第3章【遊興屋が作りし魔法の薬】

遊興屋ストーリーテラーってのはお伽話を題材にした魔法を使うことができたみたいで、その魔法の恩恵を与えようとして作られた薬が【DOF】って訳さ」


 歪んだ笑みを見せる月の下に存在する本屋街を歩きながら、ユーシアは【DOF】の元となった遊興屋について知っている限りの情報を話す。

 実のところ、遊興屋について知っていることは限りなく少ない。

 そもそも遊興屋という魔法使いは、かなり昔の人間だ。ユーシアたちが生まれるずっとずっと前の人間で、もはや歴史の教科書に名前が載っていてもおかしくないぐらいだ。

 しかし、遊興屋は世界に【DOF】などという魔薬を広めた張本人である。そんなものを広めなければ世界はまだ、ここまで頭のおかしな連中が広がっていなかったかもしれない。


「なんで、遊興屋さんは魔法のお薬を人々に広めようとしたのでしょうね?」

「さあ? 面白そうだったから広めてみたんじゃないの?」


 スノウリリィの質問に、ユーシアは投げやりに答える。

 遊興屋などには興味ないが、もし遊興屋と名乗る魔法使いがいればぶん殴っていただろう。遊興屋が【DOF】を広めなければアリスの【OD】もいなかっただろうし、ユーシアの家族も殺されずに済んだのだから。

 ――しかし、この【DOF】がなければユーシアは、リヴにもネアにもスノウリリィにも会えていなかったことは事実だ。


「あ、ここかな」


 ユーシアが足を止めたのは、とある本屋の前だった。

 まるで屋台のような作りの本屋は、店頭に大量の絵本を並べている。店番をしているのは、明らかに柄の悪そうな大男だ。

 顔にまで刺青を刻み、鋭い三白眼でジロリと店の前で立ち止まるユーシアたちを眺める。まるで品定めをするような目つきだ。あまりの怖さにネアとスノウリリィが身を寄せ合って「ひえー」「怖いです」と囁く。


「ごめんね、眠り姫と親指姫の【DOF】をくれるかな?」

「…………」


 柄の悪そうな店員は、やはり態度も悪かった。

 ジロリと三白眼で睨みつけてくると、並べられている絵本の中から『眠りの森の美女』と『親指姫』の絵本を抜き取る。それから彼はやたらと大きな手のひらを、ユーシアに向けて突き出してきた。


「三〇だ」

「……もう少し安くならない?」

「ならない。びた一文まかるか」


 柄の悪そうな男は吐き捨てるように言うと、ズイッと手のひらをさらにユーシアへ突き出してくる。


「三〇にしては絵本の質がなかなか悪いようだけど?」

「……仕方がないだろう。『眠りの森の美女』も『親指姫』もあまり出ない【OD】だからな」


 ユーシアに指摘されて、男はバツが悪そうに唸る。

 絵本の装丁もボロボロだし、背表紙は文字が掠れて読めなくなってしまっている。これで三〇出すならぼったくりだ。


「あ、あの、三〇というのは……?」

「三〇万ドルですよ。値段交渉が下手くそな素人は黙っててくださいね」


 スノウリリィがおずおずという風に聞いてきて、その横にいるリヴが辛辣な言葉を付け加えて答える。すかさずスノウリリィが桁外れの金額に驚いて「三じゅッ!?」と上擦った声を出して、リヴに手のひらで口を押さえられていた。

 この値段で応じなければ交渉はなしだ、とばかりの態度で居座るぼったくりの店員に、ユーシアは対物狙撃銃でも突きつけて脅してやろうかとしたのだが、


「あれ、ユーシアじゃねえか。お前こんなところでなにしてんの?」


 緊張した現場を緩和させるように、飄々とした青年の声が聞こえてくる。

 ユーシアが声の方へ視線をやると、そこには黒髪の男が立っていた。ひらひらと気さくに手を振ってくる男に、ユーシアは大いに見覚えがあった。


「ユーリさんじゃん。拠点は欧州の方じゃなかったっけ?」

「最近こっちの方に拠点を移したんだよ。いやー、懐かしいな。性格丸くなった?」

「俺は元々こんな性格だよ」

「またまたァ、嘘言っちゃって。お前、初めて【DOF】を買いにきた時すごいなんか機嫌悪そうだったじゃん。世界中の人間を全てぶっ殺してやるぐらいの勢いでさ」


 ケタケタと楽しそうに笑う男は、二〇代後半ぐらいだろうか。その割にはやたらと顔立ちは幼く見えるので、実年齢から五歳ぐらいは差し引いてもいいだろうか。

 飄々とした男と楽しげに会話するユーシアに、スススとリヴが近寄る。


「どちら様です?」

「俺が初めて【DOF】を買った売人だよ。ユーリさんって名前」

「どーも、初めまして」


 ユーシアが男――ユーリを紹介すると、彼はニコニコと人懐っこい笑みを浮かべてリヴに挨拶してきた。相手は世界の誰よりも殺意が強い暗殺者なのに、なかなか肝が据わった男である。


「それで、肝心の【DOF】は買ったのか?」

「いいや。三〇万ドルって吹っかけられちゃったから、今から値下げ交渉しようかなって」

「この店はやめとけ。質が悪い上に値段がべらぼうに高い。他の【OD】からも割と嫌われてるよ」


 ユーリが営業妨害もかくやとばかりの言葉を吐くと、店の男が「なんだと?」と声を荒げる。


「こっちだって利益を出さねえといけないんだ。生活も必死で」

「だったらもう少しマシな本を仕入れろよ。調薬もどうせ適当なんだろ、お前みたいなのが遊興屋の弟子とか聞いて呆れるわ」


 別の意味で緊張感が漂うが、ユーリがユーシアに「おい、オレの店にこいよ」と誘ってくることで方向転換する。


「こんなぼったくりなんかに頼らなくてもいいって。オレが完璧に調薬してやるから」

「値段は?」

「お友達価格で五万で引き受けてやる」

「それって結構破格だけど、利益出るの?」

「はははは、そこはそれ、機密情報ってことで伏せておいてくれ」


 三〇万と言われていた金額が、その六分の一の値段まで下がるのであれば他の店を選んだ方がいい。幸いにも、本屋は腐るほどあるのだから。

 ユーシアが「じゃあお願いしようかな」と言ったところで、交渉は成立。柄の悪い男は散々言われてユーシアを引き止めることができず、苦い顔で歯軋りしていた。


 ☆


 ユーリに連れられてやってきた本屋は、屋台のような店ではなく狭いながらもきちんとした本屋だった。

 狭い店内には本棚が立ち並び、絵本や雑誌なんかが大量に詰め込まれている。本当に本屋も兼用しているのか、とばかりの蔵書の数だった。


「えーと眠り姫だっけ?」

「そう。あと親指姫とピーターパンとシンデレラも」


 店の奥に引っ込んでいく男の背中に、ユーシアは注文のお伽話を投げつける。

 ユーリは本棚からなるべく綺麗な状態の絵本を四冊ほど抜き取る。本の表紙には『眠りの森の美女』『親指姫』『ピーターパン』『シンデレラ』と注文通りにあった。


「各絵本から作られるんですね」

「そうだよ」


 リヴがなんとはなしに呟いた言葉を、ユーリはきちんと拾って頷いた。


「【OD】になるまではランダムでばら撒くけど、【OD】になってからは発現した異能力のお伽話に合わせて調薬した方がいいんだよ」

「……僕、結構シア先輩の【DOF】を貰ってましたけど?」

「眠り姫から抽出した【DOF】を他の【OD】が飲んでも、なんら問題はないよ。ほら、魔法のお薬だし」


 ユーリは四冊の絵本を台座に広げると、


「それで、ユーシアは錠剤でいいんだよな? 他はどんな【DOF】を使ってる?」

「親指姫は濃縮した液体タイプを注射器で投与、ピーターパンとシンデレラは飴玉タイプだよ」

「あー、親指姫は人体に影響がある異能力だからな。特に【DOF】は使うだろ。頭がイカれないレベルだと三倍濃縮だけど、それ以上を使ってるとかはないよな?」

「使ってたら頭がおかしくなっちゃうでしょ」


 ユーシアが言うと、ユーリは笑いながら「違いねえな」と応じた。

 雑談を交わしながら、彼はまず眠りの森の美女の絵本に注射器を突き刺す。立派な装丁の絵本の表紙に太い注射針が突き刺さり、シリンダーの中に七色に輝く液体が見る間に抽出されていく。

 その光景を見たネアは、台座に乗り出さない勢いで「ふおお!!」と翡翠色の瞳を輝かせる。ユーシアが押さえ込んでいなければ、きっと台座に突撃していたことだろう。


「すごいきれい!」

「そうだね。ネアちゃん、ちょっとだけ大人しくしてようか。作業の邪魔になっちゃうから」


 興奮気味のネアを宥めると、今度はリヴがものすごく刺々しい気配を纏ってユーシアの背後に近寄る。それから目の前の男に聞こえないように配慮された声量で、


「あの男、信用できるんですか?」

「俺は信用してるつもり」

「この業界でまともな人間は一番に疑ってかかった方がいいですよ」

「この業界でまともな人間がいると思ってるの? この人も漏れなく頭がおかしいよ」


 あっけらかんとユーリを「頭がおかしい」と断定するユーシアに、薬の調合をしている最中のユーリは肩を竦めた。


「遊興屋に弟子入りしたってだけで、なんで頭がおかしいって判断されなきゃいけねえんだ?」

「【DOF】だけじゃなくて媚薬とか性転換薬とか危ない薬ばっかり作って楽しんでる変態を『頭がおかしい』って言わずしてどうするの?」

「趣味と実益を兼ねてるってのに酷い言い草だな」


 実のところ、高騰する【DOF】を五万で売ってくれる理由はここにあった。

 このユーリという男、遊興屋に弟子入りして【DOF】の調合の他に様々な薬の調合も学んだしたたかな男である。惚れ薬から媚薬、性転換薬、飲んだら動物の耳が生えてくる二次元のお約束な薬をたくさん作り、好事家こうずかに高値で売り捌いているのだ。

 不機嫌そうに唇を尖らせながらも手を動かすことをやめないユーリに、リヴは自信を持って断定する。


「信用できますね」

「でしょ?」

「なあ、どこで判断した? オレが信用できるってどこで判断した?」


 リヴの信用を得た方法が少しばかり気に食わないのか、ユーリは「酷え」と叫ぶのだった。

 世界の誰よりも殺人鬼なリヴの信用をこんな短期間で得るなど、幼女を相手にした時ぐらいである。



「ところで幼児化の薬ってあるんですか? シア先輩とリリィに飲ませてやりたいんですけど」

「リヴ君?」

「あるよ。一つ一〇万ドル」

「買います」

「リヴ君!?」

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