炎上(5)

門をつきやぶって駆けつけたディエンタールの街は既に惨状であった。あちこちで火の手が上がり、建物は無残にも破壊され、至るところで人々が殺され、さらにその体を蹂躙されている。

ディアボロスはそれらを見捨て、宿へと走った。既に鬼の群れには追いついている。奥のほうにある宿は、まだ希望があった。


阻むものをすべて破壊しながら宿にたどり着くと、既に鬼はいたが、まだ宿を破壊された形跡はなかった。否、鬼がいた、というのは誤りである。不自然に鬼が群れていた。

今のところ破壊されている建物は壁に近い、外側の街であり、鬼も数が限られていた。そして、ディアボロスの目には攻城を進める鬼の群れが見えた。二面で作戦を展開しているか、あるいは二種類の鬼が混在しているかであるように受け取れた。

ディアボロスは己が為すことを迷わなかった。この宿を死守する。マリーを、アオカナを、ルシカを守る。それだけを心に刻んだ。

闘気が宿る。ディアボロスは今までにない力を感じた。

「ウォォォォォォォォォォォォ!」

咆哮。疾走。もはや相手が鬼であろうと関係なかった。その拳は鬼の体を砕き、大穴をあけた。勝ち誇る余裕などない。ただ目の前の鬼を破壊するだけであった。

「ォォォオオオオァァァ!」

鬼の攻撃は驚異的なものであった。体の前から光線のようなものを放つ。それを受ければ凄まじい熱を感じ、さらに爆発によって周囲もろとも吹き飛ばした。

だが、その程度でディアボロスの体は音を上げなかった。正面からその攻撃を受けながらも、ディアボロスはその拳で鬼を破壊しつづけた。鬼は飛翔して逃げるようなことはなかった。まるで盾となるかのように、隊列を崩さずディアボロスを攻撃した。接近戦では刃の長い槍を使う。だがこちらをまともに受けても、ほんのわずかな切り傷にしかならなかった。

鬼を殴り、殴り、倒しつづけていると、ふっと視界が開けた。

「ほぅ…」

そこに立っていたのは、女であった。膝まである深紅の髪。怪しい光を放つ赤い目。すらりとしながらも魅惑の曲線を描く体。背の高い、美しい、赤い、女だった。

「貴様が例の怪物か」

女は嗤っていた。「こいつは違う」というディアボロスの感覚は、なにも見た目によってもたらされている訳ではなかった。

今、周囲にはこれの他に鬼はいない。ディアボロスとしては焦って倒す理由はなかった。そして、なによりそのような無謀な特攻が、この敵の前では致命的な行為となることを感じていた。

「はじめまして。私はアルセエリス。貴様らの恐れる、魔王だ」

赤い女はそう名乗った。くっくっくと笑い声を漏らす。

「この戦場で自己紹介か?いいだろう、俺は悪魔ディアボロスだ」

挑発的に笑い返す。だが、いささかぎこちなくなった。

アルセエリスは少しきょとんとしたあと、面白そうに嗤った。

「悪魔か!それはいい。なら同類同士、仲良くしようじゃないか」

ディアボロスはわざとらしく肩をすくめた。

「貴様が俺に従属するというなら、まぁ考えないでもないな」

会話はそこまでだった。同時に構える。アルセエリスは既にディアボロスの攻撃を見ていた。尋常ならざる速度と、そこから生み出される破壊力。武器はなし。そして強固な肉体は、鎧も建物も破壊する光線撃すらもはじく。一方のディアボロスは、このような鬼を率いる、ただの麗人に見えるアルセエリスがいかなる能力を持つのか、全く予期できなかった。

口火を切ったのはアルセエリスであった。アルセエリスが腕を振ると、周囲に黒い球がいくつも浮かんだ。それは非常にゆっくりとした動きで浮遊する。

その威力は不明だが、ディアボロスはそれにわざわざあたりに行こうとは思わなかった。素早く回り込み、アルセエリスを粉砕すべく加速する。だが、そこに光線が襲いかかった。

「ぐぉぉぉぉぉぉっ…!」

かなり痛い。そして何より、爆発に体が押され、後退し、足が留まった。アルセエリスは逃さず、黒い球をばらまいた。

ディアボロスは飛び退いた。距離をとって様子を見ようとした瞬間、アルセエリスが手を縦に振った。次の瞬間、ディアボロスの体に強い衝撃が走った。

「っぐぉ…っ…」

ぐらりとゆらいだ体に黒い球が衝突する。すると体の中が爆発するような衝撃が遅いかかった。一撃はさきほどのものと比べれば軽い。だが、一度にばらまいた量だけでも数十はある。それらに触れるたびに衝撃が襲い、ディアボロスは膝をついた。

次の瞬間、アルセエリスは目の前にいた。反応は間に合わない。衝撃は後ろから来た。

焼けるような鋭い痛み。次の瞬間にはもうアルセエリスは距離を取り、黒い球をばら撒いていた。手には、巨大な鎌。

(なるほど…)

首に血の伝う感覚があった。普通、剣であれ斧であれ槍であれ、攻撃は相手の体がある方向から来る。だが、鎌の場合は横や後ろから来る。非常に読みにくい攻撃だった。

(強い…)

これだけの攻撃を受けてもダメージは小さい。その意味で単純な強さであればディアボロスのほうが上だということは、ディアボロス自身にも自覚はあった。恐らくは、一撃を入れることさえできれば決定的なダメージになるだろうということも。だが、手数の多いアルセエリスの攻撃を前に、近づくことすらできない。その衝撃で体は自由に動かない。強引に突撃するという方法もまた効かなかった。

「せぃぃっやぁ!」

大地を踏みしめ、殴りつける。大地が揺れ、衝撃がアルセエリスを襲う。だが、アルセエリスはふわりと宙に浮くと、手を縦に振った。一瞬遅れて体に衝撃が走る。それは黒い雷であった。

体の自由を失い、踊らされるところへ黒い球で動きを制限される。黒い球で長く拘束されれば鎌の斬撃を防げない。三種類の攻撃は確実にディアボロスの手を封じ、ダメージを蓄積していた。加えて上方への回避があり、回避しながら攻撃もできる。一方、ディアボロスとしては高速で近づいて殴るか、直接当てないまでも衝撃波で攻撃するかのふたつしか手はない。黒い球が接近を絶妙に阻んでいた。

より力をため、より強み踏み込み、より速く拳を打ち出す。大地が揺れ、衝撃波でガラスが飛び散った。アルセエリスは鋭く察知して飛び退いたが、逃れられなかった。

「っあ…」

体に衝撃、血が飛び散る。だがひるまない。手を二度、三度と振る。

雷撃。ディアボロスは防げない。体に衝撃が走る。次にきたのは大地から飛び出た黒い刃であった。ディアボロスを穿とうと放たれたが、ディアボロスの体は貫くことはできず、しかし強く鋭い衝撃がディアボロスを襲った。

後ろへと弾かれたところへ今度はアルセエリスの手から超高速の黒い球が放たれた。避けようとしたが、体の自由が利くのが遅かった。さらなる衝撃。ディアボロスははじき飛ばされ、後ろの民家を破壊しながら転がった。

怯まない。ディアボロスは立ち上がり、さらなる闘気を見せる。衝撃波で家を吹き飛ばし、土煙の中突進した。

アルセエリスは再度宙に浮く。黒い球のばら撒き。ディアボロスはそこにつっこみ、体を踊らせた。宙から勢い良く降下。今度はアルセエリスの手には剣があった。降下の勢いのままディアボロスを切り裂き、そのまま走り抜けて黒い球をばらまく。ディアボロスが追撃を諦めたところで宙に舞い、閃光を放った。これまでの鬼、否、悪魔とは比べ物にならないほどの強烈な閃光、衝撃、熱。だが、耐えた。そこに襲いかかる雷撃。足を長く止めすぎたことで襲いかかる黒い球。アルセエリスの斬撃。超高速の球。またばら撒かれる球。

ダメージが蓄積する。だが、ディアボロスは激しい痛みを感じながらも、闘志は増し、速度も増し、拳にはさらなる力が乗っていた。アルセエリスはその巨体が、さらに大きくなっていることを感じていた。

大地を蹴る。大地を震わせ、跳躍する。空中からの突進。黒い球を空中には展開していなかった。アルセエリスはもはや本能で正面に魔力壁を展開した。それは黒い球の巨大なものに等しい。そこに突進したディアボロスには、体が弾け飛ぶのではないかという衝撃が襲った。だが、それはディアボロスの拳を受け止めきれなかった。その拳が、ついにアルセエリスの体に届いた。


その頃、宿では女たちが身を寄せ合っていた。

状況は把握していた。あの赤い女が魔王であることも、ディアボロスがこの宿を守っていることも。

臆病なルシカが体を縮こまらせ、それを抱きしめるアオカナもまた、恐れと不安を目にたたえていた。

「逃げましょう」

ただひとり、恐怖に捕われていなかったマリーがそう言った。

「え?」

何を言っているのかわからなかった。

「旦那様を見捨てるというのですか⁉ いえ、それだけではありません。旦那様が、あの女に負けるとでも?」

アオカナが強い意思を目に取り戻し、反論した。だが、マリーは落ち着いた様子で答えた。

「違います。ディアボロス様はここを守っています。しかし、このままではディアボロス様は全力で戦えません。少し離れましょう。ディアボロス様が全力で戦えるように」

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