこのざまだ。今までもずっとそうだった」


 荒れた部屋に視線を伸ばし、ミハイルさんがそう吐き捨てる。

 ……一応感謝しておこう。おかげで下がりかけたモチベーションが復活した。「無理だ」「できない」そう言われると、余計に手を引けなくなるのがこの私だ。


「無理かどうか、今の段階ではわかりません」

「この状況でまだわからないとは、呆れる」

「掃除とは、ただがむしゃらに片づければいいわけではありません。それだけではキレイにはできないのです」


 いけない――と思いながら、小馬鹿にしたような言い方にムッとしてしまって。

 突然掃除を語り出した私に、すぐに否定か皮肉を返していたミハイルさんがこのときばかりは押し黙る。それにわずかな満足を覚えながら、隙を逃さず先を続ける。


「まず片付かない原因を考えます。物が多すぎるなら、不要品を捨てる、収納の整頓をする、キレイにディスプレイする。汚れが酷いのなら、その汚れが何なのか……泥か塵か皮脂か、或いは、水垢、錆び――」

「ちょっと待て。何を言っているのかわからんが、そもそもその掃除ができないのでは始まらんだろうが」


 指を折って汚れの種類を挙げている最中で口を挟まれた。腕組みして、変なものを見るように見下ろしてくるミハイルさんを負けじと見上げる。


「少し脱線しましたが、何事も手順を踏んで、原因を追究し対策を講じる必要があると言いたかったんです。汚れを拭うには物を片付けなければならないように、今回はその前に解決すべき問題が一つ増えたにすぎません。これも掃除の一環ですし、まだ考えることも試すこともいくらでもあります」

「俺が無理だと言っているんだ。そんなもの試すまでも」

「自分で何もせず諦めたくありません。納得できません」


 見下ろしてくる闇色の瞳が鋭さを増す。

 ……少し生意気なことを言いすぎただろうか。

 謝るべきか悩んでいる間に、ふとその視線は逸れた。

 

「……大きな口を叩く割には、ずいぶん苛立っていたようだが」


 くっ、痛いところを突っ込んで来る。

 

「……仰る通りですが、苦難が大きいほど、達成したときの喜びも大きくなるわけで……必要なストレスです。キレイなお部屋を苦もなく掃除するより断然燃えます。掃除、好きですから」

「おかしな奴だな。ここで働きたがるのは大方金や住処に困っている者で、掃除がしたくて来ている奴などいなかったぞ」


 確かにお金と住処にも困っているし、言ってることも半分くらいは強がりだけど。でも嘘は言っていない。いや、好きっていうのはちょっと嘘かな。そりゃ、今の会社で掃除をしてるのも生きて行く為だし、やらなくていいならしないかもしれない。それでも、少なくとも嫌いじゃない。


「だって、こんなに広くて大きいお屋敷ですし、キレイになったら絶対に素敵です。屋内の清掃が終わったら、外壁を塗りなおして、棚を作って、お花を飾って……考えるだけで楽しくなります」

「楽しく? この状況で?」

「ほら、桶もホウキも静かになりましたし、根競べだってわかりましたから。根気は掃除に必須ですし、忍耐力にも自信があります」


 腕まくりをして気合を入れると、私は散らかった部屋に向き直った。大丈夫、同じ手順を繰り返すだけだから、さっきよりもっと効率良くできる。

 掃除を再開してしばらくはミハイルさんの視線を感じていたけれど、作業に集中しているうち、いつの間にかその気配は消えていた。



 * * *



 結局、一日がかりで一部屋しか片付かなかった。

 でも、どうやらこのお屋敷にはミハイルさんとリエーフさんしかいないみたいだし、そうそう散らかることもないだろう。いやまぁ……勝手に散らかってるんだけど……。

 焦っても仕方ない。ゆっくりじっくりやろう。


「明日は……、もう少し片付くといいな……」


 睡魔に引きずられて瞼が落ちる。

 あれだけ大きなことを言ってしまったんだ。もう後には引けない。明日はもっと頑張らないと。

 ……ちょっと、余計なこと言いすぎたな。否定や皮肉しか言わないから、ついこっちも意固地になってしまったけど……彼は雇い主だ。


 次に会ったら……今日のことは謝らなきゃ。


 ……



    ――ザワ ザワ ザワ――



 ああ、今日もだ――、今日も誰かが騒いでる。


 パチリと目が開いた。睡魔が遠くなる。

 この屋敷に来て三日目。慣れもあるのか、少し落ち着いたのか。昨日も一昨日も疲れ果てて熟睡していたのに、今日は目が醒めてしまった。




    ――ザワ ザワ ザワ――




 やっぱり聞こえる。

 寝間着にガウンを羽織ると、ベッドを降りて靴を履いた。

 最初からわかっていたことだけど――この屋敷には何かある。それを突き止めることができたら、もしかしたら掃除を妨害してくる『何か』に対抗できるかもしれない。

 手探りでロウソクを探し、月明りを頼りに火を点ける。

 恐怖よりも、掃除を進めたい気持ちが勝っていた。部屋の扉を開けて、声の方に向かって進んで行く。


「……あれ?」


 聞こえてくる声は複数のもので、何を言ってるかまでハッキリとはわからない。だけどその声の中に聞き覚えのあるものが混じっているのに気が付いた。


「ミハイルさんの声だ……」


 あっちは大広間……だったと思う。足音を殺して廊下を歩き、壁にぴったりとくっついて、そっと広間の様子を窺う。ここまできても声はとりとめなく、まるでさざ波のようで喋っている内容が聞き取れない。それに、ミハイルさん以外、大広間には誰の姿も見えない。


「現当主はこの俺だ。俺の許可なく勝手は許さん――」


 ミハイルさんの声は静かだが、怒気を孕んでいる。だがミハイルさんが持つランプの火は、彼の蒼白な表情を映し出している。

 誰かと会話をしているようだけど、相手の声は聞こえない。いや――聞こえるのに聞き取れない。一体誰と、何を喋っているのだろう。思わず身を乗り出した――そのとき。



 突然、後ろから口を塞がれた。

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