第8章【少女の殺意】
死んでしまった。
死んでしまった。
大好きなあの子が死んでしまった。
「……ネアちゃん、大丈夫ですか?」
傷心状態のネアの様子を窺うように、親指サイズになったリヴが顔を覗き込んでくる。彼のことも大好きだし、今もどこかで戦っている狙撃手の彼も大好きだ。
みんなみんな、ネアにとって大切で大好きな人たちなのだ。
それなのに、
「…………りりぃちゃん」
自分のメイドとして側にいてくれた、銀髪の彼女は死んでしまった。
ネアを悪意から庇って、死んでしまったのだ。
眠るように瞳を閉ざしたスノウリリィの顔を見ると、また涙がじわじわと溢れてくる。ネアは赤く充血してしまった瞳を乱暴に拭って、泣かないようにと心を強く持つ。
スノウリリィは死んだ、死んでしまった。その現実をそろそろ受け止めなければならない。
「新しいメイドがご所望なら攫ってきます?」
「いらない」
「……ですよね」
さすがのリヴも、今のネアの扱いには
ネアはポシェットから飴玉を取り出すと、包装紙を破いて口の中に放り込む。甘い味がほんの少しだけする飴玉だが、これは幻想としてもたまに出てくる父親が舐めるようにと渡してきた代物だ。
つまり、この飴玉は【DOF】だ。使用者に幻覚を見せ、使い続ければ異能力を発現させる麻薬。
飴玉をゴリゴリと噛み砕いていると、ネアはふとおかしなことに気づいた。
なんでスノウリリィが死ななければならなかった?
なんでスノウリリィは殺されてしまった?
彼女はなにもしていないはずなのに。ネアだって、最近は悪いことをしていない。リヴやユーシアは知らないが、それでもネアやスノウリリィには関係のない話だ。
許せない。
許せない。
ネアからスノウリリィを奪った、
「りっちゃん」
「なんでしょう?」
「りりぃちゃんをころしただれかを、ねあがころしたいってゆったら」
親指サイズに身長を縮め、窓枠に上手く腰かけているリヴに視線をやり、ネアは問いかける。
「――りっちゃんは、たすけてくれる?」
「ええ、もちろん」
即答だった。
親指サイズの青年は、ネアの抱く感情は正しいものであり、当然であると肯定するように、
「ネアちゃんがそう望むのであれば、僕はリリィを殺しやがった何某を殺す為にあらゆる手段を講じますよ」
青年の一言で、ネアは決意する。
スノウリリィを殺した何某を、自分の手で殺してやるのだと。
ポシェットから大振りのナイフを取り出して、両手で柄を握りしめると、ネアは車の扉を開ける。外に出てはいけない、とは言われていない。だから、ユーシアも怒らないはずだ。
車内に残ったスノウリリィに振り返ると、ネアは小さな声で囁く。
「いってくるね、りりぃちゃん」
――そうして、少女は復讐の道を歩き始める。
☆
さながらゾンビのような客の群れから逃げ回るユーシアは、ぜえぜえと息を切らせながら叫ぶ。
「ど、どこまで!! 殺意を!! ばら撒いてんだよぉ!!」
運動不足のユーシアにとって、マラソンはとんでもない地獄の所業である。
腰を落ち着けて狙撃に集中しようにも、どこから客がやってくるか分からない状況だ。その為にユーシアは必死に逃げる必要があった。【DOF】の補給すらままならない。
やはりリヴは同行させるべきだったか、とユーシアは後悔する。前衛担当の彼がいてくれれば、きっとあの操られている客の群れなどあっという間に片付けてくれるに違いない。
「うわッ」
すると、ひょっこりと目の前に男が現れた。見た目の年齢は五〇代そこそこと言ったところだろうか、例外に漏れることなく意識はないようだ。
消火器を抱えた男は、ユーシアの脳天に赤い凶器を叩きつけようと振りかぶる。だが、それよりも先にユーシアは手にしていた純白の対物狙撃銃を構えると、迷わず引き金を引いた。
空っぽの薬室を叩く撃鉄。弾丸は射出されることなく、しかし永遠の眠りをもたらす悪意は的確に男を射抜く。
睡魔に襲われて膝から崩れ落ちた男は、振りかぶった消火器を落とす。ガランガラン、という耳障りな音を聞きながら、ユーシアはその場から逃げ出した。
「やだぁ、もうやだぁ。俺は狙撃手なんだからあんまり前衛なんて立ちたくないんだよぉ!!」
ユーシアの泣き言を聞き入れるような敵だったら、どれほどよかっただろうか。姿の見えない【OD】は、容赦なくユーシアに牙を剥く。
ヘロヘロの状態でユーシアはエスカレーターに乗り、
「あー、もうやだぁ!!」
顔を上げたユーシアは頭を抱えた。
徐々に上階へと向かっていくエスカレーターだが、その先に大勢の客が待ち構えていた。ユーシアを誘うように手招きをしてくる狂気に感染した集団に、ユーシアは嫌気が差した。
「こっちは疲れてるってのに」
ぶつくさと文句を吐きながら、ユーシアは純白の対物狙撃銃を構える。エスカレーター程度の長さからの狙撃であれば、照準器を使わずとも十分に狙える。
的確に射抜いてくる睡魔に抗えず、狂気に感染したゾンビ客は次々と永遠の眠りに倒れていく。だが、エスカレーターも終わりが近づいてくる。徐々に距離を詰めてくるゾンビ客を前に、ユーシアは舌打ちをした。
(前も後ろもゾンビ客だらけ……仕方ないかぁ)
胸中でため息を吐いたユーシアは、対物狙撃銃の銃身を掴む。本来であればこんな使い方はしないのだが、十分に重さもある代物だしちょうどいい鈍器になる。
ゆっくりと近づいてくるユーシアに、ゾンビ客の手が伸びる。彼らの手にはガラス片や分厚い書籍、鞄の紐などのユーシアを確実に殺す為の道具が握られている。これだけの人数がいれば、誰かしらはユーシアを手にかけることができるだろう。
「よ――ぃ、せッ」
手摺りのほんの僅かな幅を足場にして、ユーシアは跳躍する。
ゾンビ客の魔の手に捕まるより先に客の群れを飛び越えたユーシアは、
「ほいッ」
後ろでモタモタしていたゾンビ客の一人に、対物狙撃銃の
銃身を握りしめてバットよろしくフルスイングしたことで、側頭部をぶん殴られたゾンビ客は吹き飛んでいく。狙撃銃の大きさも重さもそれなりにあるはずなので、ダメージもそこそこあるだろう。
ガラス片を握りしめて突進してきた若い女性を蹴飛ばして、背後から鞄の紐を装備して襲いかかってきた男には振り向きざまに対物狙撃銃を叩きつける。銃把がこめかみに炸裂し、やはり男も同じように吹き飛んでいった。
「本当は狙撃銃をこんなことに使いたくないんだけどね」
やれやれと肩を竦めたユーシアは、砂色の外套の裾を引っ掴んできた男児を蹴飛ばす。背後に倒れた男児だが、その行き先は床ではなくエスカレーター。可哀想なことに、男児はゴロゴロと階段を転がり落ちていってしまった。
「オマエ、近接戦闘は苦手って――」
「苦手だよ。不可能ではないけれど」
唖然と言う誰かを適当に照準し、ユーシアは眠りの弾丸で射貫く。
苦手だと言っているが、別にできないとは一言も言っていないのだ。不可能だったらここまで動けていないし、前衛担当のリヴの後ろにずっと控えている。
「まあ、こっちは元軍人だしね。近接戦闘も一応は訓練を受けていたんだよ。――成績は下から数えた方が早かったけれど」
「…………」
ユーシアの自虐に、名前も知らない何某は口を閉ざした。別にただの雑談なのだが、軽口すら返せない理由はなにかあるのだろうか。
奇声を上げながら、どこからか植木鉢を引きずってきた老婆の蹴倒して、トドメの一撃として頭に対物狙撃銃を振り下ろす。純白の銃把に鮮血がパッと飛び散った。
さて。
どこかに身を隠せるような場所がないかと周囲を見渡したユーシアは、ふと外へ繋がる扉を発見した。どうやら屋上庭園に出られるようで、そこで身を隠しながら狙撃をしようと決める。
ガラス扉を開けると、やや冷たい風がユーシアの頬を撫でた。銃把にこびりついた鮮血を手のひらで拭い、念の為、対物狙撃銃を構えながら屋上庭園に足を踏み入れる。
「――――あ」
思わず声が漏れ出た。
花が踏み荒らされて無残な様子を晒す屋上庭園に佇む、褐色肌の美丈夫。肌の見える部分にはびっしりと刺青を入れ、胡乱げにユーシアを見やる瞳は薄い青色。なかなか顔立ちは整っているのだが、刺青のせいで近寄り難さがある。
「よォ、ユーシア・レゾナントール」
褐色肌の美丈夫は、引き裂くように笑いながら言う。
どうしてここに。
なんで彼が。
そんな疑問が出てくるより先に、ユーシアは「ああ」と彼のことを思い出した。
「俺に戦績で負けてやけっぱちになって【DOF】に手を出した挙句、上官にこっぴどく叱られてそのまま軍を追い出された負け犬のルーザー君じゃん。こんなところでなにしてるの? 奇遇だね」
「殺す!!!!」
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