6話
——文化祭まであと19日・K——
歴史的な一日は、喫茶店から始まる。
パリの市民革命家じゃあるまいし、と思いながらも、わたしはそのフレーズにどこか期待を寄せていた。今日が壮絶な日になる予感を、根拠もなく感じている。そんなわたしたちの一日は、『銀河鉄道喫茶』にて始まろうとしていた。
二年A組の凝ったステンドグラスは、朝日さえも星空に変える。長く伸びた青い影の中、わたしたちの井戸端会議は朝っぱらから白熱していた。
「それで、一昨日の偵察は上手くいったのかしら。わたしの忠告を無視して現場で覗いてたポンコツ黒幕さん?」
「完全犯罪のプロこと青桐さんに言われちゃ、返す言葉がないね」
野球部部長・長嶋君が肩をすくめる。
「相変わらず竜胆にその気があるのかないのかハッキリしないけど、ちょっとは進展したように見えたかな。俺たちからすれば些細な一歩だけど、あいつらにしてみりゃ大きな一歩だぜ」
「おお、ルイ・アームストロング船長の言葉ッてヤツだな! アポロ11号の」
「……ルイはジャズの巨匠よ。そんなんで大丈夫なのかしら、軽音部長?」
うっせェ、と優希がむくれる。わたしたちのいつもの調子を最初は怪訝な表情で眺めていた長嶋君も、だいぶ慣れたのかケタケタと笑っている。
この奇妙なメンバーが発足されたのはつい最近。葵と有峰君にまつわる諸々の進展をいつものようにいじり倒していたところを、長嶋君が面白がってから始まった。
しばらくは盛り上がるこの話題だけど、冷静になると決まっていつも同じところに帰着する。
「はぁ、わたしたち、なんでこんな女子小学生みたいなことしてるのかしら……」
こんな話で時間が過ぎてしまうことが虚しくなる。
葵は考えていることがわかりやすい反面、奇行に走ると手がつけられない。その手の話が絡めば、間違いなくこちらが面倒を被る。
放っておいたほうが無駄骨を折らずに済むのはわかっているけど、なぜか触れずにはいられない麻薬のような話題なのだ。
「どれもこれも全部有峰がトロいから面倒なンだろ? ったく、葵はあんなデクノボーのどこに惹かれちまッたんだ?」
いかにもじれったそうに優希が毒づく。
ちらりと横目で長嶋君を伺う。
親友をデクノボー呼ばわりされた彼は、表情を崩さず小さく頷いた。
「たしかに竜胆は鈍いし口下手だし、図体デカいくせしてリアクション小さいから、いじり倒しても面白くない」
「えらい言われようね」
この高校、親友を影で罵倒するの流行ってるのかしら?
だけどさ、と長嶋君は続ける。
「あいつに背中押されると、どういうわけか一歩を踏み出せる気がするんだよ。めちゃくちゃ励ましてくれるわけでも、心に沁みる言葉をかけてくれるわけでもないのにさ」
「『妖怪まあ大丈夫』の得意技ね」
「そう、それ。きっと朝比奈ちゃんも、竜胆が絡んだことで勇気を振り絞れた過去があったんじゃないかな」
まるで二人の邂逅を見てきたかのように言い当てる長嶋君の推理に、思わず声が出なくなる。まあ、わたしも葵から聞いた話だから、長嶋君も有峰君から聞いてるのかもしれないけど。
わたしと長嶋君はかなりタイプが似てる。少なくとも、わたしはそう思ってる。
一番の共通点は、今後のシナリオをうまく運ぶために身近な人や材料を分析し尽くすところだ。わたしは舞台演出家として身についた癖だけど、彼の場合はどうして備わったのだろう?
黙って聞いていた優希が不敵な笑みを浮かべていた。
「なるほどな、よーくわかッたぜ! 葵の一番のライバルは、有峰のことを理解し尽くした長嶋ァ、お前だッてことがな!」
「なんでそうなる!?」
「そうね。気持ち悪いくらい分かってるどころか、あなたも有峰君に救われたクチでしょう?」
「なっ、それは……俺は薫ちゃん一筋だ!」
「……お前、まだ諦めてなかったのかよ。相手は新婚だぞ、大丈夫か?」
「り、竜胆?!」
いつのまにか教室に来ていた有峰君が、眠そうな目を覗かせる。昨日の二次審査を終えて、晴々とした表情を浮かべている。相変わらず眠そうだけれど。
目を白黒させながら長嶋君は動揺を見せる。そんな様子だから、有峰君との仲を疑われるのよ。
「よし、じゃあ解散! 竜胆、二次審査通過おめでとう! 軽音楽部と演劇部は今日だっけ、頑張ってな!」
「おうッ! 言われなくても頑張るぜ!」
「長嶋君も運営補助員頑張ってね」
ヤケクソになって教室から飛び出す長嶋君の一言を聞いて、タイムリミットが訪れたことを悟る。楽しい時間は終わり、来たる大一番が目前に迫る。
せめてこの朝が、
「行こうぜ彼方、皆んな待ッてる」
「ええ、お互い頑張りましょう、優希」
——また、下らない話で笑い合えますように。
☆ ☆ ☆
新校舎の東端、わたし以外の演劇部員は既に集結していた。
「いいですか皆様、今年こそあの軽音楽部を完膚なきまでに……あら、遅いですわ彼方。あなたのポジションはとっておきましたから、早く円陣に加わってくださいませんこと?」
「……どこも塞がってて便所しか空いてないじゃない」
ラグビー部か、と突っ込みたくなるほどガチガチに固められた円陣に無理やり体をねじ込ませる。夏の大会以上の熱気が、頼もしい仲間たちの戦いに向けた覚悟を物語っている。
皆んな、勝ちたくてここにいる。
それに応えられるように、わたしは言葉を選んだ。
「最終確認。今回の二次審査は計七分間。わたしが概要を説明したあと、五分間のデモンストレーション。本番の冒頭五分そのままをやるけど、充分惹きつけられるように作ったから問題ないわ。だから、わたしから言いたいことは二つだけ」
大きく息を吸う。そこに生まれた間は、全員の注意を向けるには充分だった。
「絶対に、一秒たりとも空気と時間とストーリーを殺さないこと。わたしたちに与えられた七分間はとっても貴重なものよ。役者も裏方も、最大限にその時間に生きて、最大限に面白くするように。いいかしら?」
「はい!」
「それと、今回の相手は軽音楽部だけじゃない。『第三世界連合』は文字通り正体不明、対策しようにも難しいわ。だから、潰すことよりもわたしたちがベストを尽くすことだけを考えるのよ」
「はい!」
総勢二十五人の声が円の中心に集まる。普段から発声練習を念入りに行っているだけに、耳が割れそうになる。けれど、今はそのうるささが力になる。
組まれた肩に力が入る。狼煙を上げるその瞬間を、全員が待っている。
不本意だけど、自分の異名は都合よく使わせてもらおう。
「さあ、完全犯罪を始めましょう!」
「応ッ――!!!」
覇気だけで人間が吹っ飛びそうな円陣が弾ける。両の眼に闘志を燃やし、部員たちは決戦の舞台・講堂を目指す。勇ましい背中を見送りながら、わたしはしんがりについていく。
布石は打った。どうか、うまくいきますように。
そう願う道すがら、花形役者・
「彼方。件の二つ名、気に入ってくださって嬉しいですわ」
「別に、気に入ったわけではないけれど……」
「何を隠そう、あれはわたくしの自信作でしてよ。彼方の役職と魅力をちょっぴりダークにチューンアップして……彼方、なんでわたくしのこめかみをグリグリなさるのです?」
「そう、あなたさえいなければ……」
「痛ッ! 痛いうえにセリフが完全に捕まる前の犯罪者ですわ!」
……色々と勘違いした先生から生徒指導室で前科を聞かれ続けた恨み、この程度で済むならお釣りが来るほど安い。
☆ ☆ ☆
講堂には、すでに軽音楽部の姿があった。
演劇部と同じく、二学年合わせて二十五人。中国の少数民族並みに部活が多いこの高校では、これでも大所帯な方だ。軽音楽部の円陣の大きさを見ていると、わたしたちも大きな組織だということを改めて実感する。
輪の一角を占めている優希は少年のように小柄だけど、円陣を取り巻く空気を完全に掌握していた。
「今日は七分しかないから、オレたちGiselle《ジゼル》がデモンストレーションで一曲を披露する。部員全員で出れないのは申し訳ねェが、そのぶんシビれる演奏すっから耳の穴かッぽじってよく聴いとけよ! 勝って兜の緒を締めてやるぜ! 行くぞ!」
「応ッ――!」
優希の咆哮が轟く。わたしには、到底まねできない。
全体での円陣は終わり、軽音楽部の面々は講堂の座席についた。残されたのは、Giselleの四人のみ。
つまようじのように細長い猫背の男に、フランス人形のような双子。三人とも普段の学校生活の中でわたしとの関りはなく、目立たずにひっそり過ごしているイメージがある。そんな奇怪なメンバーの中で、優希は無邪気に、心から楽しそうに笑っている。
「おう
「まあ、落ちても全員野外ステージの別枠で演奏できるから、気楽に行きま――痛アッ! だから暴力反対って言ってるじゃないッスか総長ッ!」
「おらァ! 腑抜けたこと言ってんじゃねェぞ! 双子もなんとか言ってやってくれ!」
「んーとね、橙矢も楽しく音楽したいでしょ?」
「だから、皆んなで講堂で歌おう?」
「チッ、わーったよ。やりゃいいんでしょ! はいはいやりますよ総長!」
間もなく、Giselle四人による円陣が組みなおされる。普段見ない親友の部長としての姿に、わたしは釘付けになった。
「いいか、言うまでもねェとは思うけど、光が当たってる間は輝き続けろよ! 一瞬でも死んだ顔して演奏してたり、ボルテージ下げたりしたら許さねェからな!」
「応ッ!」
「んじゃあ、気合入れて行くぞ!」
「ッしゃアァァァァッ!」
――ジゼル。
それは、持病に苦しみ命を失ってもなお愛する人のために踊り続ける、可憐な少女の童話。
なぜ彼女ら四人がそう名乗るのか、詳しく聞いたことはない。それでも、わたしには分かった。
彼女らは、単に才能を持ってるだけの集団じゃない。逆に、内気な性格や双子なりの苦労、そんな『わだかまり』を抱えた人たちが、優希の音楽と情熱のもと存分に命を燃やして思いをぶつけられる。それが、校内屈指の人気バンド『Giselle』の在り方、そして強さなのだろう。
「いい仲間に恵まれたわね、優希」
演劇部の待機場所にて、わたしはひとり呟いた。
全員が着席するのを待っていたかのように、ステージにスポットライトが当たる。寿祭実行委員長・
「本日はお集まりいただきまことに感謝する。では早速だが、これより講堂企画・ゴールデンタイムの枠をかけた二次審査を開始しよう!」
まばらな拍手。物足りないような表情を見せたのち、九条先輩はふたたび握っていたマイクを構えなおす。
「制限時間は各団体七分。演劇部・軽音楽部・第三世界連合の順に審査を行い、一番面白かった団体を勝者とする。相違ないか?」
はい、と演劇部から手が上がる。
「九条先輩、第三世界連合がまだ来ていません」
言われてみれば、この会場には審査委員長の九条先輩を除けば演劇部と軽音楽部しかいない。
「構わん、時間に遅れてくるほうが悪い。では気を取り直して。七分後に演劇部の審査を開始する。各自、時間厳守で用意しておくように、以上!」
九条先輩を照らす明かりが消え、出番を控えた演劇部の部員が舞台袖を目指して急ぐ。全員が席を立ったのち、わたしはそれとは逆方向、部隊を見下ろす照明調光室へ。
寒い部屋の中は、夏の大会の時と同じく孤独の香りが充満している。思わず顔をしかめながら、わたしは照明卓に着いた。講堂内のすべてを見渡せるガラス越しに、吸い込まれるような赤メッシュがちらりと光る。
――絶対に、負けないから。
「それでは演劇部、始めたまえ!」
――七分後。演劇部は、一秒たりとも無駄死にさせない完璧な出来栄えで審査を終えた。
☆ ☆ ☆
演劇部の審査が終わると、すぐに軽音楽部の審査準備が始まった。
いそいそと楽器をアンプに繋いで手短にチューニングを済ませるGiselleの面々を、わたしは食い入るように見つめていた。音を操る人々しか立ち入れない透明で強大な壁の奥で、彼女らは笑い合いながら音を合わせる。
ひどく近くてとても遠いその距離の果てに、親友の作り上げたものが煌めいている。わたしは、ただそれをぼーっと眺める観客の一人。
ライバルになったことで浮き彫りになった、優希やGiselleの強さ。それを前にして、わたしは初めて親友に畏怖を抱いた。
本当は、自分でも分かっている。
目の前にそびえる透明な壁は、自分が作り出してるだけの幻想。勝手に感じている距離。夏の大会で出会った孤独感・無力感は、この講堂に未だに潜んでいる。
——親友にして、好敵手。
あと七分でその関係は終わり、一方が勝ち一方は負ける。歴代最強の演劇部でさえ、黄金期の軽音部を前にして互角に渡れるか分からない。でも、すでにパフォーマンスを終えたわたしたちにできることは、もう――
「へいオーディエンス! 演劇部と豊臣も!」」
「僕、一応先輩なのだが……」
はっと顔を上げる。
刹那、赤メッシュのやんちゃな目がこちらを見ている気がした。
「真剣な審査だからッて、しかめっ面やシケた面はナシだぜ! お前らの声援があって、初めてオレたちのステージは完成するんだ。だからいつも通り、よろしく頼むぜ!」
思わず息を飲む。
目の前の透明な壁が、孤独感という名の魔物が、演奏の開始を待たずして崩れ去る。間違いない、これはわたしに向けたメッセージだ。
冷え切っていた心にぱっと火が付く。
わたしにできることは、まだ尽きたわけじゃない。
「優希! 頑張れーっ!」
立ち上がり、声の限り叫ぶ。
音楽の世界で輝く優希は、限りなく遠くて眩しい。とてもわたしでは適わないくらいに。でも、黙って見ているだけじゃその距離を縮めることなんて絶対にできない。
「おう、当ッたり前だ!」
わたしと優希の関係を訝しむ声が方々から上がる。クラス以外では敵方の総大将同士で通っていた二人が、舞台を挟んでサムズアップを交わすのだから、当然と言えば当然。
かまうものか。そこまで気になるなら教えましょう。
――好敵手にして、親友よ!
「それでは軽音楽部、始めたまえ!」
――七分後。軽音楽部は、すべての一瞬に魂を吹き込んだ最高の出来栄えで審査を終えた。
☆ ☆ ☆
「それでは第三世界連合、始めたまえ!」
審査を終えた軽音楽部の面々が座席について程なく。九条先輩は高らかにそう言い放った。舞台に明かりは灯らず、音は鳴らず、人影もない。
「あの、九条先輩? なぜ第三世界連合の時間を設けるのです? 審査開始時点で講堂に集まらなかった時点で失格ではないのですか?」
藍の問いは、この場にいた全ての人の疑問そのものだった。今もなお、この講堂に演劇部と軽音楽部以外の姿は見えない。
「うむ、そうかもしれない。だが、本当に君たちはそれでいいのか?」
「……どういう事ッスか?」
Giselleのドラマー(沖橙矢君、だったかしら?)も立ち上がり、目を細める。優希たちと談笑する時に比べ、声のトーンが一段と低い。優希ですら稀にしか見ないという、弱気を見せない彼の姿がそこにあった。
それに対し、九条先輩は両の広角を釣り上げた。綻ぶというよりも、歪めるような笑みに、藍や沖君も顔がひきつる。
「姿の見える敵よりも、見えない敵の方が怖い。それは道理だ。だからといって、相手の出方も見ずに不戦勝に追い込むやり方は、正々堂々と一次審査を通過した相手に対してアンフェアではないか? 本当に勝ったと言えるのかね?」
「それは……わかりました。待つことに致しましょう」
藍と沖君が引き下がり、座席に座りなおす。悔しそうに歯噛みする二人の表情を、わたしは黙って見ていた。
九条先輩が改めて時間を測りなおす。
ブザーが鳴り、その余韻も消えていく。
——静寂、いや、『無』。
ステージからは、依然として何かが始まる予感が微塵も感じられない。
一秒一秒と死んでいく時間。
わたしたちが与えられ、最大限に生かしてきた時間を嘲笑うかのように、『無』が全てを埋め尽くす。
わたしだったら、そして優希だったら。一秒あれば無限の可能性を作り出すことができるのに。貰った時間を、どこまでも鮮やかに彩ることができるのに。
一秒の死が、痛みとなって胸を刺す。ちくちくちくちく、時計の秒針が音を刻むように、痛みも増していく。やがて、死にゆく時間との別離の痛みに耐えられなくなったとき、人は——
「もう我慢なりませんわ!」「やってらンねえッスよ!」「時間あと何分?」「四分三十三秒だよぉ」「楽器すぐ出る?」「ああ。お前らこそ体や喉あったまってるか?」「当然ですわ! さあ行きますわよ!」「上がりてぇ奴は全員舞台上がってこい!」「照明準備できてるわ」「音響バッチリだぜッ!」「うそ、部長たち早過ぎ!」「演目はどうしますか軍曹!」「適当よ!」「即興はお手の物だからな!」
眼を見張るような景色が広がっている。
音響・照明の部屋から覗く舞台は華やかで、何かが始まる予感に満ちている。何よりも——
「始めようぜ、彼方。皆んな待ッてる」
「ええ、共に頑張りましょう、優希」
——隣に、お
「「一秒たりとも、無駄にさせないッ!」」
この瞬間を輝いた、すべての人たちの魂の叫び。
そして、誰も見たことのないステージが幕を開ける。
「諸君、二次審査ご苦労だった! それでは二次審査通過団体を発表する! 栄えある勝者は——」
☆ ☆ ☆
夕暮れ。
二年A組の教室に長く伸びるのは、朝とは逆方向の青い影。それに沿うようにして、わたしも伸びきっている。満身創痍、三十倍くらいに膨れ上がった重力が体にのしかかる。
横を見れば、平然とした顔の優希が紙パックの牛乳をちうちう吸い込んでる。
「彼方、大丈夫か?」
「久々にどっと疲れたわ。ちょっと指圧してくれないかしら?」
「えェ、ここでやんの? まあいいけどさ、そらよッ、と」
優希の細い指が筋肉の間を刺激する。普段から楽器に触れてるからか、指の先まで力が行き届いていおり、思いのほか気持ちいい。背中から腕にかけて指が移る。背筋、三角筋、上腕二頭筋……この順路からして次はおそらく。
「大胸筋まで来たらぶっ殺すわ」
「……バレたか」
軽くなった上体を起こす。コンビニで買ったプラカップのアイスコーヒーはすっかり氷が溶けきっている。ミルクを入れ、ストローでゆっくりとかき回す。マーブル模様が生まれて、すぐに消える。ひとくち飲むと、ほどよい甘さと苦さが口の中に広がる。
優希の牛乳を飲む手が止まる。
「負けちまッたな」
「そうね」
最終的に講堂を勝ち取ったのは、『第三世界連合』だった。理由は単純、九条先輩が言うには一番面白かったから。
「それにしては、全然悔しそうじゃねェな」
「ええ、全て計画通りだもの」
わたしの計画じゃないのが、少し悔しいけれど。
二日前。わたしたちは生徒会本部に押しかけ、謎の団体・第三世界連合について拷問……もとい、問いただした。
そして、ひととおり先輩の断末魔を聞いた末に今回の企てを知った。演劇部と軽音楽部の対立に終止符を打ち、前代未聞のステージが生まれるよう仕向ける。それが九条先輩の目的であり、架空の団体『第三世界連合』が生まれた経緯だった。
二次審査を終えた今、第三世界連合は正式に『演劇部・軽音楽部合同企画』となった。明日からは各部員たちへの詳しい説明と、企画をイチから練り直すことに労力を費やすことになる。
すべてが終わってみて、改めて思う。
「九条先輩は、いったいどこまで計算のうちだったのかしら? わたしたちが最後に協力しなければ、先輩はどうやって二つの部活をくっつけてたと思う?」
「さァな。ただ、一つ言えることがあるとすれば――」
優希は一呼吸おいて、神妙な眼差しを青い窓に向けた。
「――あの先輩は、奇跡すら計算式の中に入れる」
それは、わたしたちエンターテイナーがどんなに願っても手に入らない力。
緻密に舞台を作るわたしも、一瞬ごとの空気感を味方につける優希も、同じことができるとは到底思えない。
けど、二人なら、あるいは。
——奇跡の申し子・九条豊臣に、一泡くらいなら吹かせられるかもしれない。
「さあ、どんなステージにするか考えましょう。時間は待ってくれないわ」
「だな。さすがに今日のままじゃ、見せられねェもんな。あ、そうだ! 続きは駅前のスタバでやろうぜ! 聖地巡礼だな!」
「ええ。葵と有峰君の追体験でもすれば、いいアイデアが浮かぶかもしれないわね」
わたしたちは教室をあとにする。
スタバに向かう最中、わたしの脳裏に『第三世界連合』のステージで行われた今日限りの演目・『駆け出しの猫背ドラマーvsポンコツお嬢様のミュージカル風ライブ』がフラッシュバックする。
なんでかしらね。
一ミリも計算されてない、その場の衝動で生まれた謎の作品。なのに、それは可能性という名の輝きを煌々と放ち続けている。
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