異世界文化と少女
異世界三日目。
「マリー、この街に女を抱けるところはないか」
ディアボロスはマリーが一瞬蔑むような目をしたのを見逃さなかったが、見逃したことにした。
「わたしを抱く、という意味ではなく、ですか?」
「お前がそのためにあてがわれている、という意味なら抱く」
即答するとマリーは首を横にぶんぶんと振った。
「宿によっては売春婦がいる場合もございますが、この国ではそれは違法ですので…酒場で誘う娼婦がいる場合もいると聞いたことがありますが、それまた違法ですので」
「意外と公序良俗に厳しい国だな…売春が違法なのか?」
「いえ、公娼制度がございます。そのため娼館がふたつほど」
マリーの言い方は、明らかにディアボロスが「娼館へ行くのは避けたいはずだ」という前提で話している。だが、その理由はいまひとつピンとこなかった。
「この国で娼館に通うものはどう見られている?」
「安い方の娼館に行く者は、貧しい者を虐げる不道徳者と」
なるほど、東南アジアに女を買いに旅行する男、といったところか。
「高い方に関しては通いつめれば領主ですらも破産するようなものですので、色に溺れた堕落者と」
ちょっと厳しすぎやしないだろうか。いや、マリーが女なので、女連中の間ではそのように認識されている、ということなのかもしれない。男どもとしては英雄色を好むといったところで、適度であればむしろカッコイイと思われている可能性だってあるのだ。と心の中で強弁したが、結局のところどちらにいこうと「体裁が悪い」ということなのだろう。確かに、ディアボロスの理想としては圧倒的な力を前に神のように畏れ敬ってもらうのが最も都合が良い。やたらと力の強いゴロツキのような認識をされてしまうととても困るのだ。
「マリー、確かにお前の心配はとてもありがたい。娼館に通うというのはいかにも格好がつかない」
そう言いながらディアボロスはマリーの肩にちょこんと手、というか指先を置いた。
「だがマリー。俺は溜まっているんだ。このままだと目につく女を片っ端から犯しそうだ」
今度はマリーは心底嫌そうな顔をした。
結局、マリーは「どうすべきか、お伺いを立ててきます」と城に戻っていった。
「さて…」
ただ待つのも時間が勿体無い。ディアボロスは街に出て情報収集をすることにした。マリーから様々なことを聴くことはできるが、この世界に住んでいる人間にとって「知るべきこと」の選別はできない。自分の目で、何が同じで、何が違い、どのような文化や価値観や暮らしが形成されているのかを確認すべきだ。
そう決めるとディアボロスは荷物も持たず街へと出た。
「むぅ…」
元の暮らしの知識が、磨りガラス越しに見る程度にしかない、というのが困りものであるが、少なくとも元の世界の暮らしぶりからすれば随分と差がある、というのが印象である。一言で言ってしまえば、文明レベルが低い。当初の印象通り中世ヨーロッパ…それも、十七世紀頃のそれではないし、先の戦闘ではマスケット銃のような火器も見つけられなかった。
もちろん、この世界には魔術があるので、火器が発展しにくい側面はあるだろう。だが、先の戦闘の限りでは魔術には速射性がない。威力はそれほどでもなくとも、サブマシンガンのような武器があればあの程度の城であれば少数部隊で制圧できるはずだ。
だが、戦闘面に関してはディアボロスは恐らく、サブマシンガン程度の武装では倒すことができないと思われるため、あまり気にする必要はなかった。むしろ問題は生活面である。
とにかく臭い。中世ヨーロッパにおいては「汚物は投げ捨てられるもの」であったはずだが、少なくとも街が汚物に埋もれているということはなく、ここは文化に違いがあるようだ。便器の歴史としては、古代ローマにおいて水洗トイレが用いられていたが、中世ヨーロッパではその文化が退化してしまったと記憶している。ここは、投げ捨ててこそいないが、トイレは水洗式ではない。日本と同じような感じであろうか。
「ふむ…」
こんな知識は次々と出てくるのに、その言葉が指すものは全く思い浮かべられない。なんとも気持ちの悪い記憶状態である。
つとめて気にしないようにして思索を続ける。全体的な文化は中世ヨーロッパ、それも十四世紀頃に準じるものだと思われた。トイレが汲み取り式であることに加えて、風呂もなさそうだ。これは衛生的に問題があるし、日本人にとっては非常に辛いところである。
食事は基本的に質素だ。多く食べないし、昨日はマリーは当たり前のように昼と晩に食べただけで朝食という概念はないようであった。一応スプーンはあり、手づかみではない。実感としては、アジアやアフリカの映像として見る食事風景のほうが近そうである。もっとも、具体的にその光景はイメージできないが。
「難儀な…」
ディアボロスが泊まっている宿の近くは市もあり、活気のある街という感じがする。印象としては商業都市なので、モンスターの活性化によって通商に支障をきたすのは確かに深刻な問題だろう。全体的に薄汚れてはいるが、労働者という印象の者は割と少ない。裕福な国なのだろうか。
だが、子供が非常に多いことを見るに、医療などはあまり発展していないようである。たくさん生んでたくさん死ぬ構造。生まれたらさっさと結婚して、子供をつくり、弱って死ぬ運命だろうか。マリーはいくつくらいだろう。少なくとも成人ではないはずだが、街の子供たちからすれば随分と「おねえさん」である。十五はすぎ、二十には至らないというところか。しかし、その構造だと女子は間引きされる可能性も高い。ディアボロスとしては比較的難しい要求をしたつもりでいたのだが、女をあてがうというのはこの世界の文化に則ればそれほど大した話ではなかったかもしれない。
「小さいな」
こぼしたのは、農地についてだ。この場所からなら農地が一望できる。こちらは、街に住む者よりも明らかに貧しいが、それなりに気力のある表情の農夫たちが労働にいそしんでいた。
だが、一望できる、というのが問題だ。ここが城塞都市であり、壁に取り囲まれているという点を抜きにしても、城へ向かう山岳部に農地があるだけであり、あまりにも小さい。この規模でこの国は暮らしていけるだろうか?
そして意外なのが、イメージしていたような貧民がいないことである。商人は商人であるし、職人は職人であるし、農民は農民である…としか言いようがない。途中、物乞いも見かけたが、気力を失い、項垂れた風ではなかった。それに、金持ちが通りかかるとそれが義務であるかのように物乞いたちに金銭を支払っていたので、そこまで深刻に困る状況ではなさそうだ。貧しく、命は短いが、肩寄せあって楽しく暮らしている。イメージの中の中世というより、「洋風時代劇」といったほうがよさそうだった。
こう和やかでは困る。戦いづらい。
こうなってくると気になるのが宗教観だ。まさかこの世界でもキリスト教が支配的であるということはないだろうが、中世ヨーロッパの文化はキリスト教が決めたといってもよかったはずだ。文化的な違いは宗教によるところが多いと考えられる。
「少なくとも、水洗トイレと風呂を導入するよう要求すべきだな」
この街にはいくつも川が流れていた。そうむずかしいことではあるまい。
いや、それ以前に魔術を科学のように応用して、文化レベルを向上させる、ということはないのだろうか。そのような知恵がないのか、魔術にそのような柔軟性がないのか、いささか悩むところだ。
帰りに思わぬものを見た。男に追い回される少女である。どうすべきか…と迷った。性に関する取り扱いは、元の世界でも地域と時代によって目まぐるしく変遷している。男が少女を襲うことに、問題があるかどうかすらこの世界に慣れないディアボロスには判断のしようがない。よって無視すべし、と判断したのだが、困ったことにディアボロスに駆け寄り助けを求めてきたのである。結果として、追いかけてきた男たちは巨人であるディアボロスを目の当たりにすることになり、なおかつ既に噂は知られている状況である。男たちはディアボロスが目をやった途端にたたらをふみ、そのまま一目散に逃げ出した。
肩で息をする少女は、少し落ちつくと切れ切れに「ありがとう、ございました」と礼を言った。
「俺はなにもしていない」
少女が不安げにディアボロスを見上げる。
「代わりに俺が犯してやろうか」
少女は声もなくへたりこんだ。
「…冗談だ。送っていこう」
ディアボロスは少女をつまんでひょいと肩に載せると街へと向かった。
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