第7章【白い死神】

 車の後部座席に冷たくなったスノウリリィを寝かせて、ユーシアはネアも車の中に押し込む。このまま帰ろうかとも考えたが、悪党としてそれは許容できなかった。

 スノウリリィを殺した何某なにがしを、この手で殺す――ユーシアとリヴの方針はすでに決まっていた。


「ネアちゃん、俺たちはこれからスノウリリィちゃんを殺した馬鹿野郎を殺してくるね。危ないし、変態さんに狙われたら困るから、ネアちゃんはスノウリリィちゃんをここで見張っててくれるかな?」

「…………」


 ユーシアの言葉に、ネアは返事すらしなかった。赤くなってしまった瞳をごしごしと擦り、彼女は小さくコクリと頷く。

 傷心状態の少女を一人でここに置いておくのは危険だろうか。後追い自殺の可能性も大いにあり得るので、ユーシアは少し考えてからこう判断を下した。


「リヴ君もここに残って」

「え、何でですか」

「ネアちゃん一人だと心配でしょ。スノウリリィちゃんを追いかけて自殺しかねない」


 永眠するスノウリリィのすぐ側に寄り添うネアは、今にも消えてしまいそうな儚さがある。このままでは本当に一人にした途端、スノウリリィの後を追いかけかねない。

 リヴもそのことを理解したのか、納得していないとばかりに難しい表情を浮かべる。黒曜石の瞳は物語っている――「アンタ一人で大丈夫なんですか」と。

 狙撃手であるユーシアは、近接戦闘が苦手だ。前衛は主に誰よりも殺意が強いリヴに任せて、自分は後方支援に徹するばかりである。遠距離であればスノウリリィを殺した何某も殺せるだろうが、近接に持ち込まれれば果たして勝てるかどうか。


「リヴ君、お願い。ネアちゃんにも死なれたら、俺はどうしたらいいのか分からなくなる」

「…………分かりましたよ」


 渋々といった感じでユーシアのお願いを受け入れたリヴは、仕込んでいた注射器を首筋に突き刺す。

 シリンダー内で揺れる透明な液体――【DOF】を注入した彼は、


「そうやって宣言するぐらいなんですから、死なずに相手の首を持ち帰ってきてくださいよ」

「当然だよ」


 ユーシアはやれやれと肩を竦めながら、


「復讐すら果たしていないのに、ここで死んだらダメでしょ」


 ☆


 純白の対物狙撃銃を抱えながら、ユーシアは伽藍ガランとしたショッピングモールを見渡す。

 スノウリリィが殺されたことで、人の気配がなくなったのだろうか。――いいや、その可能性はないだろう。

 このゲームルバークショッピングモールは、とてつもなく広い。どこぞのドームのおよそ六個分ぐらいの広さを有しているのだから、悲鳴が端から端まで届くとは考えにくい。それに人間とは意外と図太い神経をしているので、たとえ誰かが殺されたとしても「私は大丈夫」「自分は平気だ」と謎の自信を持って再び行動するので恐ろしい。


「……誰かが客を操った?」


 ユーシアはポツリと漏らす。

 その可能性が一番高く、そして確実だろう。何故なら、この世界にはそれを可能にしてしまう存在が確かに存在するからだ。

 麻薬【DOF】を過剰摂取して、お伽話とぎばなしにちなんだ異能力を手にした人間――【OD】。

 それが、このゲームルバークショッピングモールにいるのだ。

 厄介な相手が出てきたものだ、とユーシアが舌打ちをしたその時。


「よォ、ユーシア・レゾナントール」


 ゾッとするほど恐ろしい殺意を孕んだ声が、どこからともなく響く。

 その声の主は、すぐ近くの高級そうなブティックから顔を覗かせた小さな少女だ。栗色の髪の毛に鼻の頭に散った雀斑そばかすがなんとも特徴的で、純朴で大人しそうな印象がある。

 しかし、彼女の黒曜石の瞳は虚ろなものだった。さながら洞窟のような黒い瞳が、真っ直ぐにユーシアを射抜く。


「オレのイカれた茶会は気に入ってくれたかァ?」

「…………お前さんが殺したの?」

「ははッ、いいなその恨み辛みが滲んだ表情。――ああ、早く殺してやりてェな」


 小さな少女は、その見た目に似合わず粗雑な男のような口調で喋る。操られていることは確実性を帯びてきた。


「お前さんは、誰だ?」

「それをオレに問うのか?」


 虚ろな視線を投げかけてくる少女は、壊れた人形よろしく不気味に首を傾げる。少女の首の動きに合わせて、肩口で切り揃えられた栗色の髪が横に滑った。


「オレを殺したければ、探してみろよ。――もっとも、この状況を生き残れたらなァ!!」


 小さな少女が紡ぐ粗雑な怒号を皮切りに、ユーシアの耳に複数人の足音が届く。

 それは老夫婦だったり、若いカップルだったり、友達同士だったり、娘と息子がいる家族連れだったりと様々だ。

 つまり、このゲームルバークショッピングモールを利用していた客たちが、ユーシアの敵として立ち塞がってきたのだ。

 誰も彼もがユーシアに虚ろな視線を投げかけてくる。覚束ない足取りで歩み寄ってくるその姿は、さながらホラー映画に出てくるゾンビのようだ。


「ちなみに手の内を明かしておくと、オレは三月兎の【OD】だ。異能力は、自分の抱えてる感情を第三者に伝播でんぱさせること。ソイツらはオレのオマエに対する殺意で、もうイカれてんだよォ!! ははははははははッ!!」


 少女はひとしきり笑ったあと、ユーシアに向かって突撃してくる。その手にはガラスの破片が握られていて、少女の小さな手をも傷つけてしまっていた。

 凶器を手にして走り寄ってくる彼女を眺め、ユーシアはフンと鼻を鳴らした。


「恨みを買うような真似は覚えがあるけれどねぇ――」


 純白の対物狙撃銃を抱え直したユーシアは、その銃口を向かってくる少女に突きつけた。


「俺はお前さん自身に全く覚えがないんだわ。ごめんね」


 まともに謝罪をする気配はなく、ユーシアは少女めがけて問答無用で引き金を引く。

 ユーシアだけにしか見えない幻想の少女がどこからともなく下りてくると、ガラスの破片を手にして突っ込んでくる彼女を守るようにして立ち塞がる。だが、純白の対物狙撃銃から放たれた見えない悪意は、的確に幻想の少女を貫通してその後ろに控える小さな少女を射抜いた。


「――――」


 少女は膝からくずおれる。その手からガラス片が滑り落ちて、音を立てて砕け散った。

 撃たれた痕跡すら見当たらず安らかに眠る少女を飛び越え、ユーシアは駆け出す。その動きに合わせて、殺意に支配された哀れな犠牲者たちも移動する。


「いやー、本当にこれ映画でも撮れそうな予感があるなぁ」


 呑気にそう呟きながら、ユーシアはソファの陰に滑り込む。即座に対物狙撃銃の銃身をソファに乗せると、照準器を覗き込んだ。

 純白の対物狙撃銃には、銃弾が込められていない。弾薬代も馬鹿にならないのだ。こんな雑魚相手に、無駄弾を消費する訳にはいかない。

 本当に必要な相手は、ユーシアに対する殺意を第三者に伝播させて、平和そのもののショッピングモールを戦場に塗り替えてしまった馬鹿野郎だ。


「あーあ、今日はオフのつもりだったんだけどねぇ」


 ユーシアはポツリと呟く。

 戦う為の道具は持ち込んでも、戦うつもりは毛頭なかった。今日はネアの我が儘を叶える為に苺のパフェを食べにきて、今後の為にもリヴの私服を揃えるつもりだった。そりゃあ少しトラブルもあったし、殺したりもしてしまったが、そういうつもりは一切なかったのに。

 この馬鹿野郎はせっかくの休日を台無しにしただけではなく、スノウリリィを殺してネアを悲しませたのだ。それ相応の報いを与えてやらなければ気が済まない。


「――全員眠らせてやるよ。殺しはしないさ」


 悪党は悪党でも、こんな監視だらけのショッピングモールで殺戮行為は狙撃手の美学に反する。狙撃手であれば、相手に気づかれずに遠くから狙い、殺意すら感づかれずに殺すのが当たり前だ。

 ユーシアの斜線上に、彼にだけしか見えない幻想の少女が現れる。不特定多数をその小さな体で守ろうとしていて、目一杯に腕を広げて邪魔をしてくる。


「安心しなよ、この対物狙撃銃に殺す機能はついてないさ」


 引き金を引く。

 カチンと撃鉄が落ち、空っぽの薬室を叩く。

 銃口から弾丸は射出されず、しかし見えない悪意に射抜かれて斜線上にいた幻想の少女が掻き消え、その向こうで守られていた名前も知らない老婆が倒れる。

 二度、三度とユーシアは引き金を次々と引いていく。そのたびに幻想の少女が現れては掻き消えて、その向こうに守られていた名前も知らない何某が倒れていった。


「こっちは『白い死神ヴァイス・トート』って呼ばれてたんだ。狙撃を外すつもりは毛頭ないよ」


 久々の戦場に、ユーシアは舌舐めずりする。

 純白の対物狙撃銃を片手に、数々の戦果を挙げた伝説の狙撃兵。『白い死神』と恐れられた男による、たった一人だけの戦争が幕を開けようとしていた。

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