分かれ道(2)

食料調達も難しい事情を鑑みて、結局翌日には一行は出立することとなった。同行を申し出た、ディアボロスに助けられた少女――名前はティシャという――は元より身よりもないということだったから、ディアボロスとしても見捨てがたいということで同行を許すこととなった。

ノイラル公国への道は途中ミュットランダル帝国領を通ることになるが、街道を通るだけであれば税を払うだけで比較的自由であった。

馬を飛ばせばなんとかその日のうちにつくというが、馬はネルラが乗ってきた一頭だけ。ディアボロスが馬に乗るのはいささか不安もあったため、女四人の疲労を減らすべく交互に乗せた。当然ながら、主にはティシャを乗せることになった。

その旅路で、ディアボロスはネルラにこれまでの経緯を語った。ネルラはディアボロスの一言一言に強い共感を示し、怒り、悲しみ、涙した。ネルラのことを不敵で堂々たる女と見ていたディアボロスだったが、その暖かさにいくらか心も癒えたようだった。

道中に不穏なことは特になく、ただネルラとティシャを交えてこれまでのことを語る程度であった。

正しくは、道中モンスターに襲われることは何度かあったのだが、ディアボロスの戦闘力があれば飛んできた虫を払う程度のことで壊滅させられるため、「何事もない」旅路であったと言ってよかった。その分、ディアボロスが悲嘆に暮れた顔で押し黙っていると重苦しい空気になり、ネルラがディアボロスに言葉を吐き出させ、その心を解きほぐしつづけたことは、アオカナ、ルシカも助かったと感じていた。


「それにしてもその男、気になりますね。何者なのでしょう」

宿につき、落ち着いてからネルラがそう口にした。誰かに聞かれたくない話だったのだろう。

「わからん。少なくとも普通の人間ではなかった。あの魔王より強いのは確かだ。俺と同等…いや、それ以上かもしれん」

ディアボロスはその瞬間を思い返す。悪魔をアルセエリスに叩きつけ、無防備となったアルセエリスに向けての突撃。確実にとったと思った。間違いなく集中していた。油断した覚えはない。

だが、ディアボロスが叩きつけられたのは、跳躍した地点より後方であった。ディアボロスは 前方から 攻撃されたのだ。だが、その事態は全く捉えられなかった。

ディアボロスはそのパワー、瞬発力、そしてそれによって発揮される速度が武器である。そしてその速度が有効であるのは、その速度においても何が起きているのか正確に捉えられているからこそだ。そのディアボロスがまるで捉えられない速度を持つ攻撃は、奇襲を受ければ防ぐ方法は全くない。あの男との戦いにおいて、為すすべもなく一方的に攻撃を受ける姿は想像に容易かった。しかも、あの男は明らかに自身になじんだ武器を持っていた。ディアボロスは現在に至るまで、まともに用に耐える武器を見つけられていない。だからこそ自身を肉体を中心に考えて戦っているのだが、その膂力を前提とした上で、常人にとっての武器と同じ意味をもたせられる武器を持つことができるとすれば、あの男は訓練された兵士、ディアボロスはただの素人で丸腰の男、という図式すらありえた。

「少なくとも敵対的ではない、ということでございましょうか」

アオカナが問うたが、ディアボロスは首を横に振った。

「戦意がなかったわけではない。あの男は俺がアルセエリスを渡さないと言っていれば、戦う意思だったのだ。明確に殺意もあった。あの場ではあくまであの男はアルセエリスが目当てだっただけで、俺のことはどうでもよかったんだろう」

「魔王に執着する、というのは一体どういうことでしょう。何か因縁でもあるのでしょうか」

「さぁ。全くわからん。あの男に関しては何もわからんという以上には言いようがない。強いということはわかるが、どれほど強いのかも、何者なのかも、何が目的なのかもだ。今の段階では強くならなければならない、ということしか分からん」

「……そうなんでしょうか…」

ネルラに答えたディアボロスの言葉に、ルシカが小さくそう漏らした。

「…何が言いたい?」

ディアボロスの問いに、ルシカは少し怯えた様子を見せて逡巡したが、結局は口を開いた。

「ディアボロス様は強いです。すごく。魔王も退けた今、ディアボロス様がさらに強くなる必要が、あるんでしょうか…」

「…………」

誰も何も言わなかった。ディアボロスは強い。何も恐れるものなどないほどに。それは確かな事実だった。白装束の男の登場によってその絶対性がいくらか揺らいでいることは否めないが、だとしてもアルセエリスがディアボロスに対する決定打を持たなかった以上、魔王ですらもディアボロスにとっては恐るるに足りない。それは事実なのだ。だが、

「いや」

ディアボロスは首を振った。

「マリーを失ったのは俺の弱さのせいだ。俺は強くならなければならない。強くなければならない。俺は、貴様らを失いたくない」

誰も何も言わなかった。アオカナは何かを言いかけたが、それでも口をつくんだ。


道中、何度かモンスターとの戦闘があり、中には近くにいた商人が騒ぎ出すようなこともあったが、結局のところ何ら脅威はない道行きであったと言って差し支えない。ルシカが言った通り、ディアボロスの恐るるべき敵などなかったのだ。

だが、その事実はディアボロスの心を何一つとして癒やさなかった。ディアボロスが恐れているのは、強大な力に自信が打ち倒されることではなかった。ただ、ディアボロスがマリーを失ったという事実を覆すために力を欲した。

だが、現実は皮肉にも、自分の戦闘に女の死の影を連想するほどにディアボロスの振るう拳は鈍り、なんども振り返った。そして、何度もモンスターに角を、牙を立てられることとなった。その危うさに、ネルラ、アオカナ、ルシカが不安がり、三人が不安がっているのを見てティシャが不安がるという事態だった。

そしてそんな隙を突いてモンスターが女に接近したことより、ディアボロスはさらに慎重に戦うようになり、その慎重さが仇となって易々と通り抜けられたはずの道で足止めされた。足止めの結果夜を迎え、さらなる危険を招くことにもなった。

うまくいかず、女を危険に晒していることにディアボロスは苛立った。その苛立ちを女たちは恐れた。


「おぉぉ…これは…」

噛み合わない旅に空気を悪くしていた一行だが、ようやくノイラル公国に到着し、そこからさらに歩き続けてディアボロスの領に案内されると、ディアボロスは感嘆の声をもらし、アオカナとルシカは呆気にとられ、ティシャははしゃいだ。

「いかがでしょう。ご期待に添えるよう、全力をつくしたつもりですが」

いつも自信満々なネルラも、いつもよりいささか得意げであった。だが、それも納得である。文明の発展と衛生には深いかかわりがある。だからディエンタールでの日々においてディアボロスが最も辛かったのは「衛生的でない」ということであった。だからこそノイラルに対してディアボロスが要求したのが水洗トイレである。だが、それでもノイラルに対してそこまでの期待はしていなかった。それが、石畳が美しく、路地は整えられ、整然とした街は人の笑顔が溢れ、活気がある。ディエンタールもそれなりに平和で人々が明るい国だと思ったが、それと比べても随分と近代的というか、旅行雑誌に「中世の面影を残すヨーロッパの田舎町」のどと言って写真が出てきても違和感がないようなものになっていた。まずもって臭気が全く違う。

「居城にご案内いたします。もとはノイラル公とも懇意にされていたフォランタ公の領でしたが、二年ほど前に腰を痛められて隠居され、この城も管理する者がいなくて困っていたのです。フォランタ公はきれい好きで、他国や昔の文化にも関心のある方でしたから、ディアボロス様のお話をお聞きしたときにまさにうってつけと思ったのです」

「この話、フォランタ公はなんと?」

「ぜひ庭の花の世話をしてやってほしいと」

ディアボロスははしゃぎすぎて何度も転びそうになっているティシャを肩に乗せ、ゆっくりと景観を眺めながら歩を進めた。

「見ると聞くとでは本当に違うものでございますね。数日を経た場所にこんなにも違う世界が広がっているなどと、想像さえしたこともございませんでした」

普段は感情の読めないアオカナも、いくらか頬を緩め、笑みを浮かべて町並みを見ていた。

「アオカナは帝国の出身ということだが、こうした町並みではないのか?」

アオカナは思い返すように、感慨を噛みしめるように目を細めて町を眺めた。

「まるで別物でございます。ディエンタールと比べれば、いくらか機械など優れているところもございますが、美しいにはほど遠く、いつも緊張感のある国でございました」

ルシカもまた初めて見る光景に、いつもよりも幼い少女のような表情を見せていた。

「帝国は国力が高く、人口も多いので、階層化された軍による管理を行っており、末端の予備兵が横暴な態度を取るという問題があるようです」

ネルラが解説した。

「帝国とこの国でそんなに違うのか?」

「ノイラルは僻地にございますし、帝国のように戦争も多くはございません。軍の規模は小さいものの練度が高く、裕福ではないものの土地を大事にする領主が多く民衆との距離も近いので、良い国だと私は思っております」

ディアボロスが領主として治めるとすれば、当然ながら現代的な、文化的水準が高いほうが対処はしやすい。蛮族の国では統治しようにも変えなければならないことが多すぎる。そうしたことを思えば、平和で過ごしやすく、治めやすい国であるように思われた。

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