炎上(2)
ルシカはディアボロスの視線に気づき、俯いてしまった。きまずい沈黙の後、ディアボロスが何か話そうかとしたところで、ルシカは口を開いた。
「帰る場所が、帰りたいと思える場所がないことは、とても悲しいことです」
マリーははっとしたようにルシカを見たが、アオカナは悲しげに微笑んだままだった。
ルシカは言葉を続けようとはしなかった。ディアボロスとしても察するところは合ったものの、あえて
「俺は貴様らのことを聞きたい。知りたいのだ。辛いことかもしれないが、話してくれないか」
と言った。この言葉には各々驚きを表したが、最も早く受け入れたのはルシカだった。
「私は、物心つくかつかないかの頃には奴隷として売られ、そのときの主人が捕まり、行き場のなくなった私はあの娼館に拾われることとなりました」
「主人は私を性奴隷として購入したのでしたし、思いつく限りの…いえ、私には到底思い至らないような様々な陵辱を受け、恥辱を受けました。それでもお前はつまらないと、拳を振るわれることも少なくありませんでした」
「奴隷としての日々は、一刻も早くここから逃げだしたいと、そう思っておりました。しかし、いざ解放されてみれば、私はなにも持っていません。知識も、お金も、物も、なにもなく、ただ淫らに振る舞うことだけが、私のすべてだったのです」
「ですから、私はこの街に放り出され、したことは当然、体を売ることでした。物乞いの一方で、施しの多い物乞いに体をうって分けてもらう、そんな暮らしをしておりました」
「しかしそれでは生きていけず、街の人に、あるいは貴族の方に体を売るようになりました。そして、私の主人を捕らえた衛兵と同じ方につかまり、娼館に引き取られました」
「娼館についてからは、マリシアというお姉さまが私の身の上を哀れんでくださり、様々なことを教えてくださいました。」
「それこそ、街とはなにか、お金とはなにか、食料はどうやって手に入れるかといったことから、国のこと、戦争のこと、殿方の喜ばせ方も」
「お姉さまは去年、病でなくなりました」
「私は、お姉さまのおかげで、ディアボロス様に目にかけていただけたわけです。お姉さまは、私の恩人です。もちろん、ディアボロス様も」
「あ…帰る場所のお話でしたね。奴隷として暮らしていた家は出ていきたい場所でしたし、娼館でも、私はあまり人気がなく、実のところ厄介がられていたのだと思います。ですから、激しい、はっきり言えば乱暴なことをしたがる方につけられることが多かったのです」
「娼館でも、必要とされているとは思えませんでした。お姉さまも、自分ひとりで生きていきなさいといつも口にしていました。ですから、娼館が私の帰る場所なのだと思うことはできなかったのです」
「…ですから…私はずっとディアボロス様のもとにおります。いさせてください。お願いします。なんでも、しますから。私には他にいくところなど、ないのです…」
ルシカの話を誰もが黙って聞いていた。話し終えるとディアボロスは浅く、長く息を吐き、マリーのほうを向いた。
「奴隷はこの国では売り買いも禁止されていますが、これは一律ということではありません。孤児など行き場のない者を労働者として身請けることは許されており、これが事実上の奴隷となっています。
しかし、その場合でも売り買いは禁止されています。しかし、この国の外で売り買いした奴隷を所有することは特に禁じられていません。
ただ、あくまで労働力として、です。労働力以外として奴隷を持つことは禁じられており、その虐待は罪になります。性奴隷、というのはあまり耳にしません。市井の者の間でも性奴隷などという扱いをするのは畜生と交わるようなものだと忌み嫌われ、蔑まれますから、実際にそのようなことをしようという者がほとんどおりませんから」
ディアボロスの意を介した見事な解説であった。だが、ディアボロスとしてはまだ不十分だった。
「それもだが、もうひとつ聞きたいことがある。いや、ふたつか」
「ふたつ?なんでしょうか」
「まず、この国にはそんなにはっきりとした法律があるのか?」
「え? はい。現陛下が戴冠されて間もなく、民も諸侯も例外なく法に従わねばならぬと仰せになりまして、事細かな法律を作られました」
「そしてもうひとつ。衛兵が法を犯したものを捕えるのか?」
「はい。あ、いえ、直接という意味では自警団の者が捕えることが多いのですが、自警団には断罪の権利を与えられておらず、それ以前に牢に入れることができるのは衛兵と近衛兵、そして騎士だけですので」
ディアボロスは思案した。自分の話がそのような形で捉えられたルシカも困惑したが、マリーはそれ以上に困惑していた。
「あの、ディアボロス様…?」
「ん?ああ… 俺の世界ではそうした法や、取り締まる組織ができたのはもっと文化が発展した未来の話だった。どうも国王は内政にはなかなか先見の明があるようだ」
ただし、軍略や外交に関してはそうではない。その言葉は飲み込んだ。
「ルシカ、俺は貴様を手放すつもりはない。しっかり尽くせ」
「…はい!」
ルシカはディアボロスの体にしなだれかかることで応えた。
「さて…折角だ、二人のことも聞きたい。アオカナ、良いか?」
「旦那様がお望みでしたら、なんなりと…」
「わたくしはルシカとは少々事情が異なるのでございます。わたくしは元はこの国の者ではなく…帝国の貴族の娘でございました」
「わたくしが十三になろうというとき、家に騎士が踏み入りました。わたくしの両親が、ディエンタール王国の間者である、との疑いを受けたというのです。わたくしはそのとき、友人の家におり、その家に従者が飛んでまいりました」
「そして、言われるがまま、わたくしはこの国への逃げ込みました。両親が間者である、という疑いが嘘か真か、わたくしは存じ上げませんが、この国に逃げるよう、強く言われたということは恐らくはそうであったのだろうと、わたくしはそう理解しているのでございます」
「従者はこの国に至る前に、囮となりました。そうして犠牲を払いこの国に来たものの、頼るようにと言われた者は、この国で見つけることができませんでした。そのような者はいない、というのございます」
「そしてこの国にきて数日、着飾った格好で薄汚れたわたくしが目を引いたのか、暴漢に襲われそうになりました。そして逃げ込んだのが、あの娼館なのでございます」
「客をとるならばここにいて良いと言われ、どのみちわたくしに残された道はそれしかないと、娼婦となることを選びました」
「わたくしには淫乱の才があったのでございましょうか。お客様にうまく喜んでいただくことができ、わたくしは人気を得ることができました。そして、目に見えて扱いはよくなったのでございます。わたくしを買うことができるのは、金払いがよく、信用できる方に限られました」
「ルシカとは違い…わたくしは、あの娼館こそが居場所であり、娼婦は天職だ、そのようにすら思ったこともございます。今も、その思いはあるのでございますが、もうひとつ、客をとらずに眠る夜には、色々な国を見て、様々なことを知りたい、そんな気持ちが湧いてくるのでございます」
「旦那様に身請けしていただくまでは、あの娼館の外の世界にふれることなど、あるとは夢にしか思わなかったのでございます」
「これからの人生、わたくしは旦那様にすべて捧げて生きてまいります。ルシカだけでなく、どうぞわたくしも可愛がってくださいませ」
ディアボロスが元娼婦のふたりに熱い視線を向けられながら話をしていると、馬の足音が聞こえてきた。見れば、見覚えのある騎士姿がこちらに向かって馬を走らせている。
「ここにおられましたか」
リクリエは馬から降りてディアボロスに向き合った。相変わらずにこやかで、真意の読めない爽やかさであった。
「陛下よりお答えがありましたので、お伝えに参りました」
マリー、アオカナ、そしてルシカが下がり、居住まいを正した。ディアボロスも正対し、表情を引き締める。
「まず、ディアボロス様ご要望の女につきまして、マリーを譲る、とのことであります」
「んなっ!」
ディアボロスが口を開く前に今まで聞いたことのないような声がマリーから上がった。
「こちらは陛下の強い推薦となり、またセルトハイン卿も意見を同じくしております。マリーに抗議する余地はありません」
リクリエがはっきり言うと、マリーはがっくりと膝をつき、ルシカが慌てて支えた。
「次に昨日お伝えいただきました追加の条件につきまして、受け入れるとの回答をいただきました。ついては明後日、具体的な方法について意見を交わすべくディアボロス様にもご登城いただきたいとのことであります」
「…わかった。明後日、出向こう」
ショックから立ち直れないマリーはアオカナにも支えられ、生気を失った表情をしている。
「しかし、なぜマリーを?本人がこれだし、国王にとっても重要な人物だろう?」
ディアボロスが問うと、リクリエは苦笑して返した。
「昨日、報告に戻るとちょうどセルトハイン卿もおられまして、我々の報告を聞いたお二人が『それはマリーのことではないか』と仰るので」
「…ふむ…ふむ…?確かに…」
侍女たちが話していたディアボロスの好み、そしてディアボロスが昨日選定に使用した条件は、まさに「マリーと同等の」という条件であった。
「それでは、確かにお伝えしました。あぁ、居館につきましても、近いうちによいご報告ができるかと思います。それでは」
そう告げるとリクリエは颯爽と馬にまたがり、もと来た道を去っていった。
「マリーはそんなに俺が嫌か」
アオカナに支えられたまま青白い顔をしているマリーを見て、ディアボロスは言った。
「い、いえ…」
マリーはすっかり混乱しているようで、いつもの姿からは考えられないような取り乱しようだった。
「わたしは体が小さいですから、ディアボロス様のおもちゃにされてしまうと、きっと壊れてしまうだろうと…」
「……ルシカと大して変わらん気がするが…? というよりも、ルシカのほうが小柄だろう」
言われてマリーはルシカと自分を見て見比べる。そして絶望的な表情を浮かべた。
「…そんなに嫌か」
今度は少々苛立ちを見せると、マリーは慌てて手をふって否定を示した。
「いえ!ディアボロス様のことが嫌いとか、嫌とか、そういうことでは決して…」
「そうとしか見えん」
「そうではありません!ただ…ディアボロス様が、ただ恐ろしいだけの方でないと知っていても、どうしても恐ろしく思えてしまうのです」
マリーはディアボロスの戦闘を近くで感じている。無理もないのかもしれない、そう思いはしたが、ディアボロスはそれを表に出すことはなかった。
「マリーはもう俺のものなのだ。従え」
「…………はい」
ぐっと噛み殺したような声で、マリーは応えた。
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