春雷(3)
自室に戻るとディアボロスは深くため息をついた。タケルから戦いを聞かされてから、ひどく心は昂ぶり、戦いに対する恐れと緊張を抱きながら暮らしている。だが一方で、あまりにも多忙であり、女たちとの日々を楽しむ余裕もあまりなかった。
「なにもかもが違いすぎて困る」
この世界には日の出と日没があり、一日がある。そして、三六〇という日を数えて一年としている。だが、それ以上の時間単位がなく、時間、分、秒という概念がないし、月、週という概念もない。結果的に定期的な休みという概念がなく、「耐え難くなったら休む」でしかない。
さらに、季節はあるにはあるのだが、季節に周期性がなく、寒くなったり暑くなったりを繰り返しているようで、民もいつごろ暖かくなるのか、寒くなるのかはわからないままであり、一年後に同じ気候であるとは限らない。
こんな日々が着実にディアボロスをすり減らしていた。
特に気になるのはネルラとアオカナであった。女たちは皆が献身的に尽くしてくれているが、ネルラとアオカナは明らかに負担が大きすぎた。
「なんとか労いたいが……」
ディアボロスは椅子に深く体を沈めた。
「閣下を休ませる方法、ですか……」
ルシカの声かけでルシカの部屋に女たちが集まっていた。それを世話するのは、リアナというメイドであった。リアナは若いが礼儀正しくしっかりとしていて、ルシカが気に入り、ルシカの希望でこの居館でも世話をしていた。居館にはもうひとり、イモサという初老のメイドもいたが、彼女はその役を日中のみ勤めることとなっていた。
やはり付き合いの多い相手とは仲良くなるもので、この気の休まるときに共にいるリアナとイモサ、それに護衛につくことが多いセルオラは女たちと仲が良く、特にリアナに関してはディアボロスをひどく敬愛していることもあって、ルシカにはいっそリアナも抱かれてみてはどうかと言われるほどであった。
そしてリアナを含めた五人で語り合う議題は、ディアボロスが心労をためている、ということであった。
ディアボロスの身にどのようなことがあったか、ということは、アオカナ、ルシカ、ティシャについてはネルラから聞かされていた。そして、アオカナとルシカに関しては、ディアボロスが巻き添えを恐れ、うまく戦うことができなくなったその時に側にいた。戦うことを強いられ、それがまた彼女らにとって身に危険が及びうるもので、懊悩することはよく理解していた。女たちはいずれもそうした機微に敏かった。ディアボロスのことを思い、気遣うからこそ表に見せない苦しみが彼女らにもひどくのしかかるものであった。
彼女らはもちろん、当初からディアボロスの力になろうという意思はあったが、当初、ディアボロスの支えになろうという考えで、出しゃばらないほうが良いとすら思っていたのだ。しかし、こうした経緯があって、少しでもディアボロスの負担を除きたい、できることならディアボロスを余計なことで苦しませたくないという思いから、アオカナはディアボロスが抱える公務をできるだけ肩代わりすると言い出した。もちろん、ネルラは補佐として公務を担う身であったが、この宣言通りアオカナは驚くほどの勤勉さで政を支えた。一方、ルシカとティシャはディアボロスが抱えるものを少しでも癒そうと決めた。
そうしてできる限りのことをしてきたつもりだったが、当のディアボロスはアオカナやネルラが公務を肩代わりすることをむしろ心苦しく思っているようだった。それでもそれによっていくらか負担は減っているように見えたから彼女らもそれをやめることはしていないが、マリーのことで思い悩んだときと、振る舞いは違えど、一人抱え込むようなところはまるで変わっていない。アオカナは特にそれを嘆いた。
「私、気づいたんです。私とアオカナさんがご主人さまと出会ったときには、もう傍にはマリーさんがいました。そのあとマリーさんを失ってからは、ティシャと、ネルラさんも一緒にいましたけど、ご主人さまはマリーさんのことで心を痛めて、私たちとの間には壁がありました。ここで暮らして、少しはその壁も薄くなったかもしれませんけど、まだご主人さまは心は許されていないのではないかと!」
普段は言葉少ななことが多いルシカの熱弁に一同は少し驚いた。一番冷静だったのはアオカナだ。
「旦那様と体のつながりはあっても心のつながりが弱い、ということでございますね。確かに、旦那様は体はお求めになられても、心をお求めになることには少し遠慮がある、いえ、率直に申し上げれば怯えているように感じられます」
「確かに、閣下は私たちをあまり頼ってはくださりません。心を許していないから、とすれば、大変寂しいことではありますが納得はできます。ティシャはどうですか?」
「あたしには、ディアボロス様は冷たいわ。というより、距離を置いてる、という感じかしら。ルシカやアオカナみたいに気軽に抱いてくださらないし、頼ってももらえない。大事にしてくださっているのはわかるけど、時々、私はお人形さんじゃないのよ!って言いたくなる」
「そうなのですか?」
「旦那様の元の世界では、ティシャくらいの齢は女として適齢ではない、幼子のようなものであるという見方であるそうなのです。恐らくは、そうした理由によるものでございましょう」
「ふむ、確かに幼子に頼ったり、抱いたりするのはいささか躊躇われるのかもしれませんね。かといって、閣下がティシャを大事にするのは、幼子のように物に対するものとは異なるように思えるのですが」
「わかってる。お人形というのはあくまで例えよ。リトルレディとして大事にしてくれているということはわかっているわ」
「あの、お后様」
リアナがおずおずと切り出した。非常に言いづらそうにしながら、妙に覚悟のありそうな様子であった。
「これは、お后様が閣下にもっと構ってほしい、もっと愛されたい、というお話なのでしょうか……?」
長い沈黙が支配した。何かを言い出そうとする者もあったが、言い淀んで口を閉ざした。
「……そうね」
口を最初に開いたのはティシャだった。
「それもあるわ」
それを聞いたリアナの表情は、気性の荒い后であったならばその場で首を刎ねそうなものであった。
「いえ、それでも間違ってはいないのでございましょう。旦那様とわたくしたちがもっと心から愛し合い、信頼するようになれば、ものごとは良くなる、とわかっているのですから」
リアナもそれに否はなかった。実のところ、リアナこそが誰よりもディアボロスが人に心を許さず一人懊悩していることを知っているのだ。ディアボロスはひとり鍛錬をしている。戦闘に向けたものである。そのことは皆が知っているが、巻き込むことを恐れたディアボロスによって、決して近づくことのないよう厳命されている。だから、その姿を見た者はいない。ただひとり、リアナを除いては。
リアナは、帝国からの使者がきたとき、ネルラはおらず、待たせるのもまずいということでリアナが呼びに行くことになった。戦闘訓練中は激しい衝撃波が飛び交い、大地が揺れ、そうそう近づけるような感じではなかった。一息ついたところを見計らって近づいた。そして見たのは、ひどく追い詰められた様子で懊悩に悶えるディアボロスの姿であった。
隠れるつもりはなかった。だが、吠えながら再び拳を振るったことによって衝撃波から逃れるため、リアナは木の陰へと避難した。
――こんなものでは守れない――
そう吠えるディアボロスの拳から雷が立ち上った。何度も、何度も拳を振るう。やがてがっくりと項垂れたディアボロスに、リアナは恐れず声を上げた。
「閣下!」
リアナの声は美しく、よく通ることで知られている。その声はディアボロスに届いたが――
「ここには近づくなと言っただろう!」
ディアボロスの怒声が地を揺らした。さらに揺らし震わせながら近づくと屈みこみ、リアナの両肩をがっしとつかんだ。
「お前になにかあったらどうする。お前は俺の大事な家臣だぞ。メイドだから身を粗末にして良いなどということ、あろうものか…!」
そう怒鳴るとディアボロスはリアナを抱きしめ、静かに涙を流した。リアナは普段からは想像もつかないディアボロスの姿に困惑しながらも、これほどまでに臣下を思い遣る君主の心にまた涙した。
リアナはこの後、口外するなと申し付けられ、ディアボロスの苦悩はリアナのみが知ることとなった。
「閣下はひとりで抱え込まれる方ですから」
リアナは色々なものを飲み込んで、そう答えた。その言葉を聞いてルシカは少し驚いたように見たが、察したように微笑んだ。
「けれどそうですね、お后様方と閣下は情熱的に愛し合っておられるのに、閣下は悩み深くお后様方を遠ざけておられます。どういった事情があるのか、私は存じませんけれど、どんなものを抱えておいででも、それを一人で抱え込まれることは幸せなことにはならないようには思います」
「ね、リアナもそう思うでしょう?だからどうにかして、ご主人さまに楽にしてもらいたいんです。そして、私たちともっと色んなことを共有してもらいたいんです!」
ルシカの熱演に、女達は深く頷いた。
「であれば、作戦を練りましょう。閣下はあれやこれやと考えられるからです。生半可な理由では首を縦に振らないでしょう」
「でも旦那様がそれっぽい理由などで良しとするでしょうか。むしろ、小細工を嫌うお方だと思うのですけれど」
アオカナが言うと女達はまた考え込んだ。
「あの……」
おずおずと、リアナが手を挙げた。
「閣下、普通に頼めば聞いてくださると思うのですけれど……?」
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