濁流(6)

タケルは少し考え込んだ。

「結局、俺はどうすればいい?」

しびれを切らしてディアボロスが聞いた。

「いや、別にこれといったことをする必要はないさ。とりあえず、俺はまずナナミを説得してくるから、それまでは女たちと領民と好きに過ごしていればいい。いやでもそうだな……できれば力を取り戻してほしい」

「だからどうやって?」

「思い出すことが大事なのさ。あんたは今まで自分が何者かすら知らなかったワケだろ? だったら元の上層世界のことを考えてみなよ。それを思い出せれば、あんたの力についてもわかるはずだ」


結局のところ、タケルの目的はあくまでもディアボロスに共闘を持ちかけることにあったようだった。結局ひたすらにディアボロスたちに情報を与えた形であり、多くを払ったにも関わらず要求したのはあくまでカルソヨを倒す、ということに過ぎなかった。

当然にディアボロスはタケルの真の意図を疑った。だが、少なくともタケルの今日の行為がディアボロスに対する奸計の類であると読むことができる材料は何もなかった。そうなると、タケルの動機として考えられるのは、言葉どおり世界の崩壊に対する危機であった。タケルはこの場に女をふたり同席させた。ディエンタールに襲来した際にはもっと多くの女を従えていた。ディアボロスとしても、自分が見初めた女たちに囲まれ、日々生きることは十分に幸せで守りたいと思えるものだった。その守りたいものが、世界の崩壊という形で奪われるということが解っていたならば、なりふり構わず抗おうとするかもしれない。飄々とした様子に見えるタケルだが、その実かなり切実なのかもしれない、と思えばディアボロスとしても納得できるところだった。

もちろん、この場で拒否する余地はなかったが、別れてしまえば別だ。言を覆して協力しない、ということは十分に考えられた。だが、そうしたところで、タケルが攻め込めばその戦力差は明らかであり、ディアボロスとして許容できる被害には留まらいなことは明らかだった。

(俺はもう、これ以上愛する女を失いたくはない)

その感情には、愛の真偽などどうでもよかった。

ディアボロスには依然として不信感があった。女たちを従えているのは力である、と考えるほうが、ディアボロスとしてはずっと納得しやすいし、思い悩むこともないように思われたからだ。だがそれは、愛に、男と女の関係に思い悩むことから逃れたいという思いと、愛を信じて裏切られることへの臆病さに過ぎなかった。そしてそんなことはディアボロスとて解っていたし、それでも尚、できることならば真実愛されているからこそ日々共に過ごすほうがずっと良いのもまた事実であった。むしろ、それが真実でなければとても許せないような気持ちさえあった。

だが、その真偽がどうあっても、ディアボロスは女たちを失っても構わないという気持ちには到底なれなかった。偽りの愛を語る女たちに騙されながら共に過ごす日々と、彼女たちを失って孤独に生き延びる日々のどちらかを選ぶのなら、偽りに気づかないフリをしたほうがずっとマシだった。それは、例え己がたやすく焼き殺されるような恐ろしい相手との対峙と引き換えるのだとしても、あるいはそれさえもが甘言に過ぎず実のところ世界の崩壊などというものがないのだとしても、世界と共に失ってしまうと言われればそれを座して待つことなど到底できそうにないのだった。


必要なことを告げるだけでタケルは席を立った。去り際、タケルは一言

「エリスが憎いか?」

と訊ねた。

「今すぐ殺してやりたいほどにはな」

ディアボロスは答えた。

「やるつもりか?」

タケルはまるでどこか遊びにでも行くかと訊くくらいの気安さだった。

「そのつもりはない。アルセエリス以上に……俺は俺が憎い」

ディアボロスが答えると、タケルはそれ以上何も言うことはなく女たちを引き連れて立ち去った。


ノイラル公は怒涛の展開に放心状態だった。

「本当にすまなかった。本当に何も知らなかったのだが」

「別に疑ってはいない」

ディアボロスもため息をついた。いなくなってわかる、凄まじいプレッシャーだった。牙を剥けばどうなるかということがあまりにも分かりすぎてしまう。ディアボロスと対峙したディエンタール王の心境がわかるようであった。

「今まで経験したことがないほど生きた心地のしない時間だったが、収穫は大きかった」

げっそりと疲れ果てたノイラル公だが、その顔には充足感も見えた。

「公爵、貴様はなぜこの件に首を突っ込む?目的はなんだ?」

「目的、か……」

ノイラル公は手を組んで少し考え込んだ。

「一番は、この世界の真理を知りたい、という好奇心だよ」

フッ、と笑って口にした。

「それでも建前を取り繕うなら、この世界に蔓延る不穏な空気の正体を知ることだ。ディエンタール王の台頭はこの世界の歴史の中でもあまりにも唐突で奇異な出来事だ。そしてそのディエンタール王が到底人とは思えぬ者を呼び出し猛威を振るった。この世界の根幹を揺るがすような何かがある。そう思っていたのだが……」

ノイラル公は言葉をつまらせた。嫌な予感が現実になってしまった、というより他になかった。

「確かに、もう夢だ妄想だと笑うことはできなくなってしまいましたね」

ネルラが言葉を継いだ。そして、そこでは終わらなかった。

「でも大丈夫です。我が君はどんな神にも悪魔にも、運命さえも敵ではありませんから」

不安など、まるで見えない妖艶な笑顔だった。


扉をくぐり、長い山道を下り、見送る騎士の姿が見えなくなると、ネルラはその場で膝をついて頭を垂れた。

「申し訳ございません!」

ディアボロスはその姿を睥睨し、沈黙に沈んだ。ネルラは肩を震わせ、ただただ頭を垂れた。どれほどの刻が経っただろう。ディアボロスはネルラの体を抱え上げ、まるで赤子のように抱きしめた。

「嘘はついてくれるな。隠し事はしてくれるな。今この場で誓え」

体を震わせていたネルラは、ぎゅっとディアボロスに抱きつき、そしてしがみつくように力を込めた。

「はい……はい、閣下…! どのようなことも、私の知る限り、私の生きてきた限りの全てを、お伝えします。私の全ては閣下のもの。そこに一切の嘘偽りはございません…!」

ネルラの悲壮さに反して、ディアボロスは悲嘆に暮れてはいなかった。何を感じていたのか、そしてどうすべきなのか、ということを、何も言うまでもなく共有できている相手との未来を嘆く必要などどこにもないと思えたのだ。

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