異世界魔神と神々の籠
水樹悠
プロローグ
巨人の檻
暗い地下の円形の一室に、黒いローブ姿の男女二十名弱が魔法陣の中心に向かってぼそぼそと呪文を唱えている。魔法陣の中心近くには四名の裸の少女が縛り上げられ、転がされていた。
魔法陣は少しずつ赤い光を増してゆき、それと共に室内は黒い煙が満ち始めた。そして煙が満ち、視界が失われた頃、その煙の中心にひときわ濃い影が表れた。それと共に感嘆の声が上がる。
そしてその影はどんどん巨大化してゆく。そして現れたのは、筋骨隆々の巨大な裸体の男であった。
「…なんだ、ミノタウロスか」
ローブの男がつぶやく。
「まぁいい」
そして男はその影の正面に立つと両手を広げ、声を張り上げた。
「我が貴様を呼び出した主である!盟約に従い、我が命を受けよ!」
巨大な影はじろりとその男をにらみつけると、大きなため息を吐き
「…なっ!」
驚愕の声が上がる。男の体が破裂し、血と内蔵が飛び散った。場は悲鳴と混乱に包まれる。
近くにいたものから順にはじけていく。何が起きているのかは当たりに満ちる煙もあって全く視認できない。最初に、ローブ姿の女が逃げ出そうとドアに飛びついた。しかし、召喚された者を従わせる前に逃さないようにと固く閉じた扉は、まるでびくりともしなかった。閂を外そうと手をのばすが震えた手が滑った。そして、その女にとってそれが最後の記憶になった。
「深想の塔」
それは、この王都にあって最も高い建物であり、後宮のはずれに立てられた王族所有の塔であった。噂によれば、このディエンタール王国の初代国王が物思いにふけるために建てさせたと言われている。
いずれにせよ、王都に住むものにとっては、なにせ目立つものであるからランドマークではあるのだが、一方で一切縁がなく、それがなんのために存在するものであるかもわからないために、不気味で謎な存在だと言われている建物であった。
そして今日、初夏のよく晴れた日に、突如としてそのランドマークは轟音と土煙と共に消滅した。
「早く支度をしろぉ!敵を近づけるなぁ!」
初老の豪奢な服を着た男が叫ぶ。既に城の扉は見るも無残な形となっていた。
事が発生したのは王城の敷地内である。そのために城門の守りは意味をなさない。城内にいる兵士などたかが知れている。戦のために用意していたわけでも、このような事態を想定して警護していたわけでもないのだ。兵士は広く城下に住み、任務に応じて招聘される。現在こちらに向かってはいるだろうが、兵装を整え、城までたどり着くには相当な時間がかかるだろう。まして、騎士たちが兵装を身につけるのにかかる時間など、この化物が猶予してくれるはずもない。
「こンのクソ、化物めがぁ!」
城内、そしてすぐに駆けつけられる兵士がこの広間に揃い、約三十名のパイク部隊が前を固め、その後方に約十の魔術師、さらには後方からも取り囲むように十の槍兵が巨大な男を取り囲んだ。
伝令では「ミノタウロス」とのことであったが、この男はどうも人間に見える。確かに、その体躯は二メートル半にも及び、巨大ではあるものの、その顔は厳しい人間の男そのものであり、神話の怪物には見えなかった。
「突撃ィ!」
初老の男の声で槍衾を狭めつつ、魔術師は詠唱を開始する。巨人の右手には折れて短くなったパイク。そして
もはや誰も立ってはいなかった。その広間にいたはずの人影はもう随分と少ない。巨人の前方にいた者は跡形もなく消え去り、それ以外のものも爆風と轟音によって意識を失った。
巨人は悠然と階段を登り、時折突撃する兵士を蝿でも払いのけるように消し飛ばし、そして居館へと至った。
木の棒一本で魔王に立ち向かうRPGに慣れた者の感覚で言えば、王に相まみえるときには謁見の間で玉座にふてぶてしく座っていてほしいものだし、巨人も実際に最初に謁見の間に向かったのだが、王は不在であったため、結局居館にたどり着いた。居館で邪魔な者をはじき飛ばしながら王を発見したとき、王は王妃、そしてふたりの王女と共に部屋の隅にいた。
「き、きき、貴様は何者だ」
巨人は静かににらみつける。一分ほどの間の後、口を開いた。
「貴様が呼んだんだろう…?」
大地が震えるような太い声であった。王は恐怖にかられたが、少なくとも言葉は通じるようであると安堵もしていた。
「何が望みだ…?」
「一方的に俺をここに呼びつけたこと、挙げ句俺を従わせようなどとした愚かな行いに対する、謝罪と償いだ」
巨人の目に、言葉に生気はなかった。怒りも、憎しみもない。ただ、そうするのが当然であるという信念と機械的な行動だけが姿を見せていた。
「わっ…わしにできることなら、なんでもしよう。だからどうか、その怒りを鎮めて欲しい」
「……………」
巨人は長く沈黙した。巨人が王を値踏みしていることは明らかであり、王は今取るべき適切な態度を考えた。少なくとも、交渉の余地はあるのである。でなければ、この巨人は考え込むようなことはしない。交渉の余地があるということは、この巨人は条件次第では考えを変えるということである。城を吹き飛ばしながらここに到達したことを考えれば、この巨人に逆らうことに意味はない。その逆鱗に触れれば、たちまち娘たちもろとも消え去ることとなるだろう。そして、この巨人は王という地位に関心はない。よって、偉そうにすればその機嫌を損ねる可能性が高い。かといって、遜れば交渉に乗らないだろう――
「話をする用意がある、ということか」
居館が震えるようであった。王は立ち上がると重々しく頷いた。
「……服と茶を用意し、席を整えろ。席にはその三人も座らせろ。貴様が下であること、くれぐれも忘れるなよ」
「わかった。すぐに用意させよう」
王は生き残った兵と侍女に声をかけ、大急ぎでホールにテーブルを用意した。直ちにできる中で最高のもてなしをするよう命じ、その上で先に他の者を座らせた上で自ら巨人を案内した。茶に毒を盛ることは少しは考えたが、この男の、もはや常軌では考え得ない強さを鑑みれば通用しない可能性が高いと、そのリスクは避けた。
途中、血と瓦礫にまみれた城内を目の当たりにすることになったが、それについては考えないことにした。
困ったのは服である。なにせこの巨人は王としても見たことがないほど立派な体格であるから、それに合う服など存在していなかった。そのことを正直に巨人に告げると、巨人はシーツで良いと答えた。王は侍女に、簡単で良いのでシーツを衣服に仕立てるように命じ、これを巨人に渡した。巨人は満足そうではなかったが、納得はしたようであった。
「まずは貴様には情報を提供してもらおう」
「情報とな?」
王はここまでこの巨人と接し、この巨人が高い知能を有していると判断していた。確かにいくらか粗暴な面を持ってはいるものの、ここまでのそれは「敵に対する戦闘行為」であり、「敵ではない」と認識する限りどちらかといえば理知的に振る舞うようであった。そして、たとえ粗暴な振舞いをするとしても知能が優れていることに変わりはない。つまり、交渉の余地はあるが、謀ることは難しく、また戦闘となれば単に力任せで戦うわけではない、ということを意味している。
巨人もまた、この王がただ愚かではないと認識していた。どのように振る舞えば自身に、家族に、民に被害が及ぶのかということを考えた上で行動しているし、現実主義的に効果的な振舞いをしている。
「なぜ俺をこんなところに呼んだのか。どのようにして呼んだのか。そこからだ」
「あぁ、そういうことであるか…」
巨人が求める通り、王は説明をした。
現状でディエンタール王国は周辺諸国との関係性が良いとはいえず、散発的な小競り合いがつづいている。それぞれが覇権争いを続けており、戦争状態はもう長年つづいている。その状態にあって、魔王が復活し、魔王軍がゆるやかに進軍する状況にある。そして魔王復活に触発されたか、モンスターや様々な種族の動きも活発化し、各地で治安が悪化、ジリ貧の状況で滅びを待つばかりとなった。
ディエンタール王国はそれほど軍事力が高くはない。そもそも人口が周辺諸国よりも少なく、国力においても劣る。だが、切り札があった。「異世界から召喚し、使役する禁断の魔術が秘蔵されている」ということである。これは、初代ディエンタール国王が覇権を取るにあたり行使した力であるという。もうどうすることもできないところまで追い詰められた現王は、神や魔王すらも召喚するというこの魔術に賭けることにした。そして、召喚には成功したが、使役には失敗したのだ。
「ふん…つまらんことにまきこみやがって。だがまぁ、そうする理由があったことは理解した」
王は巨人がこの説明に怒り狂わなかったことに安堵すると共に、やはりこの巨人はかなり理性的で打算的なのではないか、という確信を強く持った。
「それで、今度は貴殿のことを聞かせてはくれまいか。貴殿は一体何者なのか」
王がそう問うと、巨人は顔をしかめた。
「俺は異世界に住む、ごく普通の人間だ。だが、記憶が随分とあやふやで、覚えていることはあまりない。どうやってここに来たのかも覚えてはいない」
「貴殿の、名前は」
「それも覚えてはいない」
王には巨人が嘘はついていないように見えた。しかしそうなると困った。巨人からすればわけも分からず呼び出され、突然に従属を求められた。さらに、自分が何者であるかすらもわからない状況であり、混乱と怒りでそれをもたらした者を敵と見做し戦闘を行った。極めて理解できる状況である。だが、王には「元の世界に戻す」という選択肢がない。その方法がわからないのだ。そうなるとこの巨人を納得させることは、ひどく難しいように思えた。
「どうだろう、貴殿にはわしに力添えをお願いすることはできないだろうか」
「…ふざけているのか?」
「ふざけてなどいない。考えてみてほしい。貴殿はこのあと、この交渉が決裂したとして、これからこの世界で生きていくには少々不自由なのではないか。もちろん、貴殿ほどの力があれば敵を殺し、必要なものは奪い、生きていくことはできるだろう。しかし、貴殿がそれを望んでいるようには見えん。一方で国としては貴殿の力を必要としているからこそこうして召喚するに至ったのだ。この国に貴殿を元の世界に戻す手段はない。となれば、貴殿を呼び出してしまったこと、あるいは戦闘によって失われた多くの命について語り合うよりも、互いの利益のために話し合うほうがよいとは思わんか」
「ふむ…」
巨人はにやりと笑うと考え込んだ。互いに、「交渉の通じる相手である」と認めた瞬間であった。
「貴殿の望みはなんだ。わしに叶えられることであれば用意させてもらおう」
巨人は随分と長く考えて、次のように口にした。
「――これで全てというわけではないが、安寧を得られる暮らし、不自由しない金銭、そして好きなようにできる女ども、だ」
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