炎上(6)

もはや戦いは一方的なものではなくなっていた。魔力壁によって防ぎながらも攻撃を受けたアルセエリスのダメージは深く、攻撃は緩めてはいないものの、いつ倒れてもおかしくはなかった。直撃を受ければ死は免れない。

さらに巨大化したディアボロスの速度は速く、突進からの切り返しで再び突進されるのを防ぐのが難しくなった。全方位にばら撒こうにも、ばら撒いた直後は距離が近すぎてディアボロスの捨て身の攻撃の衝撃波から身を守れない。

一方のディアボロスも、攻撃を受ければ足が止まり、追撃を受けた上に動きを封じられる。攻撃を受けずにアルセエリスに届かせることはできず、既に蓄積したダメージはディアボロスの足をふらつかせていた。

アルセエリスにはまだ手が残されていた。ばら撒きの数。黒い球の間を縫う閃光の精密射撃。空中から降り注ぐ魔力弾。小さい魔力弾の連射。自在に生じさせ、消すことのできる武器もまだ種類がある。しかしそれはもはやディアボロスを封じ込めるのに十分な手とは言いがたかった。

ディアボロスの加速と、黒い刃のタイミングが偶然に合った。アルセエリスは期を逃さなかった。魔力弾の連射で制圧。起き上がるタイミングで、鎌を大きく振りかぶった。

勝負手だった。完全に封じた状態でなければ、ディアボロスからの反撃を受ける可能性がある。そして、反撃を受ければ死は免れない。それでも、ディアボロスを封じる手を止めて、魔力を武器に注ぎ込んだ。

ディアボロスはその隙を逃さなかった。起き上がり、手で体を支えながら拳を突き出す。

賭けに勝ったのはアルセエリスだった。拳を突き出すよりも速く鎌が首を狩り、さらにその勢いで回転しながら首を切り裂いて宙に舞った。激痛からディアボロスの手は宙を彷徨い、倒れ込んだ。

ディアボロスは血を撒き散らして倒れたが、アルセエリスには必殺の手はなかった。武器を剣に持ち替え、魔力を込めて突き立てる。切っ先にわずかに体に突き刺さったに過ぎなかった。刺突は難しいと見たアルセエリスは切り裂きながら距離を取り、超高速魔力弾の連打に切り替えた。

首を切り裂かれ、血を撒き散らしたディアボロスだが、まだ生きていた。一時は意識も遠のいたが、体を打ち付ける強烈な衝撃が覚醒させた。まだ立てる。飛び退くと、拳を突き出して魔力弾を叩いた。

もはや力の爆発であった。弾かれた魔力弾をアルセエリスはかろうじて避けた。ディアボロスが大きなダメージを負った状態で再び事態は膠着した。黒い球をばらまく。急速に転換するような負担の大きい技を使いにくくなったディアボロスは、機を狙ってアルセエリスを睨みつけた。足の鈍ったディアボロスを雷撃が狙う。しかし、雷撃の発生には少し間があった。ディアボロスはこれを回避し、にらみ合いが続いた。

そのとき、ディアボロスの視界になにかが移った。それが何なのか、認識する前にディアボロスは突進していた。

アルセエリスは、明後日の方向に走り出したディアボロスを見て、切り返しのり攻撃を予測し球をばら撒いた。だが、それは違った。ディアボロスが走ったのは、その先にいた悪魔を狙ったものだった。そして、その悪魔の目の前には少女の姿があった。

悪魔が気づいた時にはその頭は握りつぶされ、ディアボロスは正面の建物を破壊しながら突進していった。

アルセエリスが呆気にとられていると、次の瞬間凄まじい衝撃を感じた。

視界がぐらつく。何が起きたのかわからなかった。

アルセエリスは、予想もしないディアボロスの行動に気を取られた。さらに、ディアボロスがそのまま建物に突っ込んだことにも気を取られた。そこから加速してくることを予測せず、球を展開しなかった。

ディアボロスは、悪魔の体を掴んだまま加速した。そして、一直線にアルセエリスに向かって突進し、悪魔を投げつけた。悪魔とぶつかり、アルセエリスの体が宙を舞う。自ら浮いたわけではない。滞空できないアルセエリスに空中の自由はない。ディアボロスはアルセエリスの落下点目掛けて飛んだ。


何が起きたのかわからなかった。

気がついたときにはディアボロスの体は地を這い、回りの大地は吹き飛び、えぐれていた。

「ぐっ…ぅっ…」

膝をついて立ち上がる。

「悪いけど」

男の声がした。

「君にこの子をやらせるわけには、いかないな」

気力でなんとか踏ん張って立ち上がる。その姿が見えた。

白い服。白いマント。金色と水色の刺繍。金色の髪の美男子。ヒーロー。主人公。正義の味方。そんな言葉がこの上なく似合いそうな男が盾を構えて微笑みかけていた。

その男の後方にはアルセエリスが横たわっていた。ようやく状況を理解した。アルセエリスにとどめを刺そうとしたディアボロスを、この男が介入して止めたのだ。そしてその威力は、アルセエリスの一撃とは比べ物にならない破壊力であった。

「悪魔は俺達が引き受ける。この子は俺がもらっていく。君にも悪い話じゃないだろう?」

俺達?ディアボロスは疑問に思って周囲を見回した。その視界に、宙を舞う、武器を手にした少女たちの姿が目に映った。自分が何を見ているのか、ディアボロスは理解できなかった。

「そっちの子も無事だったわけだし」

男が指差す。その先にいたのは、先程悪魔から救った少女。先程は体が勝手に反応したが、こうして見直して思い当たった。それは、男に追われ、ディアボロスに助けを求めてきた少女だった。

「どうしてもやりたいって言うなら、仕方ないけど。君の守りたいものを守れなくなってもいいならね」

男はそう言うと剣を抜いた。金細工の施された、白く輝く剣。さながら勇者の聖剣であった。

ディアボロスは身構えたが、冷静さを取り戻していた。

現実を見れば、ディアボロスがアルセエリスはもはや生きているのか死んでいるのかもわからず、この戦いはディアボロスの勝利と見ていい。ディアボロスは、アルセエリスを仕留めることができるはずだ。

だが――そうする必要があるだろうか。

別にアルセエリスが復讐すべき相手ということではない。目的は殺すことではなく、自分の女を守ることだ。そのためにはアルセエリスを含め、全ての敵を撃滅する必要がある。

しかし、この男は悪魔も、アルセエリスも、自分たちが引き受けると言っている。それを拒否すれば戦うと。つまり、この提案を受け入れればこの男は戦う気はないのだということになる。ディアボロスは一人ですべての悪魔を撃滅してこの国を救える状況にはない。ただ、ここで悪魔を迎え討つだけだ。それと比べれば、正体不明の軍勢で襲来したこの男に任せることは、よりうまく行く選択であるように思えた。

そして何より

(こいつは、なんだ…)

この男が、そして宙を舞う少女たちもただの人間でないことは明らかだった。アルセエリスの比ではない。ディアボロス自身よりも強い可能性すら考えられた。そして、それが軍勢である。大きな傷を負った今、この男と戦うことは現実的ではなかった。

「悪魔どもはすべて殺すのか」

「殺すと約束はできないな。でも少なくとも、追い出すか、殺すか、消滅させるか、そのどれかではあるね」

そう笑顔で語るが、男には隙がない。いつでも戦える体勢のままだった。

「わかった。貴様に任せる…」

それを聞いて男は剣を収め、踵を返すとアルセエリスを抱え上げた。それを見て、ディアボロスも背を向け、宿へと向かった。

何か違和感を感じながら歩く。

そして気づいた。

宿が、なかった。


跡形もない、ということはなかった。ただ、建物はぐしゃぐしゃに潰れ、もはや中に入るということはできなかった。

ディアボロスは必死で瓦礫をかき分けた。それでも、もしかしたら瓦礫に埋もれて苦しんでいるかもしれないと、速く、丁寧に瓦礫を放った。

しばらくそうしていると、ぐにゅりと柔らかいものに触れた。冷たい汗が流れる。そっと瓦礫をどけると、ぐしゃぐしゃに潰れた生き物の体がそこにあった。

心臓が止まるかと思った。だが、なんとか頭を回転させる。

違う。これは宿の下にいた女だ。宿の主人にここのことを任されていると言っていた。

カラカラに渇いた口の中を、渇ききった舌で舐め、そっとその体をよけると瓦礫をどかしつづけた。もうだいぶ片付いた。形がなくなって埋まっているようなものはもうない。

(うまく逃げたのか…?)

可能性はある、と思った。特にマリーは機転が利く。激しくなる戦闘に、この場を離れたほうがいいと考えるかもしれない。そうなると今度は悪魔に襲われたのではないかということが心配になるが、もはやあの男の軍勢によって救われることを信じるしかない。

ディアボロスは地面に広がる瓦礫をどけることをやめ、建物らしき姿をわずかに残した部分にもたれた瓦礫をどけた。

湿った、嫌な、感触が、した。

手が震える。瓦礫をそっとどけた。

そこには、跡形もなく潰れ、あらゆるものが飛び出した、体だったものがあった。

それは、きれいな、紺色と、白色の、赤黒く染まった布を、まとっていた。


マリーだった。

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