第7章【眠り姫は目を覚ます】
「あはははッ」
無味無臭の錠剤を
ユーシアが殺戮を望み、再会を切望し、己が敵として見定めて探し求めていた怨敵。
――アリス、その本人が目の前にいる。
「さあ、ユーシアさん遊びましょう!!」
「アンタと遊ぶのは僕ですよ」
ギザ歯のティースプーンを振り回す少女の前に躍り出たのは、黒い
アリスは――白兎は壊れたように笑うと、ギザ歯のティースプーンで振り下ろさようとしたサバイバルナイフと銀食器を受け止める。ガッギィ!! と金属が擦れる嫌な音が広々としたホールに響き渡る。
「あははは、邪魔ですねぇ真っ黒てるてる坊主のくせに!! そこを退いてください、彼が殺せないじゃないですか!!」
「殺させる訳がないじゃないですか!!」
がら空きの状態である少女の肢体に回し蹴りを叩き込み、白兎を吹き飛ばす。幼女を前に攻撃をしないと決めている紳士なリヴであるが、目の前で野郎が幼女に変身する瞬間を見てしまったので容赦はない。
白兎は「痛いですねぇ、あははは」とやはり笑っている。狂気的に笑うしか感情はないのだろうか。
ギザ歯のティースプーンがブンと大きく振り回されて、リヴの前髪スレスレを通過する。背筋を仰け反らせてギザ歯のティースプーンを回避するリヴは、バク転で白兎と距離を取った。
「シア先輩、準備は!!」
「いつでもできるよ」
この復讐劇の主役たるユーシアは、用意していた三脚で純白の対物狙撃銃の銃身を支える。
冷たい大理石の床の上に腹這いになって、ユーシアは本当の狙撃体勢になっていた。
薬室に弾丸を叩き込み、ユーシアは第一射を決める。
「カウントは三発だよ」
照準器から目を離さずに。
瞬きすら許さない。
全ては一瞬で決まることなのだから。
「まずは一発目」
ユーシアが放った弾丸は、真っ直ぐに白兎の頬を掠めていく。
滑らかな少女の頬に、一筋の傷がつく。少女は流れ落ちてくる自らの血液を舐め取って、それからまた「あはははッ」と笑った。青い瞳が歪む。
「さすがですね、さすがですねぇ!! 今のはわざとですよねぇ!?」
ぐるぐるとバトンのようにティースプーンを回した白兎は「いいでしょう!!」と叫ぶ。
「ならば、私も遊びましょう!! ねえ、ユーシアさあああん!!」
ティースプーンの先端がつるりとした大理石の床を擦る。
ざりざり、という嫌な音だ。少女は引き裂くように笑むと、その桜色の唇で歌を紡ぐ。
「アリスは夢を見る。楽しい楽しい夢を見る」
窓の向こうに広がっていた輝かんばかりの摩天楼が、全て明かりを落とす。
いや、深淵に塗り潰されてしまったのだ。空を飛んでいるのではないかと錯覚するほど広い部屋も跡形もなく闇に飲まれてしまうが、冷たい床の感覚だけは失っていない。
ユーシアは舌打ちをする。闇の中に浮かぶ白兎の姿は確認できるが、リヴの姿が認識できない。これでは彼を撃ってしまう可能性がある。
「白兎を追いかけて、行き着いた先は不思議の国」
アリスがティースプーンを杖のように振る。
すると、暗闇の中に人影が蠢いた。照準器を向ければ、そこに立っていたのはけばけばしい化粧をしたあの帽子屋の女。
優雅に紅茶のカップを傾ける女は、陶磁器の紅茶のカップの中身を足元に落とす。飴色の液体はやがて恐ろしい虫となり、名もなき女となり、ピンク色の象となり、暗闇を這いずり回る。
「
アリスが再びティースプーンを振る。
また新たな人影が、暗闇の中で蠢いた。そこに立っていたのは屈強なスーツの男。その手に持っているのはゴルフクラブ。
大きく振りかぶって、男は足元を這いずっていた少女の頭を殴りつける。なにかに弾かれたように、少女の体がユーシアめがけてすっ飛んでくる。
「ハートの女王は、不思議の国の全てを平伏させる」
避けられない。
飛んでくる少女を見つめながら固まるユーシアの前に現れたのは真っ黒な闇――リヴだった。
大振りのサバイバルナイフでもって、飛んでくる少女の虚妄を引き裂く。上下に分割した少女の虚妄は飴色の液体となって、深淵の中に消えた。
「シア先輩、ぼけっとしないで!!」
「ごめんリヴ君、お前さんの格好が見えにくいんだよね!!」
「仕方がない人ですね!!」
リヴは舌打ちをすると、いつもの黒い雨合羽を脱ぎ捨てる。
意外にも鍛え抜かれ、そして精錬された肉体が眼前に晒される。素肌に巻きつけられたのは暗器を括りつけたベルト、それがいくつもいくつも体に巻き付けられている。
注射器が弾帯の如く並んだベルトから一つを抜き取ると、リヴは迷わず針を首筋に突き刺す。その中で揺れる高濃縮の【DOF】を注入すると、フッとその姿を消した。
「チェシャ猫は、死を偽造する」
リヴが姿を見せたそこには、桃色の髪の少女が立っていた。
大振りのサバイバルナイフを振り抜こうとしたリヴは、舌打ちをする。彼女の能力は、彼が一番知っているからだ。
照準器を桃色の髪の少女に合わせて、ユーシアは薬室に弾薬を装填する。
「二発目」
タァン、と銃声が暗闇の中を反響する。
銃弾が届くより先にリヴのナイフの刃が少女の柔肉を裂き、しかし少女は回復してしまう。死をなかったことにしてしまうチェシャ猫の異能力が発揮するが、その横から飛んできたユーシアの弾丸に側頭部を射抜かれた。
「三月兎は、狂った心を感染させる」
暗闇から現れたのは、黒髪で褐色肌の男だった。服の袖や裾から見える肌にはびっしりと刺青を刻み込み、切れ長の青い瞳でユーシアを見やる。
彼がユーシアになにかをするより先に、リヴが素早く反応する。足にぴったりと張り付くほどの細身のズボンに巻きつけられたホルスターから黒い塊を抜き放つと、至近距離から眉間に照準を合わせて引き金を引く。ユーシアの対物狙撃銃とは違って、それはガウン!! と音を奏でた。
ユーシアは三発目の弾丸を薬室に送り込んだ。照準器を覗き込み、金髪の少女に
「白い兎は、時間を気にしてる」
最後に現れたのは、下で出会ったあの合法ロリだった。
白いワンピースにその見た目の年齢に似つかわしくない懐中時計。小さな手で
加速。
白兎として時間を操る彼女は、さながら弾丸の如き速度でリヴに体当たりする。
「ぐ、づッ」
「り、」
「集中!!」
暗闇の中に沈む冷たい床に這いつくばったリヴは、二本目の注射器を腕に刺しながら叫ぶ。
「この幼女とは、いっぺん本気で戦ってみたかったんですよ殺すこの合法ロリ!!」
明らかに私怨が混じっている発言だが、面倒な相手はあらかた片付けたと言ってもいいだろう。
しかし、まだハートの女王と狂った帽子屋だけは残ったままだ。あれらはユーシアが、残り一発で仕留めるしかない。
「さあさあ、不思議の国の者たちよ。私と一緒に夢を見ましょう。不思議の国に迷い込んだ少女は、貴方たちに出会って心ゆくまで遊ぶの!!」
アリスの歌が終わる。
ユーシアは照準器の向こうで笑う少女に、静かな声音で問いかけた。
「お前さんは、不思議の国のアリスに出てくる登場人物を操るのかい?」
「ご明察。不思議の国のアリスに登場するキャラクターの【OD】を、ですけれど」
ギザ歯のティースプーンを肩に担ぎ、白兎はうっとりと笑う。
「彼らは私の知り合いでした。深くまで知り合うことはありませんでしたが、不思議の王国の住人ですからね。私の能力の範疇ですよ」
確かに、厄介な異能力である。最強と呼ばれるのも頷ける。
アリスの異能力は恐るべき身体能力に加えて、不思議の国のアリスに登場するキャラクターの異能力を与えられた【OD】の操作――すでに死んでいようが生きていようが、そこに召喚して自分の配下として戦わせる。なんと無茶苦茶な異能力だろうか。
まるで魔法使いだ、恐れ入る。
それでも。
「こっちも、奥の手っていうのは最後まで残してあるものなんだよね」
引き金に指をかける。
どこからともなく射線上に現れた、金髪の少女。ユーシアにしか見えない幻想の少女。
いつものようにアリスを守るように立ち塞がり、つぶらな瞳を真っ直ぐにユーシアへ向けてくる。
「――空に瞬く星屑と、淡く輝く白銀の月。モコモコ羊が柵を飛び越え、眠りの谷の少女は夢の中」
それは、いつかユーシアが幼い妹の為に歌ってやったもので。
「月が落ちたら朝がくる。光り輝く太陽が昇り、晴れ渡った空に鳥が飛ぶ」
射線上に立つ幻想の少女が、瞳を見開いた。
別になにも意味はない、ユーシアが妹の為に作った適当な歌だ。子守唄でもあり、目覚めを促す歌でもある。
妹は、よく眠る子供だった。お昼寝が好きで、一度眠ってしまうと近くで叫んでも起きない。
しかし、ユーシアが作ったこの歌の前では、何故か不思議と目を覚ますのだ。
「今日も素敵な朝がきた。さあ、もう眠りから覚める時間だ」
ス、と。
幻影の少女は、初めて射線上から退いた。
邪魔をしてはいけないと悟ったか、それともその歌が「おはよう」の号砲となるのか。
「――
引き金を引く。
タァン、という銃声と共に銃口から放たれたものは、金色に光り輝く茨の矢だった。
暗闇を引き裂くようにして飛んでいく金色の光の矢は、真っ直ぐにアリスの胸元に突き刺さる。
「ぐッ、ぅ」
アリスは口から血を吐き出した。ぼたぼたぼた、と鮮血が暗闇の中に落ちる。
それと同時に、パッと今までユーシアとリヴを包み込んでいた暗闇が弾け飛んだ。まるで風船が割れるように暗闇が消え失せて、元の空と部屋の境界線が曖昧な広いホールに戻ってくる。暗闇の中にいた不思議の国のアリスの登場人物たちは軒並み姿を消していて、サバイバルナイフと拳銃を握りしめ、
「こんなもの、で、私が殺せ――?」
アリスが悪態を吐こうとしたが、その手を見て驚愕する。
ボロボロと、まるで砂のように崩れていくのだ。
「なに、これ。こんなの知らない、知りません、なにをしたんですか、殺してくれるんじゃないんですか!!」
「殺すよ、お前さんの存在そのものを」
疲れたようにため息を吐いたユーシアは、親指を真下に向けて笑ってやる。
「あばよ、アリス。永遠にな」
アリスは泣きそうな顔をしていたが、しかし最期には笑いながらユーシアにこう返していた。
「ええ、永遠にさようなら」
金髪の少女はボロボロと崩れて砂と化す。
その場に残ったのは、少女の死体ではなく不思議の国の少女が確かに存在していた痕跡だけだった。
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