第3章【皇帝のいる塔に挑め】

 ガタン、と車内が揺れる。

 ちょうど窓枠に体を預けて眠っていたユーシアは、衝撃で窓ガラスに額をぶつけて目を覚ます。ぼんやりと瞳を開けると、夜の闇を明るく照らすゲームルバークの街並みが広がっていた。

 車内を満たす激しいロック調の音楽が喧しく、ユーシアは思わず顔を顰める。寝起きにこの音楽はきつい。


「リヴ君、ちょっと音下げて……」

「目覚ましの代わりになってちょうどいいじゃないですか」


 レコーダーに伸びたユーシアの手を、運転しながらリヴが払い落とす。


「それよりもシア先輩、後ろの車両が邪魔なので殺してもいいですかね?」

「それね、後続車両って言うんだ。そろそろ攻撃する対象じゃないことを覚えようね、リヴ君」


 相変わらず誰に対しても殺意を振り撒く通常運転の相棒に、ユーシアは苦笑するしかなかった。

 とはいえ、ユーシアも気持ちが昂っているのは事実だ。

 これから、念願のアリスの【OD】――白兎シロウサギを殺しにいくのだ。ようやく長きに渡る復讐が完遂することを考えると、居てもたってもいられなくなる。リヴが周囲に殺意を振り撒くのも頷ける。


「あ、シア先輩。中央区画セントラルの検問ってどうします?」

「どうせ寝てるでしょ。そのまま素通りしようよ」

「了解です」


 車の座席に背中を預けて、眠たげにユーシアは欠伸をする。

 慣れた手つきでハンドルを捌くリヴは、前方に見えてきた中央区画の立派な門を前にして「げ」と顔を顰める。うつらうつらと船を漕いでいたユーシアだったが、相棒の異変に気付いて瞳を開いた。


「どしたの、リヴ君」

「検問がちゃんとある……これは面倒臭いですね」


 アリスを目前にしてきちんとした検問の体制が敷かれているとは、ゲームルバークは一体どうしたのだろうか。今の時間帯は深夜にもなろうとしている頃合いなのに、検問をきちんとしているなど考えられない。

 まさか白兎がユーシアたちを察知して、検問の体制を強化したのだろうか。なるほど、あの男のならやりかねない。


「リヴ君、強行突破で行くよ」

「了解です。悪党ならそうでなきゃ」


 雨合羽レインコートのフードの下で凶悪な笑みを浮かべたリヴは、アクセルを全開まで踏んで加速する。

 前に並んでいる車はない、このまま門扉すらも突っ切ってしまえば中央区画に侵入することができる。そして目指すはエンパイアタワー、アリスの御前だ。

 ユーシアは砂色の外套の下から、自動拳銃を取り出す。いつもは携帯しない予備の武器だが、今この時だけは全力全開だ。


「運転は任せるよ、リヴ君」

「落ちないでくださいよ、シア先輩」

「冗談でもやめてよ」


 車窓を開けたユーシアは、身を乗り出して自動拳銃を構える。

 その銃口が狙う先にいるのは検問官だ。目を見開いて、スピードを上げて近づいてくる暴走車両たるユーシアたちに驚いている。そして止めようとして検問所から飛び出そうとしたその時、


「じゃあね、眠ってて」


 ユーシアは引き金を引く。

 ちょうど扉を開いて飛び出してきた検問官のこめかみを、ユーシアが撃った弾丸が的確に射抜く。だが、重火器によって相手を傷つけることができないので、撃たれた検問官は永遠の眠りの世界へと旅立ってしまった。

 幸せな表情で崩れ落ちた検問官の横を猛スピードで突っ切り、下がったままの安全バーに突っ込んで叩き折る。バキャア!! と安全バーが物凄い勢いで吹き飛ばされて、コンクリートの車道に転がった。

 煌びやかな光が溢れる街並みに侵入が成功すると、リヴは「最高の夜ですねぇ!!」と興奮気味に叫ぶ。


「やっぱり悪党はこうでなくちゃ!!」

「リヴ君、もしかしなくても楽しんでるね?」

「当然でしょう!! この状況を楽しまなかったら不能ですよ僕は!!」

「ついにリヴ君の口から下ネタが出るようになっちゃったかぁ」


 奇声を上げない勢いで興奮しながらも、ハンドル捌きは至って冷静なリヴの横でユーシアは苦笑いを浮かべた。

 速度を緩めることなく、中央区画を真っ直ぐ突き進む暴走車両と化したユーシアたちは、中央区画のさらに真ん中にそびえる鉄塔を目指す。夜空を貫かんばかりに高いその塔は、周囲の煌びやかな建物とは対照的に武骨な印象を植え付ける。

 全体的にガラス張りのその鉄塔は、周りの建物から受ける明かりを反射して輝いているようにも見えた。周辺から突出するほど馬鹿みたいに高い鉄塔こそが、皇帝の名を冠するエンパイアタワーだ。


「あの塔ですね」

「その最上階だってね」

「馬鹿と悪役は高いところが好きだと聞きましたが、本当ですね」

「凄いなぁ、納得できちゃうよ」


 切れ味の鋭いリヴのジョークを笑い飛ばしたユーシアは、背後からサイレンの音が聞こえてくることを認識した。バックミラーを見やれば、二台のパトカーが暴走車両であるユーシアたちを追いかけている。

 ユーシアは自動拳銃の残弾数を確認しながら、運転手に問いかける。


「どうしよっかぁ」

「え、殺りますか?」

「わあ、やっぱり殺意が強いねぇ。まあ、俺も賛成だけどさ」


 ユーシアは再び車窓から身を乗り出してパトカーのタイヤでも撃ってやろうかと思ったが、リヴが「待ってください」と引き留めてくる。

 今更パトカーを大破するのに躊躇っているのかと思いきや、リヴは器用に片手でハンドルを操作しながら空いた右腕をユーシアに伸ばしてくる。


「こちら、どうぞ」

「?」


 ユーシアが反射的にリヴへ手を差し出すと、ゴロリと黒光りするパイナップルが転がり落ちてきた。

 冷たい感触を確かめながら、ユーシアは運転中のリヴに問いかける。


「これ、どっち?」

「閃光弾の方です。手榴弾だと思いました?」

「リヴ君ならやりかねないから」

「お望みならそっちを出しますが」

「いや、いいや。こっちの方がいいでしょ」


 世界の誰よりも悪党である自覚はあるが、決戦前に余計な殺戮行為はしたくないようだ。

 そもそもユーシアは狙撃手であり、リヴは暗殺者である。どちらも影に潜み、相手を静かに狙う殺し屋である。手榴弾などで町を吹き飛ばして目立つような殺し方は、あまり好みではないのだ。

 とはいえ、パトカーに付け狙われるのも面倒である。ユーシアはピンを咥えて引き抜くと、車窓からポイと背後に向かって放り投げた。


「にしても、リヴ君が閃光弾を持ってるなんてね」

「使えるものは親の七光りでさえ武器にしますよ」

「リヴ君のご両親って生きてるの?」

「ご両親? え? 僕にそんなものが存在するとでも?」

「あ、普通に言っちゃったよこの子。触れてほしくなかったところかな、ごめんね」


 中央区画を爆走する車は、着実にエンパイアタワーへと向かっていく。

 その先に待ち受けているのは、狂気に染まった不思議の国に迷い込んだ少女である。


 ☆


 エンパイアタワーの最上階。

 一面が窓ガラス張りになったその階層は、広々としているけれどなにもない。ただ円形の部屋がどこまでも広がっているだけで、まるで空でも飛んでいるかのような気分になってくる。

 窓際に立ち、眼下に広がる摩天楼を眺めているのは、後頭部に金髪を撫でつけた男――白兎だった。

 彼は緩み始める口元を覆い隠すように、手袋で覆われた手で口元を隠す。それでもニヤニヤ笑いが止められないのだろう。肩を震わせて笑いを堪えていた彼は、ついに身を捩って高らかに笑い始めた。


「ははは、ははははははは!! ついにこの時がきましたか!!」


 待ちくたびれた。

 本当に待ちくたびれてしまった。

 待ちくたびれて、一度だけ姿を現してしまったが、今回はもう我慢しなくていいのだ。

 白兎は恍惚とした表情で窓ガラスに触れ、その先に待ち受ける誰かを想像して叫ぶ。


「さあ、待ってますよユーシア・レゾナントール!! 私の首はここにあるぞ!!」

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