第4章【忍び寄る狂人】

 たくさんの人で賑わうショッピングモールにて、不穏な言葉が落ちる。


「――


 それを言ったのは誰だったか。

 子供を連れた父親だったか、それとも手を繋ぐカップルの彼女か。


「――


 不穏な言葉は人混みに紛れる。

 はしゃいでいる小さな子供が言ったものか、それともベンチで休む老婆が言ったものか。

 果たしてその殺意は、誰のものか。


「――


 賑わうショッピングモールを壊してやろう、という意思がはっきりと分かる殺意に、人々は気づかない。

 狂人はすぐそこまで迫っているのだ。


 ☆


「はい、リヴ君。お洋服を買いに行こうねぇ」

「いーやーでーすー」


 逃げようとするリヴの腕を引っ張って引き止め、ユーシアはなんとか服屋に引きずり込もうとしている。

 別に、ユーシアだって好きでリヴの服を選んでやる訳ではないのだ。ただ彼の場合、まともな服を持っていないのできちんとした服を揃えてやろうという相棒の心遣いだ。

 その心遣いをまるっきり分かっていないらしいリヴは、懸命にユーシアの腕を振り払おうとしていた。


「しつこいですよ、シア先輩。僕に普通の服は必要ありません」

雨合羽レインコートだけじゃもったいないでしょ。そんなにカッコいいんだから、もう少しぐらいお洒落しゃれしようよぉ」

「必要ないでーす」

「必要ありまーす。お前さん、近所の子供からてるてる坊主って呼ばれてるんだからね」

「いいですよファンシーでしょ」

「あと隣の隣の隣の人には変人だって言われてるよ」

「よし分かりました、そいつは殺してやります。なのでシア先輩、放してください。僕にお洒落しゃれは必要ないんです」


 頑なに普通の服を必要としないリヴは、ぐぎぎぎぎとついにユーシアを引きずりながら服屋から遠ざかろうとした。彼にしては珍しい力業である。

 あまりにも強烈な拒否反応に、ユーシアは戸惑った。たかが普通の服を買うだけで、ここまで嫌がるものなのだろうか。


「んー? りっちゃん、おしゃれさんするのやなの?」


 ユーシアとリヴのやり取りを見ていたネアが、不思議そうに首を傾げて言う。

 さすがに幼女ロリ(体だけは成熟している)を前にして格好悪い行動はできないのか、リヴは居住まいを正して「いいえ、そんなことはありませんよ」などと平然と返す。つい数秒前まではお洒落しゃれなど必要ないと言っていたのに、幼女を前にするとこの変わり様である。さすが紳士。


「ただ、僕の趣味に合わないだけで」

「ねあ、りっちゃんがおしゃれさんしてるのみたいなぁ」


 ネアがニコニコと微笑みながらお願いしてきたものだから、世界中の幼女ロリに砂糖を吐くほど甘い紳士のリヴが絆されない訳がなかった。

 しゅば!! と素早くユーシアの腕を取ると、それまで嫌がっていた服屋めがけてズンズンと歩いていく。されるがままの状態のユーシアは、ちょっと混乱した様子で「え、え?」などと狼狽えている。


「り、リヴ君? いきなりどうした?」

「ネアちゃんのご要望にはお答えするべきだと思うんですよね。ええ、やってやりますよお洒落しゃれぐらい。別に着替えることには抵抗ありませんからね」

「待って待って待とうかリヴ君、だからって女の人の店に行こうとしないで。どうしてそっちに行っちゃうの、男の子でしょうがリヴ君は」

「服なんて着れればいいでしょう」

「その発想はおかしい!!」


 服を買おう買わないと争っていたユーシアとリヴだが、次は男性用か女性用かで争うことになりそうだった。


 ☆


 一悶着あって、ユーシアとリヴはなんとか男性用の洋服店へ行くことに軌道を修正した。


「はあ……どれも同じに見える」


 深々とため息を吐いたリヴは、ハンガーにかかった黒いシャツを眺めてから商品棚に戻していた。その行動を繰り返していくうちに、彼の気分はどんどん落ち込んでいった。

 何着かリヴに似合いそうな服を選びながら、ユーシアは苦笑する。


「まあまあ、リヴ君。ネアちゃんの為にもお洒落しゃれを頑張ってみよう?」

「必要ないのに……」


 ユーシアから押しつけられた服の山を嫌そうな顔で受け取ったリヴは、その量にうんざりした様子だった。


「多すぎじゃありません?」

「最低でも三着は買うよ。着回せるでしょ」

「うへぁ」

「そんな嫌な顔してもダメです。ほら試着してきて、サイズが合うか分からないから」


 足取りが重たいリヴの背中を押して試着室に叩き込むと、ユーシアは狭い箱の境界線をカーテンで区切った。

 仕方がないとばかりの重いため息がカーテンの向こうで聞こえてきて、やがて衣擦れの音が続く。ようやく観念したようだった。


「お兄さんは何か買わないんですか?」

「ん?」


 リヴが着替えているのを待っている間、店員がユーシアに近寄ってきて愛想のいい笑みを向けてくる。

 如何いかにもアパレル店員に向いてそうな人種だ。栗色の髪を爽やかな印象を抱くように整え、服装も動きやすさと洒落しゃれっ気を併せ持ったものに揃えている。さらに「お兄さんは細身だし、なんでも似合いそうですけど」と上手いことを言ってくる。

 しかし、残念ながら今日の目的はあくまでリヴだ。ユーシアは店員のセールストークを曖昧な笑みでかわし、


「今日は連れの洋服を見立てようと思ってね。あんまり自分の服を持とうとしない子だから」

「そうですか。何かお手伝いできることがあれば言ってくださいね」


 店員はにこやかな笑みを浮かべながら、レジの方へと戻っていった。かと思えば、すぐに他の客のもとへ音もなく忍び寄っていくと、背後から「その服、今流行りなんですよ」なんて言い始める。

 ユーシアは彼の背中を見て思った――あれは忍者の末裔ではないかと。


「シア先輩、一応着ましたけど」

「あ、サイズはどう? キツイとか緩いとかない?」

「ちょうどいい感じです。気持ち悪いぐらいに」

「最後の一言は余計だったかなぁ」


 カーテンを自ら開いて姿を見せたリヴは、やや暗めの灰色のVネックシャツを着ていた。セットで紐状のアクセサリーもついてくるものである。

 思いの外、首元の露出があるのが気になるのか、リヴはしきりに自分のうなじを触ったり、襟ぐりをパタパタと扇いでいたりしていた。服の色が暗めなので、彼自身の白い肌が強調されている。


「似合ってるよ、リヴ君」

「ええ、本当によくお似合いですよ」


 ユーシアがリヴを褒めた背後で、誰かがユーシアの言葉に同調してくる。

 あまりに気配がなくて気がつかず、ユーシアは思わず足元に置いてあったライフルケースを蹴飛ばした。同じように、リヴもあらかじめ仕込んでおいた折り畳みナイフを手のひらに握り込む。

 最初に目についたのは、胡散臭い笑顔だった。後頭部に金色の髪を撫でつけて固め、服屋にきてまでスーツ姿でいる。彼の存在を正しく認識すると、ユーシアとリヴは揃って「うわ」と言わんばかりに顔を顰めた。なんならリヴは実際に口に出していた。


「闇兎だっけ」

白兎シロウサギですね」

「ああ、ごめん。お前さんからは腹黒の臭いがするから」

「香水の匂いでしょうか、ご気分を害されたのであれば申し訳ございません」


 胡散臭い笑顔の男――白兎シロウサギは、いつものように慇懃いんぎんな態度で謝罪してくる。本当に彼は言葉から行動まで全てにおいて信用できない。

 隙あらば襲いかかろうとするリヴを背中で受け止めて、ユーシアは白兎に曖昧な笑みで対応する。


「お前さんも服を買いにきたの?」

「ええ、まあ。スーツばかりでは華がないでしょう? たまにはお洒落しゃれにでも精を出してみようかと思ったんですけれど」

「その割に、お前さんはなにも試着する気がないみたいだけど」

「ちょっと趣味が合わなかった、と言いましょうか。別の店へ移動します。お声がけしたのは、たまたまお姿を見かけたからだけですよ。ご安心ください」


 ニコニコとやはり胡散臭い笑みしか浮かべない白兎シロウサギは、ペコリと頭を下げて「では、この辺りで」とユーシアとリヴの前から立ち去る。最後まで油断ができない男だ。

 姿が見えなくなってから、ようやくユーシアは安堵の息を吐いた。あれは本当に油断しちゃいけない人種だ。


「……やっぱり忍者かな。忍者の末裔が多すぎる」

「僕はどうですか? その辺のことは」

「お前さんが一番忍者っぽい」

「ありがとうございます、暗殺者として最高の褒め言葉です」


 そしてリヴが「ところでシア先輩」と話題を切り替えた。


「僕の服装の趣味を理解してました?」

「え? いや、デザイン的にリヴ君に似合うかなって思ったんだけど」

「僕、デザインよりも機能性を重視するんですよ。動きやすさとか、仕込みやすさとか、そういうの。そういうのがあるので、大体ダボッとした感じの服装が多いんですが」


 今の自分の格好を見下ろしたリヴは、


「――この服は合格です、おめでとうございます」

「……それはよかったよ」


 次着てきますね、とリヴはカーテンを再び閉めて、試着室に戻った。

 意図せず選んだ服がまさか事態を好転させるアイテムになるとは思わず、ユーシアはひっそりと苦笑するのだった。

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