分かれ道(3)

地方領主の城であるから、当然にしてディエンタールのような大きな城というわけではないが、想像よりは大きな城がディアボロスにあてがわれた。そしてそれ以上に驚いたのは、既に城はそのまま運営できる体制が整っていることだった。

ディアボロスが内政に通じていないことを踏まえ、ディアボロスの補佐にはネルラと、フォランタ公を補佐していたという老人のキルダスがつき、さらに外交、内政、生産、交易、農業、国内外交をそれぞれ専門とするものが各一名つけられた。さらに、ディアボロスの護衛を担う騎士は十四名。城内に勤務する兵士は計九十名で、兵士全体では二百五十名ほど。さらに城の運営を支える侍女が十三名と、地方領とは思えないほどの充実ぶりであった。

「元からこんなに大所帯なのか?」

ディアボロスはざっと書類を確認し、新しい臣下の顔を見ながら訊いた。文字はまだ読めないため、ネルラに全面的に頼ることとなっている。

「はい。ここは最北の国フェルストガルムと隣接している、という事情もありますが、それ以上に本城に問題が発生した際に支援体制を敷くため、他の領地よりも国として多くの支援を行っています。ここはもとは帝国の対フェルストガルム用の城塞でしたが、ノイラル公が独立した際に国境を引き受けることとなり、ここを国の拠点として再整備し、フェルストガルムとは友好関係を築くことで体外的な拠点というよりも国内の拠点として活用する位置づけに変更されました。そこを任せる、という意味でフォランタ公を当地領主としたという面もあります」

臣下の顔はいずれも覇気に満ちて明るかった。ネルラによれば、特に優秀な人物で固め、メンバーはこの領の有志、元フォランタ公臣下、そしてノイラル公の人選による派遣から構成されているという。

「ここはフェルストガルムとの国境に面しているというだけでなく、資材や財産などの備蓄も多く、これはこの領地が国の金庫の役割を担っているということです。さらに、研究者や魔術師など、国にとって重要な人物を城下に住まわせています。東西に険しい山があり、北はフェルストガルムに面してはいるものの逆に言えば北にはフェルストガルムしかありません。南にはノイラルの国土が続いています。この国にはこれ以上最後の砦となるべき場所に適したところはありません。ディアボロス様にはここの守護をお願いしたいのです」

ディアボロスは納得した。ディエンタールからディアボロスを得る目的がこの領を守護させるためだけとは考えがたいが、後門が堅ければ国の運営は非常にしやすいだろう。防衛というものは端、隅にあるほうが行いやすい。ノイラルにとってここは後門であり、ディアボロスがここにいる限りノイラルの本城は隅に配置されているということになるのだ。

「戦争に行かせようというつもりはない、ということか」

「そのような話は聞いておりません。もっとも、私はディアボロス様にお仕えすることになりますから、今後ノイラル公の意向を知るのは難しいのですが」

なんにせよ、ディアボロスとしては積極的な侵略行為に加担しようという意思はなかったので、都合の良いことばかりであると思えた。

「それで、体制自体は理解したが、アオカナたちはどうする?」

「アオカナ様とルシカ様は后妃として、ティシャ様は姫として扱われてはいかがでしょうか。」

「一夫多妻制なのか?」

「いいえ。しかし、民衆は閣下は人ではないと認識しておりますので、さしたる問題はないかと。元来、神は好色なものですし」

「…で、ネルラ自身は?」

「閣下のお心のままに」

そう言うとネルラは敬礼した。なめらかなその動きに、ディアボロスははじめて妖艶さを感じた。

少し胸が高鳴ったが、今はそのような場合ではない。臣下が期待に満ちた眼差しを向けている中だ。

「ではまず卿らに最初の質問をしよう。喫緊の課題がある者は挙手せよ」

ディアボロスが呼びかける。これには誰も応えなかった。

「いいだろう。では次の問いだ。俺は今この地に就いた。この国のことについても、今ネルラが語った以上のことは知らない。これを踏まえ、俺がまず取り掛かるべきことを知る必要がある。グロンサ!」

「ハッ!」

外交官が敬礼を返した。ディアボロスはじっと外交官を見つめる。間に緊張が走った。

「フェルストガルムとの状況を簡潔に説明せよ」

「ハッ! フェルストガルムとは良好な関係を保っており、緊張状態にはありません。先日、フォランタ公が退任され、閣下を迎えるにあたり警戒はあったようですが、フォランタ公とネルラ様が閣下を戦力としてではなく、その叡智に縋ったものであると説明いたしましたところ、納得いただけた模様です」

「なるほど。では次はクレトラ!」

「ハッ!」

今度は内政官に呼びかけた。

「城内、城下の状況について報告せよ」

「ハッ! 現在領内の人口は約四千。今年に入って盗みによる騒ぎは一件もなく、平和そのものです。今年は天候も安定しており、豊作で農作物の心配もありません。城内も今のところ問題はありませんが、今回人員が大きく入れ替わりましたので、元々この城に勤めていた者との間ではまだ打ち解けていない模様です。城下で今最も話題なのは閣下について、次いで話題なのは当領地イチの美人と評判のシルセナが冴えない男と噂のバンフラと結婚したということです」

「なるほど。平和そのものだということはわかった。よし、ではモサチオヌ!」

「ハッ!」

「国内情勢を報告せよ」

「ハッ! 現在、国内に不穏な動きがあるとの情報は入っておりません。閣下の就任に異を唱える者がいるとの報もございません。公爵閣下に関しましては、折を見て閣下に話を聞くつもりであるようです」

「よし、わかった」

話を切ると、ディアボロスは再度間を見渡した。気になることは数多くある。だが、いきなりそれら全てに取り組むのは無理だろう。ここまでしっかりと「領主」をすることになると想定していたわけではないため、ディアボロスとしても考えをまとめる必要があった。

ディアボロスは今、領主なのだ。利用せんという悪意と、ディアボロスのあまりの力に恐れをなしたディエンタールの者とは違う。この国のものは皆純朴であり、ディアボロスを純粋に招きに応じてくれた守護神であると信じているのだ。

ディアボロスはゆっくりと立ち上がり、両手を広げた。立たせていた臣下は、それに応じて皆すぐに膝をついた。

「貴殿らの意思、心はしかと受け取った! 俺は今日よりこの地を守護する。この地を汚そうとする者が指一本触れることを許しはしない! それだけではない。この地は良い地だ。それは間違いない。だが、文明とは豊かに、安全に、快く過ごすことを可能にするものだ! この身に宿る叡智をもってこの地をこの世界のいかなる場所よりも、暮らしやすく、素晴らしい地とすることを約束しよう!」

皆膝をついているので反応はない。だが、ディアボロスには確かな手応えがあった。

「俺はこれより今後の方針を考える。それにあたりさらなる情報が必要なとき、貴殿らを呼ぶことになるだろう。本日は城内に留まり、城内での所在を明らかにしておくように!」

「「「ハッ!」」」

返事が唱和された。

「ネルラ、寝所へ案内せよ」

「はい、わかりました」

顔を上げるとネルラは妖しく微笑んでいた。


「肩がこる」

寝室に入り、女たちだけになるとディアボロスは早速にぼやいた。

「ご立派でございましたよ」

座り込んだディアボロスに、アオカナがしなだれかかる。最初肩に手を伸ばそうとしたが、少し高かったようだった。代わってルシカがベッドの上に上がり、ディアボロスの肩を揉んだ。

寝室はかなり広く、ベッドはとても大きかった。

「執務室ではなく寝室なのですね」

ネルラはからかうように笑いながら衣を解いていった。

「そのつもりがないわけではないが、それはさすがに急きすぎているぞ。執務室が用意されていると確信できなかっただけだ。この部屋を出れば俺は主君として振る舞わなければならないわけだ。これは息が詰まる。この部屋にひきこもりそうだ」

ディアボロスが止めたものの、ネルラはそのまま下着姿となってアオカナとは反対側に座った。

ディアボロスはひどく息苦しさを感じていた。これは望んだもののはずである。立派な領地、善良な民、最低限文化的な暮らしを手に入れ、美しい女たちを侍らせている。なんの不満もないはずだ。この世界に来て望んだものは手に入ったと言っても過言ではない。

だが、幸福には感じられなかった。女たちを好きにできて、女たちも少なくとも表向きには好意的に接して来る。だが、ひどく違和感があった。女たちがここにいて、こうして好きに触れているにも関わらず、どこか違う世界に切り取られているようであった。

その違和感が孤独だと感じたときには、もはや手遅れだった。

マリーは怯えたり、蔑んだりしながらも、ディアボロスがこの世界にきたその日からいつも一緒にいた。マリーのいない夜はなかった。常識も、感覚も、文化もまるで馴染みのない、知識も共有できない、そんな世界にひとりきりとなったディアボロスは、いつでも握りつぶせるようなか細く取るに足らない生命だと侮っていたマリーに、どれだけ依存していただろう。きっとマリーがいなければ、ディアボロスはただただ不安をかき消すように、強がり、戦い、蹂躙することで己の安住を確認していたに違いないのだ。

マリーがいたから、この世界で「生きる」ことができた。なら、これからはどうすれば良いのか。

違和感はどこまでも膨らんでいく。

マリーを失って、ディアボロスはずっと嘆き悲しんだ。アオカナもルシカも、ずっとそれに寄り添っていた。だが、ふたりの感情はなんだったのか。なにを思ってふたりはディアボロスと共にいたのか。

ディアボロスは、共にマリーの喪失を悲しんでいたように思っていた。いや、そう思いたかった。それが事実でないことはとうに気づいていた。アオカナには、自責と、怯えが。ルシカには、心細さと恐怖が。そしてなによりも、その目には、ただひたすら困惑が広がっていたのだ。

ディアボロスがこれほどまでに悲しむことが。人の死を。マリーの死を。自分の女の死を。悲しむことが、ふたりにとって受け入れがたいのだ。

ならなぜディアボロスは、ネルラにすがらないのか。一言一言に深くうなずき、マリーの死の下りでは涙さえ流し、いつもディアボロスを気にかけるネルラなら、たとえみっともなくその悲しみをぶつけたところで受け止めるだろう。

だが、ディアボロスはそうしなかった。それどころか、ネルラにその心情を告げることを恐れて、ただ淡々と、事実を並べていただけなのだ。

もう、ディアボロスは気づいていた。

ネルラはディアボロスの話に感情を見せた。それは、「ディアボロス様が悲しいから」「ディアボロス様が苦しいから」。

誰もディアボロスを責めなかった。マリーの死は、仕方のないことだと言った。

そうだろう。だからディアボロスは苦しいのだ。この世界において、女というものは、命というものは、そういうものだから。

ディアボロスは、歴史が好きだった。いろんな国の、いろんな事柄の歴史を色々と覚えようとしたものだ。だからとっくに知っていた。ディアボロスのいた世界とて、命が重くなったのは現代に至ってよりももっと後の話だ。近代から現代に至っても、命というものはとても軽かった。それより前には、命を失うことに特別な感慨なんてない、それどころか自分の子供の命の選別すらもさしたる感情の起きないことだったのだ。権力者であっても他者の命は、その血縁であっても軽かった。ましてろくな労働力たり得ない子供や女の命などもっと軽かった。体や心を蹂躙されることが悲しいことだと思われるようになったのなど、現代に至っても十分とは言えない。むしろ、大した労働もしない命が報酬として扱われるなら、価値が生まれてよかったとすら思われただろう。否、現代においてすら命は軽いのだ。未来からみれば現代は、命も人格も、人を人とも思わぬ扱いをしてきたものと見られることだろう。

そして、この世界が中世程度であれば、中世における人権意識や命の重さの価値観を現代の者が受け入れられるはずもない。ディアボロスとこの世界の人々の間には根源的な価値基準に相違がある。ディアボロスがどれほど傲慢かつ残虐に振る舞ったつもりでも、それは大したこととは思われないのかもしれない。

神話の巨人の勇敢なる活躍に女がひとり犠牲になった。そんなことを気に留めるはずもないのだ。

ふとディエンタール国王の憔悴しきった顔が浮かんだ。マリーを失ってこの世に絶望するほどに苦しいのだと話したら、マリーはなんと言うだろうか。

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