Ⅵ:麻薬はお伽話の中に

第1章【麻薬を買いに行こう】

「あ」


 狭い室内にて、くすんだ金髪の男が薬瓶を逆さまの状態にして呟いた。

 彼の手のひらには、コロンと小さな錠剤が一粒だけ転がっている。ちょうど薬を飲もうとした時に、最後の一個だったらしい。

 無精髭を生やした顎を撫でながら、金髪の男――ユーシア・レゾナントールは「あちゃぁ」と失敗したように顔を顰める。


「なくなっちゃった」


 時を同じくして、浴室。


「あら」


 風呂桶に腰かけて、黒い雨合羽レインコートに身を包んだ青年はパタパタと雨合羽の袖を振っていた。

 普段はその下に大量の暗殺器具を隠し持っているのだが、彼が目的としているものは全然違うものだ。代わりのものを補充しようとして浴室の棚を確認するが、大量の空の注射器があるだけで中身はなかった。

 ややボサボサになった黒髪を掻きながら、雨合羽の青年――リヴ・オーリオは「あらら」とあっけらかんと言う。


「なくなっちゃいましたね」


 そして、時を同じくして寝室では。


「あれ?」

「どうしました?」


 ベッドの上で髪を結ってもらっている最中の金髪の少女は、可愛らしいデザインのガラス瓶をひっくり返していた。

 その中身には大量の飴玉の包み紙しか詰め込まれておらず、やはり肝心の飴玉はない。パコパコとガラス瓶を嵌めたり外したりして何度も中身を確認する少女だが、いくら見ても中身は増えないし変化もない。

 翡翠色の瞳をパチクリと瞬かせた少女――ネア・ムーンリバーは、自分の髪を結ってくれている銀髪碧眼のメイド――スノウリリィ・ハイアットへ振り返って、ガラス瓶を上下に振りながら言う。


「なくなっちゃったの」

「あら、本当ですね」


 世界中で人気を博し、使用者に都合の良い幻覚を見せる麻薬――ドラッグ・オン・フェアリーテイル。通称を【DOF】。

 その【DOF】を使用し続ければ、都合の良い幻覚はいつしか悪夢と化すとんでもなく恐ろしい麻薬だった。

 しかし、それでも悪夢を受け入れて正しいことだと認識すれば、それはいつしか異能力となる。その異能力を獲得した重度の麻薬中毒者のことを過剰摂取overdose――【OD】と呼ぶようになった。


 その【OD】に必要不可欠な麻薬が、ある三人のもとからすっかりなくなってしまったのである。

 今回はそんなお話だ。


 ☆


「シア先輩。【DOF】ありませんか?」

「俺もついさっき切れちゃって」


 最後の一粒である【DOF】を口の中に放り入れ、ユーシアは温い水で流し込む。無味無臭の錠剤が胃の腑へと落ちていき、浴室から顔を覗かせたリヴに空っぽの薬瓶を指で示す。

 リヴは「あらら」と言うと、


「困りましたね。僕は濃縮タイプの【DOF】を使っているんで、このままだと【OD】の異能力が使えません」

「身体に影響する系の異能力は、たくさん【DOF】を使うんだもんね。――あとリヴ君、濃縮タイプとか言わないでくれる? ジュースみたいでちょっとやだ」


 リヴは「でも事実ですよ」と言うので、ユーシアはもう反論もしなくなった。

 すると、寝室から金髪の少女がパタパタと飛び出してくる。彼女の手には一抱えほどもあるガラス瓶があり、その後ろから銀髪のメイドが「瓶を持ったままだと危ないですよ」と注意してくる。


「おにーちゃん、おくすりなぁい?」

「あら、ネアちゃんもないの?」

「あめちゃん、なくなっちゃったの」


 ネアはガラス瓶中身をひっくり返して、飴玉がないことを教える。

 彼女の場合は特に消費は酷いだろう。なにせ、最近では銀髪のメイド――スノウリリィもシンデレラの【OD】に覚醒してしまったのだ。あからさまな薬の形だと嫌がるので、ネアの飴玉の【DOF】を飲ませていたのだ。

 その分、二倍に消費量が増えているので、必然的になくなるのも早くなる。


「買いに行かなきゃいけないけねぇ」

「そうですね。ちょっと値段は張るかと思いますが、まあ脅せば多少は安くなるでしょう」

「おくすりかうの? かえるの?」

「そもそも、この【DOF】ってどこで買うのですか?」


 男二人は購入を計画しているようだが、少女とメイドは【DOF】をどこで購入するかよく分かっていないようだ。

 当然である。ネアの場合は父親が無理やり飲ませていたのだ、彼が用意していたに違いない。そしてスノウリリィの場合は今の今まで【DOF】に触れることなく、綺麗な状態だった。

 一体どこで、この【DOF】を購入するのか知らないらしい。


「それなら一緒に買いに行こうか。割と楽しいよ」

「ええ、あそこは女子供なら喜びそうな場所ですね」

「そんなにたのしいところなの?」

「なんだか怪しい雰囲気があるんですが、信用してもいいんですか?」


 ネアは翡翠色の瞳をキラキラと輝かせて、スノウリリィは怪しむように青い瞳を眇める。

 確かに怪しまれてもおかしい。【DOF】は一応、麻薬の分類に属する。怪しい取引現場に連れて行かれると警戒されるだろう。

 しかし、この【DOF】は本当に危険な場所で売っている訳ではない。かといって、簡単に買えるような場所にもない。


「じゃあ行ってみようか。大丈夫、スノウリリィちゃんもきっと気に入るよ」

「そんな危ない場所をどうやって気に入ると!?」

「リリィ、世の中には先入観で物事を決めちゃいけないんですよ。この際にその認識を改めてください」


 やはり警戒心を剥き出しにするスノウリリィの肩を叩き、ユーシアはニッコリと笑う。


「さ、行こうかスノウリリィちゃん。――ゲームルバーク大図書館へ」

「げ、ゲームルバーク大図書館? 図書館がそんな無法地帯に!?」

「いいや、違うよ」


 よく考えてほしい。

【DOF】はお伽話とぎばなしの異能力が発現する麻薬だ。当然、草花から【DOF】は作られない。

 その麻薬が作られるのは図書館や本屋などの書籍がある場所なのだ。


「ちなみにスノウリリィちゃん、言っておくけれどね。【DOF】は麻薬じゃないよ」

「え、じゃあなんですか。楽しい気分になるお薬じゃないんですか!!」

「そういう危ない薬を図書館や本屋で売ってる訳ないでしょ!?」


 そう――【DOF】とはつまり、


魔薬まやくだよ」

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