騎士とメイドと貴族
「…ディアボロス様、ようやくお戻りになられたのですね」
マリーは笑顔で出迎えたが、明らかに無理をいって振り回された挙げ句不在で待たされたことを怒っている様子であった。そして、隣には見覚えのない、金髪の若い騎士がいた。
「はじめまして、私はリクリエ・ラム・シュートゥベルグと申します。今後、貴殿にお伝えすることがあるとき、もしくは貴殿から王宮に御用がある場合、まず私がおうかがいすることとなりました。以後をお見知りおきください」
少し声も高く、少年のようだがしっかりした人物だ。どうも王はディアボロスに当てる人選には相当気を遣っているとみえる。
「今回の件についてですが、まず明日、娼館にお連れします。ただこれにあたり、士官三名、従者二名、侍女三名、及びマリーを同行させます。これはディアボロス様の好みを理解し、迅速に女性を提供するためです。このため、当該時間帯には貸し切りとして余人を近づけないよう、先方とも話をつけてあります。そこで遊んでいただく前に、女性に対する意見を聞かせていただくこととします。また、娼館にお連れできるのは今回のみであり、可能な限り速やかに女性を提供するように致しますが、どうしてもということであればマリーをお使いください」
にこにこしながら、調子も一切変えず、淀みなく話した。トゲもなく、マリーのように嫌悪感を示すこともなかった。この国の価値観についてはまだよくわからないが、少なくともこのリクリエという若い騎士、油断ならない男のようであると判断した。そして、その話を聞く間、マリーが固く目を閉じていたことが、マリーの内心がうかがえるようでもあった。
そこにマリーの意思が反映される余地があったのかどうかは分からないが、少なくともマリーにはディアボロスを拒絶する意思がある。それを汲むことと、嗜好を知っておき、交渉に使おうという思惑が一致した結果だろう。「できるだけ我慢しろ」という要求を暗に含めたことも、王宮側としてマリーにそのようなことをさせたくないという意思を感じた。
「…わかった、それでいい」
「ご理解いただけて、感謝いたします」
リクリエは再びにっこりと笑った。反応が早い。
「マリー、少し席を外せ。リクリエに訪ねたいことがある」
「…?はい、かしこまりました」
マリーは不思議そうな顔をしたが、素直に従った。リクリエは、読めない表情のままだった。
「なんでしょう」
マリーの気配が遠ざかってから、にこにこしたままリクリエは問うた。
「マリーは、王宮でどんな存在なんだ?」
これによってどう扱うべきか、どのような意図を含めたのか知っておきたかった。あまり回答は期待できないが
「セルトハイン卿の令孫で、姫君のお世話をなさっている方です」
リクリエは即答した。
「…どうなされたのですか?」
ディアボロスは頭を抱えていた。リクリエに少し詳しく訊ねたところ、セルトハイン家というのは長く王家と親交が深く、現王とセルトハイン卿も懇意であるという。そうした歴史の長さもありセルトハイン家は長く筆頭家であるが、セルトハイン卿は男子に恵まれず、マリーは女系ということだ。女系でも女子でも家督を継ぐことはできるが、基本的には侍女よりは騎士のほうが位は高い。とはいえリクリエから見れば、シュートゥベルグ家は中堅どころにすぎず、マリーとは家の格が違う、ということになるらしい。わざわざマリーを紹介するときに敬った言い方をしたのもそのためのようだ。
あまりにも意外すぎた。このようなことは説明されなければディアボロスには一切伝わらない。自らの側近として置いている最も重要な臣下をあてた、ということになるのだが、それによるアピールはしなかったのだ。意図がよくわからない。それが信頼できる人物だったからだろうか。それとも、あのとき手近にいたからだろうか。だが、セルトハイン卿とは懇意にしているというならば、そんな理由でほいほいと出してしまえば王としては取り返しのつかないことになるのではないか。いや、むしろ気のおけない仲だからこそ、セルトハイン卿になにかのときにはマリーを使うように言い含められていたのかもしれないが。
そして、先のようにマリーを気遣うことにも納得がいった。「たかが侍女ひとり」ではなく、マリーに対する陵辱は避けたいわけだ。
このことの何が難しいかといえば、ディアボロスのマリーへの態度が間接的にこの国に対する態度になってしまうということだ。現状において、ディアボロスとしてはこの国はできるだけ利用したいと考えているため、支配的でありたいのであり、敵対したいわけではない。マリーを陵辱するということは、この国から今搾り取ることはできたとしても、その先は生贄を捧げたにも関わらずこの国を蹂躙しようとする悪魔と抵抗する人々という構図しか残らなくなる。
「なんでもない」
言わないほうがよかろう、とディアボロスは判断した。当面、このことには察しがついていないように振る舞うのが賢い。
「マリーはなんとしても俺に抱かれたくない、と主張したわけか」
「…はい」
いくらかの間があったが、マリーははっきりとそう答えた。ディアボロスは思わず吹き出し、そして大声でわらった。宿がゆれ、花瓶が落ちた。
「…どうなさいました?」
いくらか慣れたのか、それほどは驚かなかったマリーが怪訝な顔で訊ねた。
「いや、随分はっきりというものだと思ってな。王ですらも、びくびくと哀れなものだったのに」
マリーはきょとんとしてから、合点がいったようにうなずいた。
「それはそうです。わたしは昨日にもディアボロス様に陵辱され、痛めつけたのちに生きたまま食べられてしまうものと思っていたのです。しかし、まだ三日目とはいえ、ディアボロス様がそのようなことはしない方だと理解していますし、そのようなことを隠し立てしたところで気を良くしてくださる方でもないと理解しています。というより、わたしが『そんなことはない』と申し上げたら、すぐにでも抱かれるのではありませんか?」
ディアボロスはまた笑った。
「確かに。そのとおりだ」
ディアボロスはマリーのことが気に入りはじめていた。どうせなら、この女を寄越せ…と主張してもいいと思うが、恐らくそれは早計だろう。
「リクリエ様にそのことをお尋ねになったのですか?」
「そのこと?あぁ、マリーが犯されたくないと駄々をこねたのかという話か。違う」
何を、と言わないのを見て、マリーはそれ以上の追求を諦めた。
「それよりマリー、この国では強姦は罪になるのか?」
その言葉にマリーは眉をひそめたが、それを隠して答える。
「…最も罪が重いのは、処女を犯すこと、または他人の妻を犯すことで、公開死罪になります」
「…ん?」
「次いで娼婦を犯すことが重く、これまた死罪、または体を切り取ります」
「…ん??」
「それ以外の女を犯すことも重い罪です」
それが誰であるか、を基準に罪の重さが変わるというのは、中世というよりも古代的だ。しかし、「他人の妻を犯すことが重罪」というのは、あまりキリスト教的ではない。やはり宗教観が違うのか。
「なぜそのようなことを聞かれたのか、お聞きしてもよろしいですか?」
マリーが尋ねる。ディアボロスは先のことを話すことにした。
「…なるほど」
詳しくは言わないが、マリーは強く安堵の表情を見せた。立場として、国を代弁するわけにはいかないが、強姦が重罪である以上、今の立場でディアボロスにそのような行いに出られるととても困る、ということだろう。
「ディアボロス様、街の女を犯すくらいならば、わたしにしておいてくださいまし?」
「考えておこう」
マリーとこうして過ごすことも悪くないと思いつつあるが、この時がそう長くは続かないとも思っていた。もはや、この国との真の友好関係というのはありえない。ディアボロスはあくまで、この国の「力の悪魔」でなくてはならないのだ。それは、このようなぬるま湯が許されるわけではない。
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