春雷 (5)
立ち去ったはいいが、ディアボロスの頭には疑問があった。
(一体、なにをするのだろう?)
思い返してみる。ディエンタール王国においては街を案内され、街を歩き、娼館に通った。シトラス領についてからは城で執務を行い、ノイラル城を訪問し、帰ってからは執務と鍛錬に明け暮れている。
(なにもしていないのではないか?)
それは青春時代を無為に過ごした学生の嘆きのようでもあるが、実際に何もないのである。街では子供が追いかけっこをしている様子は見たことがあるが、特に遊戯に興じる姿を見た記憶はない。シトラス領は北方にあることもあり寒冷で、これから寒期に向かうととても外で何かをしようという気にはならないように思えた。寒冷地であるからこそなおさら閑散としており、文字通りに何もない。
現地民である女たちであれば余暇を与えればそれなりに過ごすことがあるだろうと思えたが、ディアボロスと共にと言われるとどうすればいいのかまるで分からなかった。デートができるような場所があるとも思えない。
(まぁ、任せればよいか)
女たちが希望したからには内容にもなにかしら希望があるのだろう、そう楽観することにした。
それからディアボロスは執務に鍛錬にいっそう励んだ。希望された休暇は二日後とすぐであったから、仕事を片付ける必要があったのだ。しかし、実際には気負うほどのものはなかった。ネルラとアオカナの仕事ぶりが素晴らしく、ディアボロスのしなければならないことはさほど多くはなかったからだ。
実のところ、単に役目というだけのことであればディアボロスのすることなどそう多くはない。税に関すること、治安に関すること、商業に関することが主であるが、シトラス領は領民の数自体が少なく治安も良い。辺境にあるために外交要素も少なく、できることに限りがあるために領民の要望も少なく、ディアボロスの基本的な仕事は国境警備と警戒であり、何もない限り暇なのであった。
実際に暇でないのはディアボロスが文明に対する挑戦を続けているからで、必然的に人々の仕事は増え、問題は発生しやすくなり、仕事は増えていく。それでもディアボロスは可能な限りこの国の文明レベルを上げたかった。それはシンプルに、非文明的な生活が苦痛だからだ。
だが、ディアボロスはその進展に壁を感じつつあった。外燃機関の発明は結局のところその原理は水を沸かすことであり、熱さえあればいい。火は既にあったし、水を沸かしてもいたので、その蒸気をエネルギーとして使う、という発想さえあれば実現できた。電球も、その構造自体は知っていれば単純なものであり、電球のエネルギー源となる程度の電気であれば生物電気でまかなうことができた。
こうした事情からディアボロスを苛むのは多忙よりも焦燥であった。果たしてそれは戦に出向くことをタイムリミットと感じているかどうかは明らかでなかった。
その日がきた。
昨夜はアオカナと床を共にした。ディアボロスはアオカナとはあまり寝ていない、と思っているのだが、実際はそのようなこともなく、ルシカが特に多く、ティシャが特に少ないというだけのことであった。
「おはようございます、旦那様。外は良い天気にございますよ」
窓から光を浴びるアオカナの裸身はひどく清純でいたいけに見えて、まるで絵画の中の侵しがたい神聖さがあった。
「綺麗だな」
ディアボロスが口にしたことを自覚したのは、アオカナが不思議そうな顔でディアボロスを見つめていることに気づいてからだった。
「なんでもない」
ディアボロスはそういってごまかした。思えば、ネルラとアオカナはあまりにも優秀であり、為政になくてはならない存在となっているがために抱く以外に女を感じる機会を失っていた。
アオカナにねだられて熱っぽく口づけを交わし一日が始まった。
朝食の席に向かうとめかし込んだ女達が待っていた。この世界のお洒落というのは随分と重量感のある装いであるが、故に華やかでもあった。
「いつもの服より脱がしにくいと思いますけど、今日は目でも楽しんでください」
何故か不思議と誰もがいつもと違うように見えた。女達はこのような姿をしていただろうか?
「お前達、なにか普段と違うか?」
ルシカは首をかしげた。
「服装以外に、ということでしょうか?」
ネルラがかわりに尋ねた。
「あぁ、そうだ」
「……特に変わりはないはずです。化粧も、いつもと変わりありませんし」
「……そうか」
ディアボロスは納得し難かったが、そのように言うのだからそうなのだろうと思うことにした。矮小な少女に思えていたルシカは朗らかでどこか艶やかで優しい淑女であるし、淫靡で暗い女に見えていたアオカナは聖女のように清らかであるし、ただ幼いだけに見えていたティシャは美しく意思を宿した乙女であるし、凛々しく成熟した女と思えていたネルラはまだどこかあどけなさを残している。まるで一夜にして世界が変わってしまったかのようだったが、それ以上疑問を投げかける余地はありはしなかった。
「それで、今日は何をするのだろうか?」
ディアボロスがかねてからの疑問を投げかけると、皆がきょとんとした。最初に理解したのはネルラであった。
「さぁ、何をいたしましょうか。朝から肉と酒に溺れるのも、誰も反対はしないと思いますが」
「やはりそうか…… ここで一体なにをしたものかと不思議に思っていたのだ。そうであれば」
「冗談ですよ?」
ネルラに真顔で止められ、ディアボロスはしゅんとした。
「別にご主人さまがそうしたいなら、私は構いません」
「わたくしも異を唱えるつもりはありません。いまからでも」
「まて。そうではない」
衣服に手をかけようとしたアオカナを、ディアボロスは慌てて止めた。
「お前達を抱くことが至上のものであることは否定しないが、せっかくの休みだ、そればかりでは勿体ないと思っていたのだ」
そう言いはするものの、ルシカの指先が頬を撫で、ただそれだけのことがひどく煽情的なものであった。
「それでしたらひとまずはいこいのに時といたしましょう」
そんなディアボロスの内心を見透かすように笑いながらネルラは言った。
朝食のあとは東部の山を少しだけ登る、という予定に決まった。東部の山は頭頂は容易ではないが、途中までは丘を登る程度のもので、その先に少し広い平地があった。北側と東側は険しい山岳となるため、防衛という観点から特別注意を払う必要がないと、ディアボロスは特に気にもしていなかった場所だ。むしろ山麓北部にある森がディアボロスの鍛錬場となっているため、ディアボロスにとっての東側はその訓練場を確保した時点で以東に関心を払うべき余地を感じていなかった。
「街に見るべきものがない、というのはその通りかもしれません。食料に関しては輸入に頼っておりますので店はあまりありませんし、衣料に関してもそこまで必要とされているわけでもなく、特産と呼べるようなものもありません。輸出品としては酒がある程度ですし、店以外に人が集まるような場もあまりありませんから」
「やはりそうなのか。民は普段どうしているのだ? 娯楽もあまりないように思うが」
「そうですね、そもそもシトラス領は特別な人材や備蓄、財産の保管と、フェルストガルムにら対する防衛いった目的がありますので、あくまで拠点に過ぎません。そうした特別な人々がその役目を果たす、というのがここにおいて重要な働きであり、そうした人々と、軍事に従事する者が生活を営めるようにある程度の人々が住んでいる…… ということですから、一般の人々の生産的な業務はあまり多くない、と言えます。そうした人々は普段暇をしているのは事実でしょう。娯楽、と呼べるようなものもあまりありませんね。だいたい酒場で酒を飲んでいます。もしくは賭け事ですね」
「賭け事?」
「はい。サンサダッラという札を使った遊びがあります。実力の差、というのもありはするのですが、それ以上に運に左右され、すぐ決着するので賭け事にちょうど良いということでよく用いられています。まぁ、それに限らずどのようなことでもすぐ賭け事のタネにされていますが」
「そうした遊びで賭け事以外に娯楽はないのか?」
「全くないわけではありませんが、サンサダッラは飲んで賭けるから楽しめるようなもので、素面では面白くもなんともありませんし、似たようなものも庶民の間では流行っているとはとても言えませんね」
「体を動かす娯楽などはないのか?」
「閣下、それは性交のことを言わせたいのですか?」
「そうではないし、そのようなつもりもない。娯楽の話だ。民が日頃余暇をどう過ごしているのかが気になったのだ」
「閣下は私が冗談を言ったようにお考えかもしれませんが、民の娯楽で酒と賭博を別にすれば残りは性交くらいしかありませんよ。スポーツという文化は、帝国などにはありますが、この国では庶民においては一般的ではありません。帝国のように広い土地を安全に保つことができる国力がありませんから」
ネルラの語る国の実情は、ディアボロスの想像の範疇を出ず、とても退屈なものであった。忙しすぎて余暇などないということであればそれはそれで問題だと思っていたが、余暇がありながらにしてやることがなく退屈極まりないのであればそれも解決すべき問題ではないだろうか。
充実した余暇の過ごし方を提案するのも悪くないが、市民から発案の募るのも悪くないかもしれない。もしくは、元いた世界の娯楽を思い出せれば人々も充実した日々を過ごすことになるだろう。中にはこの世界で実現することが難しいものも少なくないだろうが、できるものもあるはずだ。
「旦那様、またお仕事のことを考えておられませんか?」
アオカナが拗ねた口調で抗議した。
「今日はわたくしたちと楽しんでくださいませ。難しいことはまた明日」
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