分かれ道(4)

「……………様? ディアボロス様!」

ふと呼びかけに気づいてディアボロスは顔を上げた。ルシカが心配そうにディアボロスの顔を覗き込んでいた。ディアボロスは微笑んでみせた。が、それは随分と力ないものになった。

「どうした?」

「あの……ぼんやりされていたので、心配で……」

周囲をみると、アオカナもネルラも、随分と不安そうな顔をしていた。ティシャに至っては、もはや泣きそうだ。

「いや、なんでもない。少しぼーっとしただけだ」

そう言って首をふったが、すぐに先程の思いがディアボロスを飲み込まんとしてくる。

「…………いや、」

ルシカがディアボロスの手を両手でぎゅっと握った。アオカナはしなだれかかるというより縋り付くようになっていたし、ネルラはじっとディアボロスを観察している。

「お前らは、マリーの死について、どう思っているんだ……」

ルシカがはっとしたように目を見開いた。アオカナは、しがみつく腕に少し力を込めて俯いた。

「……マリー様のことを、考えてらしたのでございますか……」

そうだ、と言うべきか、違う、と言うべきか、ディアボロスは迷った。確かに、考えていたのはマリーのことだが、実際に心を痛めているのがマリーのことかと問われると、そうであるようにも思えたし、失ったのがマリーではなかったとしても、誰も死を悼まないのだとすればやはり同じように苦しんだようにも思えた。

「旦那様はマリー様を愛されておいでなのでございますね」

アオカナは寂しそうにそう言った。

「それは違う!」

思わずディアボロスは怒鳴った。あまりの声に、ティシャがふらついて尻もちをつき、ディアボロスは手を伸ばしてティシャを抱えた。

「お前らのことを差し置いてマリーを思おうなどというつもりは毛頭ない。そうは思ってほしくない」

だが、続く言葉が出なかった。沈黙。すると、ルシカが腕を伸ばし、ディアボロスの首に絡みついた。そしてそのままティシャを乗り越えるようにして体を持ち上げると、ディアボロスの唇に接吻した。

「言わなくていいです」

ルシカが笑った。泣き出しそうな笑顔だった。

「ディアボロス様は、一緒に悲しんで欲しいんですよね?」

その言葉の意味を理解するのに、いくつかの間を要した。意味を理解すると、ディアボロスは溢れそうになった涙を隠そうと上を向こうとしたが、ルシカがそうはさせじともう一度接吻をした。

「ディアボロス様は誤解をされています」

今までにない強気なルシカだった。ディアボロスはルシカがそうした女だとは認識しておらず、目をそらせなくなってきていた。

「以前にも申し上げたはずです。私はディアボロス様のおそばにいさせていただきたいのです。他に行くところなどありません。他に行きたいところもありません」

ルシカは睨みつけるほどに強くディアボロスを見つめた。溢れる涙から目をそらしたいディアボロスに対して、それは許さないと言うかのようだった。

「ご主人さま。私は、ご主人さまを愛しているのです」

それは宣告だった。告白などという甘いものではない。わからず屋のディアボロスに向けられた、愛の宣告。

「私に望むことがあるのに、本心を隠されるなどと私にとっては恥も良いところです。私はご主人さまのものだというのに、その程度にも頼っていただけないなんて自分が情けなくなります」

ルシカはまた口づけた。それも甘さはなかった。

「何度でも言います。私はご主人さまのものです。なんでもします。だから、ご主人さま。私に望むことを、望むとおりに言ってください」


「ここでふたりだけの世界に入るのは、どうぞおやめください」

どれだけ見つめ合ったのかなどすっかりわからなくなっていたが、ディアボロスがルシカ以外の存在を意識から失っていたのは間違いなかった。割って入ったアオカナに、二人共がびっくりしてしまった。

「旦那様、わたくしのことをお忘れにならないでくださいまし。それは、ルシカが旦那様を深く愛していることはわたくしも存じているのではあります。ルシカはとうに、旦那様以外のことは目に入らないようでございましたから。ですけれども……」

アオカナはぐっとディアボロスの体を引き寄せた。ルシカは少し不満そうにしつつもディアボロスの体から降り、ネルラも絡みつくのはやめた。

「わたくしとて、ただ旦那様に命じられるままというわけではないのでございます。旦那様は察しの良いお方でございますから、旦那様に身請けされた際には、致し方なくという面があったこともきっとお気づきなのでしょう。ルシカやティシャに甘く、わたくしには些かそっけないのもきっと、それ故のこと。けれども、いつまでもそうではないのでございます」

ぐっと体をひきつけて見つめる。気迫のこもった真剣な眼差しであった。

「いつまでも除け者にはしないでくださいまし。わたくしも旦那様のもの。マリー様を失った傷は癒せなくとも、マリー様の代わりになれなくとも、マリー様に負けないほどに、旦那様の支えとなりたいのでございます」

アオカナの視点はルシカとは明らかに違った。マリーを失ったことがアオカナにとっては寂寥であると同時に、ライバルの脱落であることを感じさせたのは、アオカナが人気娼婦であったことを強く滲ませるものであり、逆にいえばディアボロスの心持ちに共感し、ディアボロスに歩調を合わせようとするルシカは娼婦としての成功にはあまり向かないようであった。

ディアボロスはその大きな手をアオカナのあたまに乗せると、くしゃっと撫でた。そのまま指を滑らせて背中を撫でると、アオカナを抱き寄せ、髪をなでつけ、背中を撫でた。

「ふふっ…」

何かとディアボロスが見ると、アオカナはもぞもぞと身を捩らせ、ディアボロスの腕から顔を出した。

「こんなふうにしてくださるの、わたくしを抱いたあと以外では初めてでございますね。ちょっとくすぐったいような、胸がもぞもぞする感覚でございます」

ディアボロスは呆気にとられアオカナを見つめていたが、やがて手を頭に戻し、なでつけた。手が頭に乗るたび、アオカナは少し目を細めた。

そうしていると、ぐっと服を引かれてディアボロスは覗き込んだ。

「あたしは……?」

ティシャが瞳を揺らしていた。

「あたしは、なんですか……?」

「ティシャは……姫という扱いだし、娘のようなものではないだろうか」

ディアボロスはそう答えはしたが、ティシャの扱いは少し困っている面もあった。アオカナやネルラは明らかに大人であり、ルシカは少女らしさもあるものの幼さはない。だが、小学生程度に見えるティシャはどう見ても子供であり、ディアボロスに染み付いた倫理観としては欲情するには抵抗がある。だが、年齢からいえばマリーとティシャに決定的な違いがあるとは言い難く、仮にティシャを「娘」だとすると、マリーも娘か、あるいはそこまででなくとも姪くらいの年齢ということになるのだ。そして、その感覚から言えばルシカも随分年下という感覚を持つことになる。ティシャに欲情するかどうかは置いておくとしても、ティシャを娘と位置づけることはやや難しい。

「ディアボロス様をお父さんだとは思ってないし、あたしはお父さんになってほしくて、ディアボロス様についてきたわけじゃないのよ……」

ティシャはそう言って縋ったが、ディアボロスとしては今ティシャにどういう態度を示すべきか判断しかね、結局頭を撫でるに留まった。それでも、ティシャはディアボロスの言葉を期待して待っていたし、ディアボロスの対応を、アオカナも、ルシカも、固唾をのんで見守っていた。

「ふふっ」

その気まずさを破ったのはネルラだった。ネルラがその状況を眺めながら楽しそうに笑ったのだ。

場にそぐわない反応に四人ともがネルラに注目した。

「閣下がこんなふうにモテモテなのは、私としては誇らしく、嬉しいものですね」

「ん……?」

ディアボロスはよくわからないといった様子でネルラを見た。ネルラは少し首をかしげたが、すぐに気づき、口を開いた。

「私が全てを捧げ、お使えする方ですから。そのような方に人望があり、好色ながら女からも愛されているということは、幸せなことでございますよ。もちろん、私も譲るつもりはありません」

ネルラはそう言うと妖艶に笑った。

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