春雷 (6)
中腹の平地は思ったほどには広くなかったが、ちょっとした公園といった趣であり、領地とそこへ続く道がよく見渡せた。
こうして見るとシトラス領は三方を険しい山に囲まれているだけでなく、領地へ続く道もまた山中の谷を縫うものであり、天然の要塞という感が強かった。ノイラル公がここに財を溜め込むのも分かる気がした。国境という点を差し引いしてもここは難攻不落であり、他のどこよりも安全だと考えられたのだろう。
「やはり冷えますね」
ただでさえシトラス領は寒気の高地にある。そこから一段登れば突き刺さるような寒さであった。だが、もしかしたらそれは口実だったのかもしれない。その言葉と共にアオカナが体を寄せると、皆が追従した。
「ご主人さま。私は、ここでずっとご主人さまと過ごしたいです。ここは寒くて、なにもないけど、ご主人さまが作る国なら、きっと素敵な国になっていくでしょうから」
ルシカの言葉は夢見心地だったが、少しだけ切実さがあった。
「旦那様はカシマ王のことを気にしておられるのでしょうけれど、わたくしどもは旦那様の力を信じておりますから、心配はしておりません。どのような戦でも、きっと無事に帰られるでしょう。むしろ、わたくしは旦那様の今の心痛のほうが心配でございます」
アオカナの表情は優しく、その手で撫でられるとまるで母のようだと思った。
「旦那様がおられる限り、この国は理想郷へと向かうでしょう。わたくしはいつまでだって旦那様の描く理想を愛して参ります。旦那様を愛しておりますから。
例えこの国が尽きても、なにを失ったとしても、わたくしは旦那様の側におります。この愛が褪せる日は永遠に来ることはありません」
アオカナはディアボロスに触れたまま前へと回り込んだ。そのまま膝立ちをしてディアボロスと顔の高さを合わせた。
「旦那様、どうかこの言をお許しください」
一転して、アオカナは真剣な、というよりも、確かな覚悟を決めた顔で続けた。
「マリー様が 、旦那様を愛していたことはないのです」
ディアボロスは驚いたが、やがて目を伏せ
「知っていた」
と絞り出した。
アオカナはディアボロスの頭を抱いた。ルシカが背中を撫でていた。ティシャが手を握っていた。
「閣下は疑り深すぎるのです。
どのような理由があったとしても、どのような経緯があったとしても、私たちがこうして閣下を愛していることが偽りとなるわけではなく、その意味が損なわれるわけでもありません。
もう何度も言ったはずです。閣下は私たちの光。なくてはならないものなのです。為政などという些事は私たちに押し付けたっていいくらいです。閣下が民のことを思うのなら、私たちが民のために働きます。
閣下が私たちを差し置いて思い悩まれることほど私たちが無力さに打ちひしがれることはないのです」
三人が少し緩めるとティシャが前にたって、目の前に広がる景色を指差した。
「ディアボロス様、見てください。
これがディアボロス様が守ってる素敵な国よ。ネルラはお酒飲んでるだけって言うかもしれないけれど、こんなに寒くてもみんな笑っていられるのよ。フォランタ様が退かれると聞いて不安だったと仰る方もいたわ。でも、ディアボロス様が来られてよかったと、そう言っているのよ。
見て。青空よ。不安になるようなことなんて何もないわ。こんなに綺麗な青空に何の不満があると言うのかしら。雨が降ったからといって、雪が降ったからといって、それがなんだというのかしら。ディアボロス様が濡れたら萎れてしまうとでもいうのかしら。こうしてまた青空がめぐるのだもの。こうしてディアボロス様といられるのだもの。あたしは何の不満もなく幸せだわ。
夜がくればきっと星が輝いて綺麗でしょうね。あたしはこうして空をディアボロス様と見たいわ。あたしは夜が怖くて、一人で眠るなんてとてもできなかった。きっと、今でもできないわ。でも、もう夜は怖くないの。だってみんながいるもの。ディアボロス様がいるもの。
ディアボロス様。あたしはもっと素敵なレディになるわ。みんながこんなにも協力してくれているのだもの、そうでなければ失礼でしょう? それになにより、その姿をディアボロス様にお見せしたいわ。もっと可愛がって欲しいの。
ね、夜が終われば、またこうして青空が見られるのよ」
そのあとに交わした言葉は、くだらないものだったと言っていいだろう。少なくとも、ディアボロスはそう思っている。けれど、そんなくだらない言葉が、今一番価値を持っているのだということを、ディアボロスは知った。そして、笑うということをこの世界にきて初めて思い出しもした。
そんなくだらないことで笑っていたら腹の虫が鳴った。五人は城に戻り、昼食を取ることにした。せっかくだからとイモサにリアナ、セルオラも呼んで卓を囲んだ。こうして休暇として言葉を交わすと彼女らのまた違う姿も見えてきた。ルシカが絶賛するリアナだが、自ら取り落した清掃用具を拾おうとしたとき、その用具が大きな虫に見えて思わず逃げ出し、部屋の入口でずっと睨みつけていた話はネルラさえも笑いをこらえて震えていた。セルオラはこう見えて夢見がちで、趣味は物語を構想することだという。その物語は大概セルオラに素敵で強くて格好の良い騎士が求婚する、というものらしいのだが、イモサが「それはダンダルガル殿ではありませんか?」と腕っぷしがよく女達によく言い寄られているあの騎士の名を挙げると、セルオラは「あんなオジサンではありません!」と憤慨した。
大いに歓談を楽しんだあと、ディアボロスは女達を抱いた。まだ日も高いなどと気にすることはなかった。
そして部屋から少し星を眺め、またその熱を交わしあった。
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