第5章【平穏の死】

 ――殺してやる。

 ――殺してやる。


 誰かの殺意は膨らんでいく。

 それはまるで、風船の如く。


 ――殺してやる。

 ――殺してやる!


 さて、誰を殺してやろうか。

 この狂気の宴の引き金となる最初の犠牲者は、


「りりぃちゃん、これかわいいねっ」

「そうですね。リヴさんにおねだりでもしてみましょうか。きっと買ってくれると思いますよ」

「うん! りっちゃん、やさしいもんね!」


 キラキラとした豊かな金髪を揺らし、大きな兎のぬいぐるみを抱きしめる彼女。

 純粋無垢を体現するかのような純白のワンピースが動くたびにひらひらと翻り、程よく発育した胸の前で兎のぬいぐるみを強く抱きしめ、ニコニコと満面の笑みさえ浮かべている。そのすぐ側では、銀髪の女性が穏やかに微笑んでいた。


 ――ああ、彼女にしよう。


 とても美しい彼女であれば、きっとその死体も映えることだろう。

 さあ、彼女の死をもって狂気の宴の開幕とさせてもらおうか。


 ☆


 ユーシアとリヴが洋服屋で服を選んでいる時、ネアとスノウリリィは女児向けの雑貨屋を訪れていた。

 大きな兎のぬいぐるみを見つけたネアは、そのふかふかとした手触りがとても気に入り、絶対に買ってもらうんだとばかりに兎のぬいぐるみを抱きしめる。さすがにスノウリリィも止めることはせずに、穏やかに微笑んでいた。


「おにーちゃんとりっちゃん、まだかなぁ」

「もうそろそろいらっしゃると思いますよ。『今からそっちに行く』とメールがありましたので」


 鞄から携帯を取り出して、スノウリリィはユーシアから届いたメールをネアに見せる。

 携帯の画面には現在地を示すように店の写真を載せて、さらに店の名前まで伝えている。一分もしないうちにユーシアが「今からそっちに行くね」と返信をして、やり取りはそこで途切れた。

 彼らのことだから、おそらくすぐにやってくるだろう。ネアは「わかった」と頷いて、メルヘンな内装の店内に戻っていく。

 店の商品はどれもこれも可愛らしく、パステルカラーが基調となっている。星やハート、雲、月などの飾りがそこかしこに存在し、小物も非常に可愛らしくて興味をそそるものばかりだった。


「あっ」


 店の奥へ進んだネアは、商品棚に飾られていたカチューシャを手に取る。

 金属で作られたそれは、頭の上にキラキラと輝く宝石で飾られたリボンがくるようになっているデザインだ。宝石は本物を使用している訳ではないが、幼児退行して五歳児程度の精神状態であるネアの瞳には本物に見えたのだ。

 ネアを追いかけてきたスノウリリィが、少女の手に握られているカチューシャを見つけて「あら」と笑う。


「ネアさんに似合うと思いますよ」

「んーん、これはりりぃちゃんの!」

「えっ」


 ネアは手に持っていたカチューシャをスノウリリィの頭に乗せた。

 細い金属製のカチューシャがスノウリリィの透き通るような銀髪に上手い具合にはまり、頭頂部に宝石で飾られたリボンが煌めく。白と青の二種類の宝石を使っているので、銀髪碧眼の彼女によく似合う。

 自分の頭に乗せられたカチューシャを確認し、目を白黒させるスノウリリィは「あの……?」と首を傾げる。


「りりぃちゃん、きれい! すてき!」

「そ、そうでしょうか? あの、こういった装飾品アクセサリーを持っていないものですから……」

「ねあがかったげる!」

「ええッ!?」


 スノウリリィの頭からカチューシャを強奪すると、兎のぬいぐるみを彼女に押しつけて、ネアはレジカウンターへダッシュする。背後からスノウリリィが「ね、ネアさん!? 気にしないでいいですから!!」と制止する声が飛んでくるが、一度決めたことに対して真っ直ぐに突き進むネアは止まらない。

 レジで待っていた店員のお姉さんにカチューシャを突きつけると、ネアは興奮した様子で言う。


「これください!」

「ありがとうございます。代金は――」

「はい!!」


 ポシェットから財布を引っ張り出したネアは、財布をひっくり返してお金を出す。レジカウンターにお札が一枚と小銭が何枚か転がった。

 驚いた様子で瞳を見開く店員のお姉さんは、しかし笑顔を絶やさずにお札を一枚だけ掻っ攫っていく。それからネアが手に握りしめる財布に小銭とカチューシャのお釣りを入れると、レシートを彼女に優しく手渡した。


「ありがとうございました」

「これ! すぐつけるの!」

「かしこまりました、少々お待ち下さい」


 店員のお姉さんはカチューシャについている値札を鋏で切り離すと、そのままカチューシャをネアに手渡してくれる。相手の状態に疑問を持たずに対応してくれるとは、素晴らしい店員である。

 手渡されたカチューシャをしっかり握りしめ、ネアはポシェットに自分の財布をしまう。それから笑顔で接客してくれた店員のお姉さんに振り返ると、


「ありがとーござました!」


 どんな人であれ、礼儀は忘れないネアである。

 無事にカチューシャを購入したネアは、兎のぬいぐるみを抱いたままぽかんと立っているスノウリリィのもとへダッシュで戻った。息を切らせて彼女の前に立つと、再びスノウリリィの頭にカチューシャを乗せる。

 さながら嵐のようなネアの行動に呆気に取られていたスノウリリィは、ようやく我に返った。


「え、あの、ネアさん……?」

「りりぃちゃん」

「は、はい」


 ネアはスノウリリィの綺麗な手を取って、にっこりと微笑んだ。


「いつも、ねあといっしょにいてくれて、ありがとう」


 いつも感謝しているのだ。

 ちょっと料理は苦手で厳しいところもあるけれど、髪を結んでくれて、絵本を読んでくれて、一緒に遊んでくれて、眠れない夜は子守唄を歌いながらそばにいてくれるスノウリリィが、ネアは大好きなのだ。

 だから、ネアはちょっとだけスノウリリィに「ありがとう」の気持ちを伝えたかった。ネアは料理なんてできないし、スノウリリィよりも大人ではないが、彼女になにかを贈ることはできる。少しずつユーシアのお手伝いをしながらお小遣いを貯めて、そして今日やっと贈り物をすることができた。


「りりぃちゃん、だいすきだよっ」


 満面の笑みで気持ちを伝えると、スノウリリィの青い瞳から涙があふれた。

 それを見たネアは慌ててしまう。――もしかして嫌だったのではないか、とか、最初から迷惑だったのではないかと悪い方向に考えてしまう。

 おろおろと狼狽うろたえるネアはポシェットからハンカチを取り出そうとすると、スノウリリィがネアを抱きしめてきた。


「りりぃちゃん……?」

「ありがとうございます、ネアさん」


 スノウリリィは、心底嬉しそうに言う。


「とても――とても、嬉しいです。私、とても嬉しいです」

「……かなしくて、なみだがでちゃったんじゃ、ないの?」

「逆ですよ、ネアさん。嬉しくても涙は出てしまうんです」


 そう言うスノウリリィは、とても綺麗な笑みを浮かべていた。ネアが好きな、彼女の綺麗な満面の笑み。


「ネアさんは、私の命を助けてくれた人でもあります。貴女の一言がなければ、今頃はどこかの誰かに殺されていたでしょうから」

「どこかのだれか? だーれ?」

「内緒です。言わない方が身の為ですので」


 ネアの頭を優しく撫でて、スノウリリィは笑う。


「だから、私も貴女に贈り物をしてもいいですか?」

「ねあに?」

「はい。私もネアさんが大好きですから、私もネアさんに贈り物がしたいのです」


 スノウリリィは胸に抱く兎のぬいぐるみを持ち直すと「これは淑女レディを待たせたユーシアさんに買ってもらいましょうね」と言う。ネアもユーシアに買ってもらうつもりだったので、しっかりと頷いた。

 彼女は商品棚の一覧を見渡すと、頭に輝くカチューシャの棚に手を伸ばす。手に取ったのはスノウリリィの頭にいただくカチューシャと同じもので、しかし黒猫のモチーフが特徴的な愛らしいデザインであった。


「これを買いましょう」

「おなじ?」

「はい、お揃いです」

「おそろい!」


 ネアは翡翠色の瞳を輝かせる。

 大好きなスノウリリィと一緒の小物が持てるとは、なんと幸せなのだろう。「わーい!」と全身で嬉しさを表現すると、背後にいた誰かに背中をぶつけてしまう。


「あ……ごめんなさい」

「…………」


 ネアは一応振り返って、ぶつかってしまった人物に謝る。

 その人は、メルヘンな店内に不釣り合いなほどチャラチャラとしていた。どこかの洋服屋の店員にいそうな爽やかな格好をしているものの、彼の目は虚ろでガラス玉のようである。

 じっとネアを見下ろす相手は、ニヤァと笑うと、


「イッツ・ア・ショウターイム」


 やたらと楽しげに言うと、その右手をネアめがけて振り被る。

 訳が分からず立ち尽くすネアだが、グイッと唐突に引っ張られて冷たい床に倒れ込んでしまった。尻や背中に鈍い痛みが走り、思わず「いたいっ」と泣きそうになってしまう。

 誰が引っ張ったのだろう、と顔を上げると、ネアの前に進み出たスノウリリィがいた。彼女が引っ張ったのだろうか。


「りりぃちゃん、いたいよ」

「…………」

「りりぃちゃん?」


 銀髪の彼女は、笑いながら振り返ってもくれない。「ごめんなさい」も「すみません」もない。

 ただ彼女は両腕を広げて、ネアを守るようにして立ち塞がっていた。

 床に座り込むネアはなにも言わないスノウリリィに疑問を抱き、彼女の淡い桃色のロングスカートを軽く引っ張る。


「りりぃちゃん、どうしたの?」

「……ネア、さん」


 パタタ、と。

 赤いなにかが、液体が、床に落ちる。ネアは落ちてきたそれを視線で追いかけると、


「無事でよかった」


 スノウリリィの胸の中心に、大振りのナイフが突き刺さっていた。

 彼女は口の端から静かに血を流し、それからまるで糸が切れた操り人形のようにその場へ倒れ込む。店にいた他の客や店員が続々と悲鳴を上げる中で、一際大きくネアの絶叫は響く。


「いやああああああああ!!」


 ――狂気の宴は、銀髪の彼女の死をもって幕を開けた。

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