第6話・原子

ちょうどそんな頃だ。

38万年もの旅をつづけているヨウシくんは、ひとりの電子「デンシちゃん」を見つけた。

見そめた、といってもいい。

ひと目惚れしたんだ。

ああ、あの子とくっつきたい・・・と願った。

なにしろ、ずっとひとりぼっちの旅人生だったからさ、わかるよね。

ヨウシくんは、思いきってデンシちゃんに声をかけてみた。

するとどうだろう、相性もピッタシだってことがわかった。

賢明なことにヨウシくんは、相手の血液型をきく前に、電荷をきいたんだ。

はたして、デンシちゃんは、マイナス電荷だった!

しかもクォークの電荷比にして、-1。

+1の電荷を持つヨウシくんとは、ドンピシャの相性だ。

ふたりは、どちらからともなく手を伸ばし合う。

ヨウシくんとデンシちゃんは、ひとつになろうとしている。


ここで少し説明が必要だ。

オカマのチューセーシくんの例を思い出してほしい。

陽子や中性子がひとつにくっつくと、肩を組んで新たな原子核となり、ひとまわり大きくバージョンアップしたよね。

核融合を起こして、水素原子核→重水素原子核、重水素原子核→ヘリウム4原子核、という具合いだ。

陽子と中性子は、生まれが一緒、つまり同じクォーク三つからできている同種族なものだから、こんなふうにべたべたと親密なつき合い方ができる。

だけど電子は、クォークではできていない、まったくの別素性だ。

それどころか、電子は、単体でクォークみたいな素粒子(それ以上はふたつに分けることができない粒)なんだ。

素粒子が三つ集まってできた陽子や中性子とは、構造からして違っている。

だから、陽子が電子とくっつく場合は、核融合とはまったく異なる結びつき方となる。


ヨウシくんに見そめられたデンシちゃんは、求めに応じ、このすてきな男の子に寄り添うことにした。

-電荷を帯びた小さなからだが、+電荷の大きなヨウシくんに向かって引きつけられていく。

ああ、手が届く・・・

だけどデンシちゃんは、ヨウシくんにべたべたと密着はしなかった。

核融合は起きない。

おてんばなデンシちゃんは、ヨウシくんと同カクの原子核の立場におさまろうとはしなかったんだ。

そのかわりに、彼女はヨウシくんの手を取ると、彼を中心にして周囲をくるくるとまわりはじめた。

ヨウシくんもまた、デンシちゃんの手をしっかりと握りしめ、彼女のからだを振りまわす。

くるくるくる・・・

それはまるで、地球と月の関係のようだ(まだこの頃の宇宙には、地球も月もないけどね)。

水素原子核である陽子と、その周りを衛星のようにめぐる電子。

ふたりは「原子」となったんだ。

なんて感動的な場面だろう。

ここに、世界で最初の「物質」というべきものが誕生した!

原子は、それそのものがすでに、一個の物質といえるんだ。

わーっ、この世でついに、最初の元素である「水素」が出現したんだよ。

これは、なんにもないなんにもないまったくなんにもない宇宙で、いよいよわが物質世界がつくりはじめられた、ってことだ。

そのときだ。

あたりの景色も、まるでふたりを祝福するかのように変わりはじめた。

それまで電子に通せんぼをされてきた光は、周囲のいたずら娘たちが次々に陽子とくっついてくれるおかげで、自由の身になった。

ストレスから開放された光は、クリアな道をまっすぐに飛べるようになる。

するとどうだろう、宇宙空間がスッキリと透き通ったんだ。

曇り空がひらき、宇宙全体が晴れ渡ったんだよ。

この事件を、文字通りに「宇宙の晴れ上がり」というよ。

陽子と電子が結びつき、新たに生まれたたくさんの水素原子たちは、見通しのよくなった宇宙へ意気揚々と散開していく。

ヨウシくんとデンシちゃんの水素原子も、晴ればれとひらけた空に向けて旅立つ。

手をつないで、回転運動をつづけながら。

ヨウシくんは、デンシちゃんに夢を語った。

ぼくらは世界をつくるんだ・・・と。

デンシちゃんは、すてきね・・・と言った。

そして、ふたりで顔を見合わせて、笑った。

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