夕闇の悪魔、為政者の知
王は、嵐のように現れた巨人が去ったのを見届けると、ぐったりと椅子に座り込んだ。
「随分と下賤な要求でしたわね」
王妃がそう口にした。確かに、最初王がその言葉を耳にしたときも、自分の耳を疑ったほどに下賤で世俗的な希望であった。だが、
「そう、一筋縄ではいくまい」
あの言葉を発したとき、あの巨人には歓びも、ぎらつきも、飢えも感じなかった。つまり、それが欲しいものではあれど、「望むものが手に入らない」という判断のもと、「調達しやすいがそう容易ではないもの」を並べたのだ。
「まだ、試されておるのだよ」
それを用意したとき、改めて交渉のテーブルにつく、そう言ったのに等しい。しかも金銭以外はいささか曖昧な要求だ。何を、どうやって用意するかということも見ようというのだろう。例えば、街から娘を無理やりに連れてきて、あの巨人にあてがったとしたら、あの巨人は愚かなる王として再び敵になるかもしれない。だが、一方で、王が自らの民を犠牲にしても望みを叶えようとするかどうかを試しているのかもしれないのだ。もちろん、最も単純には「娘を人質に出せ」という意味でもあるだろう。だが、恐らくそれは「最も普通な答え」であり、あの巨人にすれば「ダメではないが落胆する行為である」可能性が高いと考えている。もちろん、王としてもそれは避けたいことだ。
「悪魔―ディアボロス―、か」
名前がなくては今後困るであろうから、仮で良いので何か名前を考えて欲しいと巨人に告げたとき、巨人は少し考え込んでから「ディアボロス」と告げた。もしかしたら、我々は異世界の魔王を召喚したのかもしれない。あの魔術は、それが可能であるとされていたのだ。不思議はない。魔王に対抗できる力ではあるのだ。
「やるべきことは多い。ゆっくり休んでる暇はないだろう」
王は力の入らない体を、なんとか起き上がらせた。
ディアボロスは王のあの場での判断にそれなりに満足していた。要求は、その場で答えるのはなかなか難しい。もちろん、適当な用意ならできただろうが、ディアボロスとしては適当な女をあてがおうものなら即座に殺す気でいた。「貴殿にも好みがあるだろう。その要求の内容は、満足できるように随時提供させていただこう」という答えは、満足に足るものだった。
王が即座に用意したのは、現金と、身分であった。当面遊んで暮らせるほどの金と、街で不自由しない身分によって「安寧の暮らし」を仮に実現したわけである。もちろん、これが仮であることは承知の上、館を立てるのも一朝一夕とはいかないと現状で不自由のないようにしたわけである。
さらに、王はこの世界に不案内なディアボロスのために、侍女を一名つけさせた。これが大変に重宝し、とても怯えて困りはしたが、食料と宿を確保するのに不自由しなかったのである。
(ここまでは良いけども)
正直、生きていく上で住処と食料さえあればなとんかなる。不安としては、風呂がないこと、便所が不衛生であること、そして溢れる糞尿と溝の匂いがたまらないことだが、どうもこの世界は中世程度の文化であるようなのでどうにもなるまい。
侍女を抱くかどうかは正直迷った。ディアボロスは無尽蔵の性欲と精力を持っているので、いささか我慢は苦痛なところではあるが、王が案内につけた侍女を、案内も終わらないうちに手篭めにしてはあまりにも軽薄にすぎる。それは今後の交渉にも影響するかもしれない。それよりは、この驚くほど要領と察しのいい侍女とは信頼関係を築くほうがメリットは大きいだろう。
「マリー、次にすべきことはなんだと思う」
ディアボロスは侍女に問いかけた。依然として怯えてはいるが、だいぶマシになった。
「お召し物を、ご用意されてはいかがでしょう」
「…そうだったな」
一番最初に要求したものだったのに忘れていた。
「だが、俺に合う服があるのか?」
「街の仕立て屋なら、オーダーメイドで作ってくださるはずです。ご案内致します」
「おう。マリーは有能だな」
なごませるつもりでニカッと笑ったのだが、マリーはすっかり怯えてしまった。
宿を出るときには、ドアをぶち破りそうになったり、天井をぶち破りそうになったり、床がぶち破れないか不安になったりととにかくその巨体の扱いにこまった。記憶の限りではここまで巨大な体をしてはいなかったはずだし、このような超人的な力もなかったはずだが、召喚にあたりなにか特別な能力が付させた、というか全く別物の体になったのだろう。宿の女たちの恐怖の目が気にはなかったが、今のところディアボロスの戦略としては意図や嗜好を明らかにせず、恐怖の対象にしておくことであったから、その点については努めて気にしないようにした。
街に出ると視線が気になる。こんな目立つ体躯では当然ではあるのだが、好奇の目と恐怖心があまりにも突き刺さる。
「おい、マリー。みんな随分俺のことを見るな?」
「…ディアボロス様が城で暴れ、城内の兵を皆殺しにしたと、噂が立っているのです」
マリーが小声でささやく。なるほど、それならば仕方ない。今後街で暮らす上でとても困ってしまうが、そのままにしておくよりほかにないだろう。実際、仕立て屋でも主は恐怖のあまり座り込み、失禁してしまったが、これも気にしないことにした。
仕立て屋では簡易な服をとりあえず作らせ、好みに合った服を五着ほど作らせることにした。うち三着は現代的な―Tシャツスタイルの服であり、残り一着は巨人の戦士として相応しい服と、威厳と威圧感のある服である。
仕立てを終えるとすっかり夜になってしまい、マリーを従えて宿に戻った。ディアボロスは現状あらゆることでマリーの案内が必要であるため、同室とし、常に傍にいるように命じた。
「ところでマリーは、王からどのような命を受けているんだ?」
そう問うと、マリーは表情を曇らせた。
「ディアボロス様を案内せよ、ディアボロス様の命じることには須らく従うように、と」
「ふーん…では質問を変えよう。マリーは自身の任務がどのようなものであると考えている?」
「それは…」
言いよどむとさらにその表情を曇らせる。
「ディアボロス様を案内し、陵辱され、その役目を終えたときにはディアボロス様の食事となることだと…理解しております」
ひどい誤解だ、と思ったが、いや俺はそのように思わせようとしているのだったと考え直す。少なくとも、マリーは一時的に貸与されているわけではなく、マリー自身は恒久的に従うものだと理解している。一方で、王の命としてはマリーを俺に与えたわけではない、つまり俺が要求した「女」にマリーが含まれているわけではないと理解した。つまり、「返却は求めていない貸与」というわけだ。
「とりあえずマリーをとって食おうという気はない。俺が困らないよう、案内をしてくれ」
そう言うとディアボロスはマリーをひょいと持ち上げ、ベッドに押し込み、自身も寝ようとした。だが。
「…大丈夫、ですか?」
マリーが心配そうに言う。マリーと添い寝をするどころか、たとえマリーがどいたとしても、その巨体はベッドの中には収まりようがなかった。
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