濁流(3)
「その推測が正しいとは言い難いな」
ディアボロスが口を開くと、ノイラル公は目を見開いた。
「ディエンタール……ディエトリアに初代ディエンタール王が持ち込んだ秘術が眠っているという説明自体はおかしくはない。だが、少なくともディエンタール王が秘術を握っているということはない。俺が召喚されたとき、ディエンタール王は居館にいたし、俺が呼ばれたのは城ではなく隣にある塔だった。そして、そのとき魔術師が取り囲んでいたし、俺が呼ばれたときには既にまわりには多くの死体が転がっていた」
「ふむ……魔術的儀式か?」
「恐らくはそうした類だろう。そして、俺が神そのものだ、という説明にも違和感がある。なにしろ、俺には元の世界の知識がごく断片的にある。俺が何者だったかというのはまるで思い出せないが、それでもそれが神の世界ではなかった、というのはほぼ断言できる」
ノイラル公は考え込んだ。言葉を慎重に、慎重に選んでいるようだった。
「よかったら君の世界の――」
いいかけたとき、ガンガンとドアが乱暴に叩かれ、開かれた。
「何事だ!」
飛び込んできた騎士に、その厳しさがようやく似合うような怒鳴りを発した。
「も、申し訳ありません、面会人が、今すぐ閣下とディアボロス殿に合わせるようにと」
「断れ!相手にする必要などない!」
「そっ、それが……面会人はカシマ王でございまして…!」
「んなっ…!」
ノイラル公はひどく驚愕すると、そのまま天を仰いだ。
一体何事が起きているのか、全く尋ねられないまま事は進んだ。ディアボロスとネルラは席を詰めた。その緊迫した雰囲気からディアボロスは戦闘が起こる可能性を考えた。この狭い部屋で戦闘になればネルラを巻き添えにしないことはどうしてもできない。なんとしても敵を引き剥がしてから戦わなくてはならない。かなり困難なことであった。
そして、その人物は本当に間もなく部屋に入った。
「貴様は…!」
眩しいほどの白い衣。金色の刺繍。間違いなく以前みた、あの男だった。そして、それに続いて入室したのは
「貴様はッ…!」
ディアボロスは立ち上がった。膝まである深紅の髪。怪しく光を放つ赤い瞳。魅惑的な曲線をもつ体。ゾッとするほど美しい容貌。
「アルセエリス…っ…!」
マリーの死の引き金となった戦いを演じた、魔王の姿であった。
白装束の男とアルセエリスと睨み合った。闘気にディアボロスの体が膨らんだ。部屋が熱と、部屋が揺れるほどの闘気に満たされてゆく。
白装束の男は手を広げ、肩をすくめて見せた。
「今あんたと戦うつもりは俺にはないよ。それでもあんたが仇討ちのためにエリスを殺したいと言うなら、俺としてはあんたを殺すしかなくなるけどね」
やや軟派な優男…そう見えたが、次の瞬間、男はディアボロスを睨みつけた。思わず後ずさり、壁に背をつけるほどの圧力であった。
(やはりこいつは強い……いや、強いなどという次元ではない!)
これほどの強さを持つ男に、あれほど苦戦を強いられたアルセエリスもいる。そしてもうひとり、青い髪の女。正体は不明だが、この男がディエンタールに飛来したとき、空を舞う女たちを引き連れていたことを考えれば、その中のひとりと考えるのが自然であり、この場に選んでいるからには相当な強さがあると考えるべきであった。
有利な状況を作りだしたところで、この三人を一度に相手にするのはディアボロスといえども自信が持てなかった。まして、まともな戦闘力を持たないネルラを守りながらでは到底勝てないのは明らかであり、この場は誰もがこの男に従うよりないのだ。ノイラル公の反応は、それを理解してのものだった。
「さて。自己紹介からかな。俺はタケル・カシマ。武甕槌と呼んでくれても構わないよ」
「タケミカヅチ、だと……?」
言葉には聞き覚えがある。正しくは思い出せないが、間違いなくそれは「神の名」だ。
「あぁ、べつに本物の武甕槌ってわけじゃない。単に名前が武甕槌を連想させるから愛称になっているだけさ。別にカシマ王でもなんでも構わないさ。さ、あんたも名乗ってくれよ?」
「あ、ああ。俺はディアボロス・シトラス・ノイラルだ」
差し出された手をディアボロスは握り返した。握った瞬間仕掛けてくることも考えたが、実際にはそのようなこともなく、むしろやさしく握った。
「へぇ、名字はシトラスにしたのか。随分と甘酸っぱい名前だね」
手を離すとタケル一向は着席した。しばらくタケルとアルセエリスを睨みつけていたディアボロスも、やがて席についた。
「いいタイミングで来れたみたいで何よりだ。ノイラル公は一通り説明を終えたのかな?」
「う、うむ。我々の知っていることは伝え、ディアボロス殿からも話を聞いたところではある」
「……貴様ら、結託していたのか?」
「い、いや、違う!」
ディアボロスが殺気立つと、ノイラル公は慌てて否定した。
「単に、あんたに話すのにイチから説明するのも難しいし、話せるようになるまでも遠そうだと思ったから機に乗じただけさ。スパイ活動の賜物ってわけ」
タケルは甘い、といえば聞こえはいいが、酷薄なと言ったほうが正しい笑顔を浮かべながらそう言った。
「あんたは自分が何者で、どうやって呼び出されたのかを知ることができる。ノイラル公とネルラちゃんはずっと追い求めてきた真実を知ることができる。何も悪い話じゃないはずだけど?」
否定はできなかった。だがそれ以上に、ディアボロスは今までの話でネルラのことが気にかかった。ネルラはどれだけのことを知っていたのか。本当は何のためにディアボロスと共にいるのか。少し信じられなくなりつつあった。
「まぁ、長い話だから本題に入らせておくれよ。記憶が曖昧らしいけど、あんたは日本人……あ、いや、日本人だとは限らないか。でも武甕槌を知ってるくらいだし、日本人だろ?」
「日本人……?」
「なんだ、そこも曖昧なのか。それとも、上層世界のことは覚えているのか?」
「まて、何の話をしているんだ」
今の今まで雲を掴むような曖昧な推測で話をしていたのに、突然核心を知っている人間が知っている前提で話を進める状況に、ディアボロスはまるでついていけなかった。否、当事者であるディアボロスはまだましで、ネルラやノイラル公に至ってはまるで何の話をしているのかわからずきょとんとしていた。
タケルはまた肩をすくめて「そっからかよ」とぼやいた。
「わかった。俺がイチから話してやるよ。いいか、まず俺らの体は三千世界の上層世界のもの、つまりこの世界から見れば神の体。そして俺達の魂もその神のもの。俺達は神そのものってわけさ」
「……自分が神だとか、狂っているのか?」
「大真面目さ。そして事実だ。けどな、上層世界から三千世界の支流を通って別の世界に行くには上層世界の住人とこの世界の住人で差がありすぎる。だから、下層世界の魂を混ぜ込む必要がある。そしてこうした突飛な出来事に馴染みやすいって理由で銀河の、地球の、特に日本人が選ばれやすい。適当に選んではいるけど、別に単なるまぐれじゃなく、選ばれて日本人に偏ってる」
言っている意味がわからなかった。隣ではネルラが内容を図にしてなんとか理解しようとしていた。
「つまり、体は神のもので、俺達の元の体とは全く関係ない。けど、神の体に神の魂と人間の魂がごちゃまぜで入っているのさ。ふたつ入ってるんじゃなく、混ざって元の形なんてない。だから意思だって神だった時の意思と人間だったときの意思が混ざってる。あんた、ディエンタールじゃ散々な殺戮劇を演じたろ?人間のあんたは、例え窮地だったってのを差し引いても、人をゴキブリかクモで潰すみたいに迷いなく殺しまくれるようなヤツだったのか?」
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