第9章【三月兎を殺すのは】
――オレよりも、アイツの方が戦果が上だった。
「よう、ユーシア。また戦場で活躍したんだって? 羨ましいねぇ!!」
「たまたまだよ。敵将が馬鹿で助かった、なにせノコノコと前線基地までやってきちゃうんだから」
――だから嫌いだった、殺したいぐらいに。
「凄え、あの距離から脳幹を射抜いたぞ!?」
「あいつが外したところを見たことないな」
――ああ、殺してやりたい。
「それに比べて同じ狙撃手の、えーと、誰だっけ?」
「負け犬君だよ。圧倒的に戦績で負けてるから覚えてねえけど」
「やっぱり死神様には敵わねえよな。『
――ユーシア・レゾナントール、オマエだけは殺してやる!!
戦場では珍しい、一点の汚れすらも見当たらない純白の対物狙撃銃を自在に操り、その弾丸は正確に相手の頭を粉々に吹き飛ばす。
対人に向けてはいけない代物ではあるが、相手は常軌を逸脱した麻薬中毒者だ。対物狙撃銃どころではなく、戦車すらも凌駕するほどの異能力を発現させた重度の麻薬中毒者もいる。
そんな頭のおかしな戦場で、白い死神と呼ばれたあの男は戦っていた。そしてたくさんの戦果を残してきた。誰からも褒められた。
ならば、このルーザー・アトランティカという男は?
彼も狙撃手だった。戦績はそこそこで、
それでも狙撃手としての矜持は持っていた。どう頑張っても勝てない相手でも、いつか勝てる、いつか褒めてもらえると思いながら
「白い死神がまた敵将を粉々にしたぞ!!」
「弾丸を外したどこかの誰かとは違うな」
ああ、やはり死神と恐れられる彼には敵わないのだ。
最新式の狙撃銃を抱えて振り返ったルーザーは、
少し高い位置から狙撃をしていた彼は、撃破した相手から視線を外すことなく立っている。短くなった煙草を吐き捨てて、燻る小さな火を軍靴の底で踏み消したその男は、狙撃手が使う得物にしてはあまりにも目立つ純白の対物狙撃銃を携えている。
「対象を撃破。次の獲物は?」
そんなことをインカムに伝えている彼は、どこまでも狙撃手らしくて。
ならば、ここにいる自分は一体誰だ?
対象を横から掠め取られて、敵に弾丸一発当てられない自分は、一体なんだ?
☆
服から見える褐色肌には、びっしりと刺青を刻んだ男――確か名前をルーザー・アトランティカと言ったか。
彼は狙撃手の父親の後を追うようにして軍へ入隊し、そこそこの戦果を挙げてきた。それでも『
ユーシアは彼の嫉妬など歯牙にも掛けていなかったが、狙撃手としての矜持だけは一丁前だった彼からすればユーシアは憎き存在だったのだろう。そういえば、何度も彼のフォローを言い渡された記憶が朧げながらある。
「そうかそうか、お前さんがスノウリリィちゃんを殺したんだね」
ユーシアは頷く。
自分を恨んでいるならば、自分の周りにいる人間を殺して絶望を味合わせようとする小物感。悪党としては落第点だ。
どうせならば、周りの人間と言わずに周辺の人間を手当たり次第に殺すぐらいの勢いでなければ。
「別に、どうだっていい。オマエがここまでくれば問題ねェ」
引き裂くように笑ったルーザーは、
「さあ、殺し合おうかユーシア・レゾナントール。オマエもオレのことが憎いだろう? なんせ、オマエの女を殺したのはこのオレだからなァ!!」
「いいや全然」
は? とルーザーは間抜けな声を上げる。
確かに憎いかと問われれば憎いが、アリスほどではない。あのアリスの【OD】以上に憎くて忌々しい存在など、この世に存在しない。
純白の対物狙撃銃を構えたユーシアは、
「ただ、俺以外の誰かの殺意を受け取る覚悟がよくあるなぁと思っただけ」
「オマエ以外の誰かだと……?」
「そうだけど。え? まさか俺に夢中で他の奴に気がつかなかったの? スノウリリィちゃんを殺したくせに? うわあ、可哀想」
ユーシアは心の底からルーザーを哀れんだ。
名前から負け犬臭が漂っている彼は、どうやらおつむの方も弱いみたいだ。変な嫉妬心を燃やすぐらいなら、ユーシアが今誰とつるんでいるのか確認するべきだったのだ。
彼の相棒は、世界の誰より殺人鬼――隠れて殺す暗殺も、正面から殺すこともやってのける生粋の殺し屋だ。
「はろー」
気が抜けるような挨拶と共に、黒い何かが屋上庭園へ駆け込んでくる。
黒い影のようなものは立ち尽くすルーザーに肉薄すると、
「こんにちはそして死ねッ!!」
物騒な言葉と共に、やや大きめのガラス片を振るう。
ポンコツだったとはいえ、さすが元軍人である。寸のところでガラス片を飛び退いて回避すると、ルーザーは「誰だ!!」と叫んだ。
「ああ、どうも。生温い恨みでうちのメイドを殺したクソッタレなお兄さん。アンタを殺しにきた殺人鬼です」
手にしたガラス片を足元に投げ捨てた黒い人影――リヴはカーディガンのフード越しにルーザーを睨みつけていた。
「リヴ君、どうしてきちゃったの」
「アンタが遅いからですよ、シア先輩。なかなか帰ってこないので、待ちくたびれちゃいました」
口調こそは
「ネアちゃんは? まさか置いてきたの?」
「そんな訳ないでしょう。僕は
「何で連れてきちゃったの!?」
ユーシアが驚きで叫ぶと同時に、屋上庭園へ星が降る。
煌めく金色の髪を翻し、純白のワンピースの裾は危なっかしげに揺れる。ズドン!! という大砲さながらの轟音を響かせて、空から流星の如く落ちてきた少女は、天使のモチーフが施されたメルヘンチックな大振りのナイフを両手で握りしめていた。
泣き腫らした翡翠色の瞳でルーザーを睨みつけた彼女は、ありったけの恨み辛みが込められて震える声で叫ぶ。
「――りりぃちゃんを、かえせ」
怒気を孕んだその声は、少女が出すにはあまりにも低くおどろおどろしくて、
「――ねあから、りりぃちゃんをうばうなぁ!!」
明確な殺意が込められていた。
「ほら、いますよ」
「いますよ、じゃないでしょ!! 危ないことをさせないでよ、もう!!」
「ネアちゃんが望んだことなんですから、僕はそのお願いを叶えてあげただけですよ。ほら、僕ってば紳士さんですから」
「お願いを聞いてあげるにも程があるよ!?」
大振りなナイフを握りしめて突撃しようとする金髪の少女――ネアとルーザーを衝突させない為に、ユーシアは純白の対物狙撃銃に取り付けられた
カチン、という間抜けな銃声。だが、銃口から放たれた見えない悪意の弾丸は、男を守るようにして立ちはだかる幻想の少女を射抜き、ルーザーの脳天を貫く。
ぐらり、とルーザーの体が傾ぐ。いつもなら一瞬で昏倒するはずなのに、彼は頭を押さえたまま踏みとどまっていた。
「おかしいね。永遠に眠るように仕込んだはずなのに」
「はッ、残念ながら眠りの弾丸は効かねェよ。オレは三月兎の【OD】――第三者に感情を伝播させる他に、永遠に覚醒状態になる特性も持ってんのさァ!!」
自慢げに言うルーザーを、ユーシアは心の底から哀れんだ。
彼がここで倒れる必要はない。少しでも、彼女から意識を逸らすことができれば、ユーシアの勝ちなのだ。
何故ならルーザー・アトランティカという男は、ユーシアにしか意識が向いていないのだから。
「はははははははは、――――は、は」
ルーザーの高らかに響く笑い声が、ついに途切れた。
その腹には、ネアが握りしめていた大振りのナイフが突き刺さっている。服を濡らすほどの赤い液体が内側から溢れ出し、そしてついには彼の口から悲鳴が迸る。
「あ、が、ああああ、ああああああああああああ!?!!」
どうして自分が死ぬのか分からない、とでも言いたげな悲鳴だった。
背後からそっと近づいて、後ろからナイフでルーザーを串刺しにしたネアは、
「りりぃちゃんは、もっといたかったんだよ」
グリッと丁寧にナイフを捻って傷口を広げ、
「だから、いたくするの!!」
そう言って、ネアは乱暴にルーザーの体からナイフを引き抜くと、何度も何度も男の体にナイフの刃を突き刺した。
「……リヴ君」
「なんですか?」
「ネアちゃんにナイフで傷口を拡げる芸当を教えたのって、お前さんだったりする?」
「いいえ。そういえば、この前昼ドラでそんなような話をやってましたよ」
「……情報源はそこかぁ」
繰り返しルーザーを滅多刺しにするネアを眺めながら、ユーシアはぼんやりと呟いた。昼間からなんて暗いテーマのドラマを放送しているのだろうか。
しかし、そろそろネアを止めなければならない。倒れたルーザーに馬乗りになって一心不乱にナイフを振り下ろす彼女の両手は真っ赤に染まり、白い服にも鮮血が飛び散ってしまっている。せっかくのお洒落が台無しだ。
「ネアちゃん、もうやめよう」
「やだ、やだっ! まだやる!! りりぃちゃん、もうもどってこないもん!! このひとにっ、もっと、いたいことしないとっ!!」
「もう動いてないよ」
ナイフを握るネアの手を止めたユーシアは、静かに言う。
ルーザー・アトランティカはもう動かなくなっていた。【OD】とはいえ幾度となく滅多刺しにされて、耐えられるはずがなかった。
もう悲鳴すらも上げなくなった肉人形を見下ろして、ネアは言う。
「おにーちゃん」
「なに?」
「かえろう。おくるまで、りりぃちゃんがまってるの」
馬乗りにしていたルーザーの上から退き、ネアはユーシアの外套の袖を引っ張る。
ありったけの殺意を発散させ、その両手を赤く染めてしまった少女の頭を撫でて、ユーシアは頷いた。
「そうだね。スノウリリィちゃんが待ってるから、早く帰ってあげようか」
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