北からの侵入者

 女神は祭祀も仕事でこれがいっぱいあったの。とりあえず朝は日の出の祈りが二時間ぐらいあって、日の入りの祈りがまた二時間。十日に一回は昼間に三時間ぐらいかかる十日祭、月に一回の半日以上かかる月例祭。元がアラッタの女官やけど、その時以上にユッキーはキッチリやるのよね。


 これに春夏秋冬の大祭が加わるの。春秋の大祭の責任者はコトリ、ユッキーは冬至祭と夏至祭の担当。祭の様相としてコトリが担当していた春秋の大祭はフェステバル的な要素が濃くて、ユッキーが担当していた夏至祭、冬至祭は祭祀重視の色合いが強かった、いやガチガチやった。


 ユッキーには悪いけど、冬至祭、夏至祭にはウンザリさせられた。とにかく祭祀中の女神は飲み食いどころか、立ちっぱなしで日の出から、夜遅くまで御手洗も休憩も殆ど許されなかったから、毎年憂鬱やったと白状しておく。冬至祭なんてオール・ナイトやで。寒いは、長いは、腹減るは、喉乾くは、ションベンたまらんわで往生した。なんであないに堅苦しいねんユッキーのやつ。あんなもん女神やなかったら、絶対に出来へんやんか。人なら死ぬで。


 ユッキーが祭祀になると異常に熱心なのは主女神への熱すぎる信仰心と、大神官家の娘として純粋培養された名残りやと思ってるけど、そんなユッキーも堅苦しいばかりやないねんよ。コトリが担当する春秋のフェスティバルには文句一つ付けへんかった。それどころか、


「ねえコトリ、今年の目玉はな~に」


 コトリはこういう企画になると暴走したくなる方だけど、ユッキーはそれをむしろ楽しみにしてたぐらい。たぶんだけど、政治には緩む部分が必要と考えてたと思ってる。この年の春の大祭の目玉企画はビール大賞。ビール作りはエレギオンだけではなく同盟諸国に広がっており、一番のビールを選ぼうって企画。賞品は大賞に選ばれたら、次の大祭まで女神印を付けても良い事にしてた。


 女神印も一つにすると選びにくいから、四人の女神が一つずつ選ぶことにした。まあ、二人の女神が選んだりしたら、女神のダブルマークになるかもしれないけど、とにかく女神印は最高品質の証やから、醸造業者は盛り上がってた、盛り上がってた。


 そうそうこの女神印やねんけど、もともとはコトリとユッキーが財政を支えるために必死こいて機織りしてた時に作られたもの。さすがにこの頃は機織りしてなかったけど、エレギオン製品の質の向上のためにコンテストやって授与してた。ここも本音のところをいうと、賞品出すにもカネがなかったから女神印の授与にしたんやけど、これがヒット。


 業者にすればまず女神印の対象商品に選ばれることが名誉だったし。そこで女神印を授与されたら商売繁盛間違いないしみたいな感じかな。だから、女神印に選ばれなくとも、大祭で最終選考に残っただけでも、大成功と思われていたぐらい。これが今回はビールが対象商品に初めて選ばれたんで、エレギオンだけではなく同盟国からもわんさと応募があったの。


「コトリはさすがに知恵の女神ね」


 ユッキーも喜んでた。そりゃ、審査のために夜ともなればビール飲み放題みたいなものじゃない。三座の女神なんて、


「次座の女神様、次はおつまみ大賞も是非一緒に」


 そんな酒盛りならぬ、真剣な審査の真っ最中に飛び込んできたのがモスランからの急使。ちょっと間が悪いと思ったのは白状しておく、そりゃ四人とも出来上がってたし。でも、そんな浮かれた気分を吹き飛ばすぐらい使者の様相は殺気立ってたのをよく覚えてる。


「首座の女神様、モスランが囲まれました。至急援軍をお願いします」


 モスランはクル・ガル山脈の麓に位置する山岳地帯にある都市国家。エレギオンからは一番遠く、ズダン峠から一番近い都市。


「相手は」

「アングマール」


 アングマールはクル・ガル山脈の北側にある都市国家。この地域にも五つの都市国家が成立し、最新の情報では長年の抗争の末に盟主的な立場に就いていた。ただ、敵対姿勢はこの頃は見せておらず、友好の使者が去年に来たぐらいだった。ユッキーの判断は早かった。


「お役目ご苦労。エレギオンは必ず援軍を派遣します。下がって休んで宜しい」


 そこから王や大臣たちを呼び出しての緊急会議。ユッキーも相当飲んでたけど、明日に回せる問題ではないのはわかったわ。会議室に向かう途中でユッキーは、


「コトリ、悪いけど大祭は中止にするわ」


 えっ、と思ったけど、モスランからの使者の様子は尋常じゃなかったから、しゃあないとは思った。でも未練たらしく、


「やっぱりダメ?」

「我慢して!」


 酔っててもさすがにユッキーで、こういうところは厳しいわ。会議になって王や大臣たちも集まって来たけど、時刻と時期のためか誰もが真っ赤、フラフラしてたのもいた。本格的な戦争なんてここ二百年ばかりなかったから大祭近しで、みんな飲んでたみたい。女神も他人のことは言えないけどね。ユッキーがモスランからの使者のことを伝え大祭の中止を話しても、


「大祭が終わってから考えても良いんじゃないですか?」


 こんな意見の出る始末。それだけじゃなくて、


「モスランに援軍を送るとしても、今からじゃ間に合うかどうかわかりませんし、アングマールもモスランを落とせば帰国すると思います」

「モスラン陥落後にアングマールの動きを見てから考えても良いかと」

「そうだそうだ、大祭が終わる頃には情報も増えるでしょうし」

「どっちにしても明日もう一度考えるで今夜はこれぐらいにしましょう」

「それに援軍を派遣すると言っても、軍勢がいないし」


 ふと見るとユッキーの顔が怖いものになっていた。ここ二百年ばかり見てなかったほど怖い顔。


「王よ、非常時に備えての軍備の整備を命じていたはずだが」

「えっ、まだ、その整備中でして」


 聞きながらヤバイと思った。ここ二百年ばかり平穏だったもので、王にしろ大臣にしろユッキーが本当に怖いところを見たことがなかったんだよ。あいつらにしたら、先祖代々見たことがないレベル。女神と言っても、しょせんは女だと舐めてる様子がわかったもの。コトリはこっそり、こっそりとユッキーから距離を取ったんだ。そしたらやっぱりだった。会議室の花瓶から花を抜き捨て、それはそれは怖い顔をして宣告したよ、


「主女神に代わりて首座の女神が宣す。エレギオンは女神大権下になれり」


 そういうと花瓶の水を王や大臣にぶっかけたんだ。エレギオンは平時には女神が指名した王が行政を司る政治スタイルなんだけど、非常時には女神が独裁権をいつでも握れるようになってた。非常時でも王が有能なら任せていたけど、能力が足りないと判断されると女神大権が発動されるの。


 発動は首座の女神であるユッキーがいつでも出せることになってた。それとこれもいつからだったかコトリでさえ忘れちゃったけど、女神大権が宣せられる時には花瓶の水をぶっかける慣習があったの。王や大臣たちにしたら話には聞いたことがあるレベルでビックリしたと思うけど、コトリは前にぶっかけられたことがあったから避けてたってところ。


「直ちに兵を招集し、諸国に出兵の要請を伝えよ。リューオン、ハマ、ベラテとはハマにて合流。高原諸国はマウサルムに集結。王は罷免、セカが将軍となり全軍の指揮を執れ」


 静まり返る会議室は静まり返ったんだけど、ユッキーは重ねて、


「何をしておる、直ちに動かんか」


 酔いもどこへやらで、大臣たちは大慌てで部屋を出て行ったわ。そりゃ、ユッキーが完全に氷の女神になったんだから、怖いなんてもんじゃなかったもの。前王はその場で悔悟院送りになってもた。大臣たちが転げながら会議室を出た後に、


「ユッキー、セカでエエんか」


 ユッキーは思念を凝らしているようだったけど、


「今回はセカでなんとかなると思う。ちょっと苦労した方が良いと思うし。それと次に外征軍を率いる時にはわたしが出る。コトリにばかりに汚れ仕事はさせられない」


 どちらが外征軍を率いるかはそこでもめたけど、その時は保留にしたんだ。その夜からエレギオンは軍勢の編成で大騒ぎになった。祭り気分は吹っ飛び、武器庫から次々に鎧や兜、槍や刀、さらには弓矢が取り出されて、兵に渡されていった。ついに平和は破られ、宿敵アングマールとの戦いが始まる夜となった。

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