濁流(2)
ノイラル城はディアボロスの想像に反した建物であった。型破りとも思われたノイラル公の性格、そして芸術的な設計であったシトラス城のイメージから、モダンで芸術的な建築物を想像していた。だが、実際には完全なる要塞であった。それは、侵略する外敵から身を守り、怒りに震える領民から身を守るための城なのだ。険しい山の上にあり、街と城の間には断絶があった。道は整備されておらず、意図的に転がされた岩に石にと歩きづらさから言ってもまともな侵攻は難しい。この上ないほど攻めづらい城だ。
街にしても、別に陰鬱としているわけではないが、シトラスのように陽気なわけでもない。人々は親切だが、北国らしい無口さであった。そして、それはただ寒いからという理由ではなく、なんとなく戦火の気配を感じる街でもあった。まだディエンタールのほうが平和な空気であったと言ってよい。
街まで騎士が二名、迎えに来ていた。もっとも、ディアボロスの騎士もネルラを含めてノイラル城の勤務経験があるため、特に戸惑いもなく和やかに城へと向かった。ディアボロスにすれば、ついついきょろきょろと見回してしまいそうになるが、それでも堂々たる姿勢を貫くために騎士に周囲を固めさせ、前を見て歩を合わせた。
跳ね上げ式の橋を持つ堀をふたつ抜け、白兵戦を考慮した庭を抜け、角のある狭い廊下が続き、ドアを抜けると部屋の角に出る、というのを繰り返すのはこの世界のトレンドなのだろうか。廊下は罠が仕掛けやすく、銃撃戦にも向いていそうなものであり、角から出てくるしかないのではとても攻められそうにない。生活はとてもしづらそうで、完全に軍事に寄せた城である。ディアボロスにとっては狭すぎてまともに戦えるような場所ではない。ディエンタールで城そのものを破壊しながら戦闘したことが思い起こされた。
ディアボロス一向が案内された場所をディアボロスが的確に表現しようとするならば、「会議室」であった。長机を囲む椅子がわずか十座あるだけの狭い部屋であり、ディアボロスにとってははまり込むような感覚であった。その会議室に待っていたのはノイラル公と、若い女の騎士であり、ディアボロスも他の騎士は待たせてネルラと二人で入室した。
ノイラル公は思い描いたのとは随分と違う人物であった。
フォランタ公は高齢で引退したとはいえ、七十に届かない程度の初老の紳士であり、いかにも穏やかな「いいおじいちゃん」であった。ノイラル建国にあたってはフォランタ公と二人で帝国に立ち向かったという話であったから、フォランタほどの歳で、明るい人物なのではないか。ディアボロスは勝手にそう考えていたのである。
だが、実際は、ノイラル公は厳しい顔をした中年の人物であり、入室したディアボロスに鋭い眼光を向けた。この世界の人々と比べ、明らかに長身で体躯は大きく、どちらかといえば軍人のような印象であった。
「君がディアボロスか……」
ノイラル公は立ち上がり、握手を求めた。ディアボロスが手をとると、しっかりと力強く握られた。
「あぁ。ディアボロスだ」
「わたしがクロフォンド・ノイラルだ。会えて光栄だよ」
ノイラル公は笑顔を見せたが、その笑顔もまた厳しかった。
「ご無沙汰しております、閣下」
ネルラがノイラル公に笑顔を向け、手を取る。その笑顔が、いつもディアボロスが見るものとはいささか違うことに気づいたが、今は努めて気に留めないようにした。
「ネルラも元気そうでなによりだ。君の美しい顔が毎日見られなくなってとても寂しいよ」
社交辞令か本心か、ノイラル公はそう言った。すると女騎士がわざとらしく咳払いをした。
「閣下、そんなことを言っているとおばさまに告げ口しますよ?」
ネルラにそう言われ、ノイラル公は笑顔のままそっと手をひっこめた。
「私はもう身も心もディアボロス閣下のものですから」
ネルラは笑顔で追い打ちをかけた。すごすごと引き下がってノイラル公が着席するや否や、女騎士が進み出た。
「閣下?傍に置くなら顔が綺麗なほうが良いと私を置きながらそれはあんまりではありませんか?」
女騎士に笑顔で責められ、ノイラル公はその大きな体を縮こまらせた。
「まったく、これだからこの国の女どもは気が強くていかん。だいたい凍てつく薔薇などと言われたネルラが今になってすっかり女の顔になりおって――」
「閣下?私は最初から女ですよ?閣下がご覧になる機会がなかっただけのことです」
ノイラル公はすっかり縮こまってしまった。見た目と雰囲気こそ厳しいが、その関係性はフランクなものであるようだ。そんなことを思っているとついディアボロスは笑顔になってしまい、取り繕うように顔を引き締めた。
ノイラル公との会談は、重要だが退屈なものであった。
そのほとんどは事前に聞き及んでいたことをノイラル公が自ら伝えているに過ぎない。まず、ディアボロスへの侯爵位の授与によって統治者の資格という疑問を解消し、またノイラル領内での明確な地位を与え、体外的にも振る舞いやすくするということである。これは、ノイラル公はノイラルにおける地位が邪魔であるならば、と配慮を示したが、ディアボロスは「多少の恩義もある」と「ノイラルのシトラス」となることを受諾した。
そして、ディアボロスの役割である。これは、事前の話の通り、フェルストガルム国境の守護というのが体外的な意味合いだが、実際には物資的にも人材的にも設備的にも重要な拠点であるシトラス領そのものを守護することが本来の目的である。これについて方針を話し合うことになったが、ディアボロスにとっては異を唱えるつもりは全くなかった。例え何かを成すことなくシトラス領を守って障害を終えるとしても、あの街の人々と美しい女たちと過ごすのであれば決して悪い話ではないように思われた。別にこの大いなる力を積極的に振るうつもりもなかったのだ。その力がマリーを殺したのだからなおさらである。
「だがな――」
話がまとまったところでノイラル公が話を続けようとしたことに、ディアボロスは些か戸惑った。
「話はそれで終わらないのだ。君は、君が何者で、なぜ、どうやってこの世界に来たのか、把握しているかね?」
ノイラル公の言葉にディアボロスは眉を顰めた。と同時に、これが本題なのだということにも気づいた。
「……ネルラとそこの騎士にも聞かせていい話なのか?」
「この話をまとめてくれたのはネルラだ。それに、こいつも極めて信頼できる。気にすることはない」
ディアボロスはため息をついた。そのことはずっと考えてはいたのだが、まるで考えがまとまっていないのだ。
「先にそっちが知っていることを聞かせてくれ」
ノイラル公はうなずき、しばらく考え込んでから口を開いた。
「わたしたちは、貴公がディエンタール王によって召喚されたと考えている。そして、その手段は今ディエンタールには間違いなく存在している。
そして、それが一体実際としては何をしているのか? 詳しくは分からないが、貴公が神話に出てくる魔神、ゴルダールに非常に通じるものがある、と考えている。リソイ、絵を」
ノイラル公の言葉に応じて女騎士が紙を取り出した。そこに書かれている絵は、確かにディアボロスに似ているといえばそのようにも見えた。
「ディエンタール王は歴史から見れば突如現れた覇王だ。出自については一切が不明だが、魔術の枠を無視したこの世ならざる術と、この世ならざる戦士たちによってまたたく間に覇道を極めた。そしてその途中、沈んだ島も、ありとあらゆる生命を閉ざした砂漠もある」
あの王からは想像もつかない――とディアボロスは思ったが、考えてみればそれは初代ディエンタール王のことであろうと気づいた。
「その後には、この世界で禁じられた神代の術があるものと考えている。そのうちのひとつが、神の召喚だ」
「神の……召喚?」
「うむ。ディエンタールの戦士は神話に出てくる戦士たちによく似ていたようだ。そしてその力は明らかにこの世の者ではない。そして、貴公はディエンタール王に呼ばれ、この世に参じた。その姿、力はどう考えても神話における最強の魔神、ゴルダールそのものであるというわけだ」
ノイラル公はそこで言葉を終えた。やや半端であるようにも思えたが、ディアボロスの言葉を待っているのだろう。
ディアボロスはディエンタール王の顔を思い浮かべた。今の話を聞くと、どちらかといえば気弱で良君に見えたディエンタール王が、ひどく腹黒く思えてしまう。
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