第10章【キエエエエエエエエエエエ、シャベッタアアアアア!!】
ルーザーの死体を屋上庭園に放置して、
三月兎の殺意から解放されたらしい客の群れが、無造作に床へ散らばっている。誰も起きる気配がなく、目立った傷跡はないので、そのうち起きるだろう。
「……待ってください」
「どうしたの、リヴ君?」
先頭を歩いて受けリヴが立ち止まり、その後ろに続いていたネアとユーシアも自然と足を止める。
彼の視線は真っ直ぐに固定されていて、その視線の先には覚束ない足取りで歩く小さな少女の姿があった。少女の歩みはこちらへ確実に向かっていて、その瞳は虚ろだ。
警戒してナイフを構えるリヴの後ろで、ユーシアは純白の対物狙撃銃を持ち直す。傷心状態のネアに「ごめんね、銃身を持っててくれるかな」と頼むと、彼女は何も言わずにユーシアの言う通りに従った。
「ゆ、しあ、れぞなん、とーる……」
近づいてきた少女は、掠れた声を紡ぐ。
「まだ生きていたの?」
「オマエは、くるしんで、しね。じぶんの、ふくしゅー、あいてに、すら、きがつかなぃ、ばかが」
「……俺の復讐相手は最初から決まっているけれど」
惨劇の中で笑っていた、あの幻想の少女。
アリス。
不思議の国のアリスこそ、ユーシアが殺さなければならない相手だ。
少女を介して意思を伝える負け犬は「はッ」と鼻で笑うと、
「アリスは、オマエの近くにいる。それに、きづいていないオマエは、ばかだ。おおばかだ。ざまーみろ」
「もう黙って」
ユーシアは引き金を引いた。
対物狙撃銃には弾丸が込められていないので、当然ながら狙撃弾は射出されない。カチンという間抜けな銃声と共に、見えない眠りの弾丸が小さな少女を射抜いた。
「じゃあね。負け犬さん」
膝から崩れ落ちた名前も知らない少女を見送り、ユーシアはふと思い立った。
アリスは近くにいると言っていた。それに気づいていないユーシアは、大馬鹿だとも。
あの負け犬はなにを知っていたのだろうか?
(今となっては、知る由もないけれど)
☆
「きょーは、りりぃちゃんとねてもいーい?」
あの騒動を経て家に帰ってきたユーシアたちは、いつもとは違った夜を迎えようとしていた。
寝巻きに着替えたネアは、わざわざユーシアのところまでやってきて部屋の隅に寝かされているスノウリリィの死体を指で示す。体温はすでになくなっているし、心臓も動いていない。彼女が眠れなくなっても、銀髪のメイドは子守唄さえ歌ってくれない。
それでも、ネアは死んでしまったスノウリリィと一緒に寝たいと言う。
「だって、あしたにはうめちゃうから」
「あー……」
ユーシアは納得した。
夜も遅いということで、埋葬は明日にしようという話になったのだ。
明日には嫌でもお別れしなくてはならないので、ネアは最後までスノウリリィと一緒にいたいらしい。
翡翠色の瞳を潤ませて「だめ……?」と聞いてくるネアに、ユーシアは彼女の髪を撫でてやりながら頷いた。
「いいよ。部屋に運んであげようか」
「!! ありがと、おにーちゃん!!」
ぱあ、と表情を明るくさせたネアは、自分の部屋である狭い寝室に引っ込んだ。
死体と一緒に寝るとは、とユーシアも少し思うところはあるが、スノウリリィが気に入っていたネアにとっては大切な最後の時間なのだ。好きにさせてやろう。
ほんの僅かだけど軽くなってしまった銀髪のメイドの死体を横抱きにして、ユーシアは女子連中が寝床に使っていた寝室に足を踏み入れる。
ネアの意見を取り入れてパステルカラーを基調とした家具で揃えられた寝室にて、ネアはすでにベッドで待ち構えていた。ポンポンとベッドで寝転ぶ自分の隣を叩いて、スノウリリィをここに下ろせと示してくる。
「落とさないであげてね」
「うん」
「明日には埋めちゃうから、最後に綺麗にしてあげるからね。なにか一緒に埋めてほしいものとかある?」
「これ」
ネアが指差したのは、眠るスノウリリィの頭に乗せられたカチューシャだった。
偽物の宝石があしらわれたリボンが特徴のカチューシャだが、スノウリリィによく似合っている。「これはどうしたの?」と問いかけると、
「ねあがかってあげたの。りりぃちゃん、とってもよろこんでくれたんだよ」
「……そっか」
最近、熱心に手伝いをするようになったと思ったら、スノウリリィに贈り物を買う為のお金だったのか、とユーシアは納得した。スノウリリィは随分と幸せだったらしい。
ユーシアは「おやすみね」とネアの頭を撫でてから、部屋の電気を消してやった。少女が隣に眠る最愛の彼女の死体に抱きつき眠る姿を確認してから、部屋の扉を閉めてやる。
「お優しいことで」
「リヴ君だって、同じことをするでしょ?」
部屋から出ると、いつもの黒い雨合羽に身を包んだリヴが、寝床にしている浴室から顔を覗かせていた。
ユーシアが肩を竦めながら言うと、リヴも頷いて「そうですね」と肯定する。
「中身は立派な
「あはは、リヴ君らしいね」
真剣な様子で言い放つリヴに、ユーシアは苦笑した。確かに、幼女の味方であるリヴなら考えられる行動である。
もう夜も遅いので、ユーシアも休もうかと古びたソファに戻ろうとしたところで、リヴが質問を投げかけてくる。
「アンタはリリィのことをどう思っていたんですか?」
「…………そうだね」
脳裏を過ぎる、銀髪碧眼のメイド。
出会いは隣の部屋。娼婦として呼ばれた彼女が騒いだことがきっかけで、腹いせで殺してやろうとしたところでネアに助け舟を出されて命を救われた。
常識的な性格で、物腰柔らか。リヴのトゲのある敬語とは違って、きちんと相手を敬う言葉を心がけていた。信心深く、料理が下手で、ネアを大切にしてくれて、少し世間知らずなところもあったけれど、
「いい子だったよ。スノウリリィちゃんは」
☆
「――――きて、くだ――――」
優しく体を揺さぶられて、ユーシアは
いつものようにソファを寝床にしていたユーシアは、大きな欠伸をすると「朝ご飯作らなきゃ」と思ってしまう。早く朝ご飯を作らないと、意外と早起きなスノウリリィが気を利かせて料理を作ってくれるのだ。
朝からあんな未知の物体の処理などしたくないので、ユーシアはまだぼんやりと霞んでいる目を擦る。まだ思考回路が働いておらず、このまま二度寝しようとして、
「全くもう、私に台所の出入り禁止を言い渡しておいて二度寝する気ですか? 朝ご飯、私が作りますからね」
「それはやめてスノウリリィちゃん!! お前さんはまたリヴ君に殺されたいの!?」
がばりと飛び起きたユーシアは、はてと首を傾げる。
今、自分は誰と会話したのだろう? そして誰の名前を叫んだ?
ゆっくりと視線を上げると、そこには見慣れた銀髪のメイドが「やっと起きましたね」と腰に手を当てている。彼女は柔らかな手のひらでユーシアが被っていた毛布をむんずと掴むと、
「今日はお洗濯日和ですから、お布団もお洗濯します。さあ起きてください!! 私が料理するとリヴさんになんと言われるか――」
「――――ぎゃああああああああ!? 喋ったぁぁぁぁああああああああ!!」
ユーシアは悲鳴を上げた。
早朝のゲームルバークの青空に、彼の悲鳴が盛大に轟く。薄い壁を突き抜けてご近所にも響き渡ったので、いい目覚ましになったのだろう、外が
いやいや、そうではない。問題はそこではない。
スノウリリィが、動いて喋っているのだ。
「ちょ、ちょっとユーシアさん? あの」
「リヴ君リヴ君リヴ君リヴ君リヴ君!! スノウリリィちゃんが生きて動いて喋ってる!! どうしよう【DOF】をキメすぎた幻覚なのかなぁこれ!?」
混乱のあまり、ユーシアは世界の誰より殺人鬼な相棒に助けを求めた。自分で対物狙撃銃を取り出して対応すればいいのに、と冷静になったユーシアは考えたのだが、今はそれどころじゃないのだ。
遅れて、浴室から何やら寝起きで不機嫌そうなリヴが、もしゃもしゃになった黒髪を掻きながら顔を覗かせる。
「うるさいですよ、シア先輩。朝から発情期ですか。死体相手に発情とかやめてくださいよ」
「あ、おはようございますリヴさん。ユーシアさんが少しおかしいのですが、なにかあったのでしょうか?」
「次元を間違えました出直してきます」
バタン、とリヴも浴室の扉を閉ざして立て篭りを決行しやがった。あの裏切り者。
耳を澄ますと、浴室から何故かお経が聞こえてくる。おそらくリヴも大いに混乱しているのだろう。彼も死体が動き回って喋りまくるという異常事態は初めて遭遇したようだった。――いや、それは誰も経験がないから当たり前か。
「うわーん!! おにーちゃん、りりぃちゃんうめちゃったの!? なんでねあもおこしてくれなかったの!!」
すると、寝室からネアが半泣きで飛び出してくる。彼女の舌ったらずな訴えに耳を傾けると、どうやら起きたら死体が消えていたらしい。ネアが寝ている隙に、ユーシアとリヴが埋めに行ったのかと勘違いを起こしたようだが――。
「ネアさん、おはようございます」
「――――きゃああああああああ!? りりぃちゃんじょーぶつしてえええええええええ!!」
「なんで皆さんお化けでも見たような反応なんですか!?」
ネアも想定外な状況に、悲鳴を上げてバタバタと寝室に飛び込んでいく。彼女も、まさか死んだはずのスノウリリィが動くとは思っていなかったらしい。
部屋中は阿鼻叫喚の地獄と化し、何故か動き回れるスノウリリィが一喝するまで、ユーシアとネアはきゃーきゃーと叫び、リヴはお経を唱えることをやめなかった。
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