神々の籠 (3)

その声はディアボロスがその斧を振り下ろす瞬間、微かに耳に届いた。だが、それはその斧を止める力になりはしなかった。

ディエンタールという地はここに消えた。空にまだ舞う炎と雷を残し、その全ては跡形もなく消え去り、この地には無だけが残った。カルヨソとタケルはその身を守ることができたようだ。巻き込まないよう注意は払ったが、消し飛んでいてもおかしくはなかった。

残ったのはディアボロス、カルヨソ、タケル、ノステラ、だけではなかった。ローブを着た男がもう一人立っていた。

「テユコナ…………」

善良にして温厚なる知恵の神。アーリカンが去った後、巻き込まれて姿を消した一柱である。タケルによれば、ジャンという男の転生としてこの地に覚醒したはずだ。

ジャンはディアボロスと、塔があった場所を交互に何度も見て、そして笑った。今にも泣き崩れそうな笑顔であった。


「終わって、しまいましたか」

戦いを終え、ディアボロスはその姿を戻した。それは戦いの終わりの宣言のようなものだ。だが、ジャンの顔はまるで冴えなかった。

「言いたいことがあるなら言えよ。早く!」

タケルが急かした。ジャンは何度か言い淀んでからこの世界のことを話し始めた。


「彼らの目的は、あなたたちに使徒を倒させることでした」

「それでなぜ目的を達することになる?」

「一部の神々が研究していた内容が、一度創生した世界を消してしまうことはできないか、ということでした。世界を作るときに失敗することはあります。失敗した世界はよほどひどければ自然と消えてしまいますが、そのほとんどは残ります。壊れた世界は使いみちがないので、世界はどんどん増えてしまいます。

 それをなんとか消してしまいたいと、私も相談され、研究していました。そして、理屈の上ではその方法は確立されました。世界はあくまで器です。そして、その世界の中に持てるエネルギーの総量には限界があるのです。自然と消えてしまう世界は、その力を注ぐ時点で器が小さすぎ、限界を越えて崩壊するのだということがわかりました。

 ですから理屈としては限界を越えるまでエネルギーを増やせばいい、ということになります。しかし、それは理屈だけで、実際にはできません。きちんと成立している世界の器は非常に大きく、神が注ぐエネルギー程度では崩壊させることはできないのです。そのため、結論としては不可能である、ということになりました。

 しかし、一部の神々はそう考えませんでした。もともと世界を消したいという要望は、世界を破棄したいという意味でした。しかしそうではなく、世界を消すことによって創生の魔神を滅ぼすことができるのではないか、と考える者がいました。そして、それは神々の中だけでなく、魔神たちにもまたいました。

 世界にエネルギーを直接注ぐというのはかなり難しいものです。世界を形成するときには創生のために注ぎますが、一度出来上がった世界にはそう簡単には入りません。そこで、いくつかの方法が考えられました。

 ひとつは、魔術です。上層世界から枝葉世界に力を注ぐことはできなくても、枝葉世界が上層世界の力を受け取ることは、かなり限定的ですができます。そこで、便利に使うことができる魔術というインターフェイスを用意すれば、自然と人々が魔術を行使することでその世界にエネルギーが増えていきます。

 もうひとつ、より直接的な方法が使徒です。使徒は神性と祈りのエネルギーからなる存在です。そして使徒が死する時、その体はエネルギーとして還元されます。このことは上層世界ではエネルギーを再獲得する方法として使われていますが、枝葉世界で死ねば枝葉世界にそのエネルギーがそのまま残るわけです」

「……それで、大量の使徒を送り込み、俺たちに斬らせた?」

「そうです。もっとも、このあたりから既に私の推測の域となっていますが……

 さらに、使徒により強大なエネルギーをもたせる方法が編み出されました。人々の魂と感情を吸い上げて混ぜ込むのです。それは、あまり意味のないことです。単にエネルギーが増えるだけで、別に強くなるわけではないからです。しかし、大量のエネルギーを送り込むという点では効率化が可能です。

 そこからさらに、人の命を混ぜ込めば、エネルギーが増えるだけでなく、使徒の強化にもつながることがわかりました。成功の確率は低いものの、使徒の融合に用いることができるのです。そして融合された使徒は、単に融合された分のエネルギーを持つだけでなく、さらなる多くのエネルギーを取り込み、また強大となります。

 しかしこれもまた机上の空論です。魂と感情を吸い上げることも、人の命を吸い上げることも方法が確立されていません。それにそうしてエネルギーを送り込んだところで、世界を崩壊させるほどの量には到底達しません。

 しかし、これが全て、その世界を崩壊させるために用意された世界であれば話は別です。

 まず、世界が成立するギリギリの小さい世界を創造します。実際、使い物にならないような小さな世界がいくつも創造されています。正確な大きさで創造することはできないので、いくつも作って本当にギリギリになるものを選んだのでしょう。

 そして世界が成熟するのを待ち、世界に干渉して自分が望むように動く存在を作り上げます。

 それが最初のディエンタール王です。

 ディエンタール王はどこから現れたのかすら不明とされていますが、覇道を極めた人物として知られています。実際、人とは思えぬとてつもない力を持っていたそうで、ただひとりで強国の軍勢を倒し、ときには国を滅ぼしもしたそうです。

 そう、この滅ぼした、というのが使徒の強化のために使われたわけです。人々が祈るように仕向けるのは以前から神々の間では当たり前のように行われていることですが、ディエンタール王はより強制的に祈りを捧げさせ、そして可能な限り恐怖や絶望とした感情を覚えさせた上で、魂もろともその命を刈り取るわけです。

 この過程で第三の方法が用意されました。それが、他の世界から存在を移すことで、その存在のエネルギー自体を持ち込むという方法です。

 枝葉世界に神が直接君臨することは現実的ではありません。戻ることができませんから。そして、それを強制する方法があるなどとは考えられていませんでした。せいぜい追放し、枝葉世界に落とす程度のことです。

 しかし、枝葉世界から別の枝葉世界に呼び出す方法があるか、などということを考える神はほとんどいませんでした。しかし、一部の神々はそこに手を染めました。

 これによって枝葉世界から人を増やすという方法が確立されたわけですが、人を増やしてもそこまでエネルギーは増えません。ディエンタール王の手法によって使徒を生み出す材料を増やすという意味はありますが、ここでは別の目的のために使われました。目障りな存在、つまりゴルダール、あなたを筆頭にした者たちを処刑することです。

 枝葉世界での召喚は特定の単一を召喚することはできません。が、その不特定の召喚を行うとき、かなり範囲を絞って特定の者を巻き込むことができるため、二者を融合させれば特定の者を召喚する手段として使えるわけです。ただ、これは誰でもできるわけではなく、召喚の経路上にいる者でなくてはいけません。

 枝葉世界同士がつながっている場合は途中の枝葉世界の者を巻き込むことができますが、通常は上層世界を経由します。つまり、この召喚で使われる経路を罠として用意することで、上層世界の存在を巻き込んで召喚できるわけです。私もそれに巻き込まれたのでしょう。もちろん、ゴルダール、あなたも。

 こうしてもともと容量に余裕がない世界を用意し、大量のエネルギーを確保し、その世界に巻き込むべき敵を落とせば舞台は整いました。そして今その計画は……達成されたわけです」

「…………」

絶句するよりなかった。つまりこの世界は崩壊するのだ。

「防ぐ方法は、ないのか」

「……ありません。なんとかしようと、私はあなたたちを止めるつもりでここにきました。結果止められませんでしたが、止めたからどうということでもないのかもしれません。既に襲いかかる使徒たちを無視できるわけではありませんし、防衛に徹しても結果は同じですから。それだけ入念に準備されていたということでしょう」

ディアボロスは奥歯を噛み締めながら空を見た。暮れゆく空に、ゆらりゆらりと揺れる裂け目のようなものが見えていた。


「もうこの世界は、あと何日もしないうちに崩壊に至るでしょう。我々の到底想像もできない苦痛と共に、この世界の人々と共に、我々もまた滅びるのです。

 しかしゴルダール。そしてアーリカン。あなたたちにはまだ道があります。あなたたちの力はとても強い。今ならまだ、あの裂け目を通じて上層世界に戻ることができるでしょう。神々も、それを分かった上で戦の準備をしているはずです。上層世界でまた戦争となってしまいますが、そうして生き残ることはできるはずです」

「生き残る…… 俺たちだけが、か?」

「そうです。あなたたちだけ、です。文字通り、他の誰も助かりません。

 ですがゴルダール、創生の魔神たるあなただけは例外です。あなたはさらにもうひとつの選択肢があります」

「……言え。 ……早く!」

「あなたがここの人間を抱えてあの穴に入り、あなた自身を消費すれば、おそらく何人かは上層世界まで運ぶことができるはずです。

 しかし、ふたつ問題があります。

 ひとつは、あなたが力を失うとき、残りで運ぶことができる人数です。そこで運びきれない者はあの穴の中で消滅することになります。その苦痛はこの世界で消えることの比にはならないでしょう。存在そのものがねじ切られるのですから。それはもちろん、ゴルダール、あなたもです。

 もうひとつは、その後のことです。上層世界に届けたところで、それを掬い上げる味方はいません。我々をこうして滅ぼそうとした手に渡った民がどのようなことになるか、正直想像もつきません。すくなくとも、想像できないほどにひどいこと、ではあるでしょう」

沈黙が支配した。どうあがいても道はないのか。

「バカバカしい」

沈黙を破ったのはタケルであった。

「それで選択肢があるとかふざけてんじゃねぇのか。俺がどうするかなんて決まってる」

タケルは冷たくなったノステラの亡骸を抱き上げ、背を向けた。

「俺は最後まで女達といる。アヤソラとエリスも連れて帰ってやらないとな。

 悪いな、時間がねぇんだ。じゃあな」

タケルは地を蹴り、次に瞬くときにはその姿を消していた。

「あなたはどうするつもりですか、ゴルダール」

「俺は、女達を生かす道を探す。あの下神どもに蹂躙されるなど許されるものではないが、可能性があるなら最後まで考えるべきだ。そのために俺の力も存在も、その全てを使う。むしろ、それが俺の力の理由だ」

「そうですか……

 おそらく、意味はないないでしょうが、うまくいくことを心から祈っています」

「貴様はどうする、カルヨソ」

「俺はもちろん、ステンルヒアの民の苦痛を取り除くように努めよう。それと、テユコナ、ゴルダールどもが助かる道はないか、ひいてはこの世界が助かる道はないか、共に考えてはくれぬか。おそらく、言いはしないが貴様も帰れるのだろう? 俺たちを見捨てて帰ったとしても恨みはしない。上層世界の者どもも、貴様のことは歓迎するだろう」

それ以上の言葉はなかった。言葉を紡ぐ方法が残されていなかった。


ディアボロスはシトラスに戻った。


ディアボロスは女達と会った。

これまでの全て話そうとしたが、途中で涙が溢れて言葉にならなくなった。

そんなときでも、アオカナの手は優しく、ルシカの手はどこか淫靡だった。


女達はディアボロスの考えを即座に拒否した。

ディアボロスと共にあれるのでない限り、どのような提案も意味はないと強く拒否した。

今まで見たことがないほどの強い意思を前に、ディアボロスに反駁の余地はなかった。


やがて光が訪れた。

美しさを感じる余地すらない光だった。


終わりの光が焼き尽くす前に、ディアボロスはその力を解放し、シトラスを消し去った。

そこにいた人々は、苦痛もなく、迷いもなく、ただそこで途絶えた。


あとにはただ、世界らしき残骸が残った。

神々はその世界を放り捨てた。

二度と扉が開くことはないだろう。

これが神の世は安泰なのだ。

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