Ⅴ:リセット・シンデレラ

第1章【みんなでお出かけ】

『ご覧ください、この大きな苺! ゲームルバークで品種改良に成功した苺は粒が大きく、糖度も高いのです!』


 テレビの向こうでは、女性キャスターが大きな粒の苺をつまんで紹介している。テレビに映った苺は確かに甘くて美味しそうだった。

 その苺の魔力に囚われた少女が、ここに一人。

 テレビの前を陣取り、長い手足をぺたりと床につけ、女の子座りをした金髪の少女――ネア・ムーンリバーは「ふあああ……」と翡翠ひすい色の瞳を輝かせていた。ついでに口の端からよだれも垂れていた。もうテレビに映る苺に夢中である。


「おいしそー……」

「そうだねぇ」


 彼女の言葉に同意を示したのは、ソファにどっかりと腰かけた金髪で無精髭の男――ユーシア・レゾナントールである。彼は商売道具である純白の対物狙撃銃を整備することに忙しいようで、ネアが興味を持っている苺には目もくれていない様子だ。

 女性キャスターによる苺見せびらかし運動はまだ続き、先程紹介した苺をふんだんに使用した巨大なパフェを運んでくる。ネアが「ふあああ!!」とにわかに騒ぐが、やはりユーシアは対物狙撃銃の整備にかかりっきりだ。


『こちらは期間限定のデラックスストロベリーパルフェになります。ゲームルバークショッピングモール三階「カフェ・シエスタ」にて提供しています。期間限定ですのでお早めに!!』

「きかんげんてい……!!」


 映像が切り替わってお昼のニュースを報道し始めるが、ネアの頭の中にはすでに先程の苺パフェのことでいっぱいだ。

 すっく、と唐突に立ち上がった金髪の少女に、ユーシアが驚いたように顔を上げる。「え、ネアちゃん?」とユーシアは彼女に問いかけるが、ネアはユーシアの質問など無視して自分の部屋にドタバタと駆け込んでいった。それからドタバタと戻ってきたネアの腕の中には、彼女がいつも外出する際に使用している可愛らしいデザインのポシェットと、飴玉がぎっしりと詰め込まれたガラス瓶が抱かれていた。

 謎めいたネアの行動に、ユーシアは首を傾げる。対物狙撃銃の整備を一時的に中断して、いそいそとガラス瓶の中に詰め込まれていた飴玉をポシェットに移動させる少女に再び質問を投げかける。


「どこかに行くの?」

「ぱふぇたべるの!」


 ネアは輝かんばかりの笑みで、ユーシアの質問に応じた。

 パフェということは、先程放送されていた期間限定の苺パフェだろう。まさか一人で行く気だろうか。


「きかんげんていだからおわっちゃう……! そのまえに、ねあはたべなきゃいけないの……!!」

「凄く使命感に駆られているところ悪いんだけど、ハイ没収ね」

「あー!!」


 いそいそと飴玉を詰め込んだポシェットを回収すると、ネアは両腕を目一杯に伸ばして「かえしてー」と叫ぶ。壁が薄いのでネアの叫びは外に筒抜けだろうが、それでもユーシアは返してやらなかった。

 ネア・ムーンリバーという少女は、世界中で大流行している麻薬【DOF】――ドラッグ・オン・フェアリーテイルを過剰摂取overdoseしたことによって、精神年齢が五歳児まで後退している。見た目こそ一八歳の成熟した少女であるが、中身は社会の汚れすら理解していない純粋無垢な五歳児なのだ。

 懸命に両腕を伸ばしてポシェットを奪い返そうとするネアだが、身長的にユーシアの方へ軍配が挙がっている。自力では回収できないと判断するや、彼女は「むー!!」と膨れっ面でガラス瓶の中に残っていた飴玉に手を伸ばす。


「あ、ずるいよネアちゃん!!」

「ずるくないもん!! おにーちゃんがかえしてくれないからだもん!!」


 可愛らしい飴玉の包装紙を破いて桃色の飴玉を口の中に放り込んだネアは、ゴリゴリゴリンと飴玉をあっという間に噛み砕く。

 すると、どうだろうか。少女の体が重力に反発するように浮かび始め、ユーシアが回収したポシェットの範囲内にまで飛んでくる。比喩表現ではなく、本当に飛んでやってきたのだ。

 人ならざるこの異能力こそ【DOF】の過剰摂取――【OD】になることによってもたらされるものだ。【OD】はお伽話とぎばなしにちなんだ異能力を行使することができ、ネアの場合は空を自由に飛ぶことができるピーターパンの異能力を発現した。

 ネアはポシェットの紐を掴むと、ぷかぷかと浮かんだままユーシアと綱引きを開始する。


「かーえーしーてー!!」

「だーめーでーすー」

「やだー!! たべたいたべたいぱふぇがたべたいの!!」

「一人でお出かけなんて許しませんよ、お兄ちゃんは」


 ピシッとユーシアはネアの額にデコピンを叩き込む。「むぎゃッ」とネアが変な声で呻いたところでポシェットの紐を手放してしまい、ユーシアはその隙を突いてササッとポシェットを後ろ手に隠してしまう。

 ふよふよと浮かぶネアは、ぷーと頬を膨らませる。なんなら「むー!!」とユーシアへ拳をポコポコと叩きつけて、怒りを全身で表現している。それでもユーシアは痛がる素振りを見せずに、ポシェットを隠したままそっぽを向いた。

 すると、


「ただいまですよー」

「ただいま戻りました」


 二人分の声が玄関から響いてくる。

 ユーシアとネアによる喧嘩の現場へ新たに乱入してきたのは、真っ黒な雨合羽レインコートまとった青年と銀髪のメイドだった。珍しいことにユーシアとネアが喧嘩している光景を目の当たりにした彼らは、驚いたような表情を見せている。

 黒い雨合羽レインコートを纏った青年――リヴ・オーリオは、不思議そうに首を傾げると、


「珍しい組み合わせですね、どうかしたんですか?」

「ネアちゃんが一人でお出かけしようとしてたから止めてた」


 ユーシアがサラッと現状を報告すると、ネアは「おにーちゃんがいじわるするの!!」と全く別の抗議をしてくる。

 常日頃から幼女ロリにだけは心を許すリヴだが、この時に限っては「ダメですよ」とユーシアの味方をした。


「一人でお出かけなんて危険です。誘拐でもされてしまったら、僕は世界中の人間を殺しても足りませんよ」

「リヴ君ならできそうだけどね」

「シア先輩が望むならやりますか?」


 リヴが首をカクンと傾けて、ユーシアにお伺いを立ててくる。「うん、お願い」なんて言った暁には本当にやりかねないので、ユーシアは丁重にお断りしておく。

 男二人が味方をしてくれなくなり、ネアは最後の砦である銀髪のメイド――スノウリリィ・ハイアットに泣きついた。もちろん、常識人である彼女の同情を得る為、嘘泣きである。


「りりぃちゃん!」

「私も同意見ですよ、ネアさん。一人でのお出かけは許容できません」

「!!」


 味方をしてくれそうな常識人のスノウリリィは、やはりどこまでも常識人だった。精神年齢が五歳児であるネアの一人での外出は、さすがに彼女も許容しなかった。

 ガーン、とばかりにショックを受けたネアは、しぼんでいく風船よろしく空中から床に降り立つ。それから膝を抱えて、頬を膨らませ、翡翠ひすいの瞳に涙を溜めて完全にいじけモードへと突入した。この状態に陥ってしまうと、もう誰の言葉もしばらくは聞いてくれなくなってしまう。

 良心が痛んだのか、リヴとスノウリリィは「言いすぎましたかね」「でも一人でのお出かけは危険ですし……」などと話し合っているが、ユーシアだけは別だった。彼にはかつて、幼い妹がいた。子供の扱いには多少慣れている自覚がある。


「ネアちゃん」

「ぶー」


 膝を折ったユーシアは、ネアの膨らんだ頬を押し潰して空気を吐き出させる。ぶしゅう、と変な音と共にネアの桜色の唇から勢いよく空気が放出されると同時に、ネアはユーシアの手を振り払ってプイとそっぽを向いた。


「俺は、一人で出かけちゃいけないって言っただけだよ」


 ちら、とネアが一瞬だけユーシアに視線を投げる。

 ユーシアはネアを立たせてやると、ポンと背中を押してやった。


「スノウリリィちゃんと一緒に、たくさんおめかししておいで。午後にみんなで出かけようか」

「…………ほんと?」


 ネアが上目がちに聞いてくる。

 ユーシアは「俺は嘘吐かないよ」と言い、


「ほらほら、お洒落しゃれする時間がなくなっちゃうよ。女の子は支度に時間がかかるでしょ?」


 今まで沈んだ表情を浮かべていたネアは、一転して明るい笑みで「うん!!」と元気よく頷く。そしてスノウリリィの腕を取ると、


「いこ、りりぃちゃん!」

「よかったですね、ネアさん」


 ぐいぐいと自分の部屋へスノウリリィを連行していくネアは、心の底から嬉しそうだった。

 部屋に消えていくネアとスノウリリィを見送ったユーシアに、スススと静かにリヴが近寄る。目深まぶかに被ったフードの下でニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた彼は、やはりどこか楽しげな口調で言う。


「お優しいですね、お兄ちゃん」

「リヴ君、頬をつねられたくなければお前さんも早く着替えてきてね」


 ユーシアは財布の中身を確認しながら、


「ショッピングモールに行くんだから、今日はそのてるてる坊主の格好はなしだよ」

「えー……」


 あからさまに嫌そうな表情を見せるリヴだが、ユーシアはさすがに許さなかった。「そんな顔をしてもダメ」と一蹴すると、


「今日のメインはネアちゃんなんだから。たまにはリヴ君も雨合羽レインコート以外の格好をしようよ」

「ま、マスコット的なアレではダメですか?」

「今回ばかりは認めません」


 きっぱりと宣言するユーシアに、リヴが恨めしげな視線をくれてくる。だが、ユーシアが折れる気配がないと判断すると、彼は「仕方がないですね」とため息を吐いた。


「ネアちゃんの為ですもんね。似たような服しかありませんが、僕なりに頑張ってみます」

「うん、よろしくね」


 そんな殊勝な台詞と共に、リヴは寝床にしている浴室に引っ込んだ。ユーシアやネアやスノウリリィが普通に風呂に入る時は何もないのだが、実のところ、あの浴室ってどうなっているのだろう。

 とはいえ、リヴも今回はてるてる坊主の格好をやめてくれるようだ。てるてる坊主以外の格好と言えば暗殺の仕事で変装するぐらいしか見たことはないが、彼はまともな服を持っているのだろうか。


「いや、この前見たな。地下闘技場コロシアムに行く前は、まともな格好をしてたような気がする」


 あの時は寝起きだった為か、黒いカーディガンを着ていた。さすがに寝る時まで雨合羽レインコートは着用しないようで安心した。彼のまともな格好と言ったら、やはりああいう黒を基調とした服装になるのだろうか。

 そんなことを色々と考えていると、さっそくリヴが「シア先輩、これでいいですか?」と浴室から出てくる。


「まともな服がこれぐらいしか思いつかなくて」


 そんなことを言うリヴの格好は、彼がよく見ている女児アニメ『恋して☆えんじぇう』のメインヒロインがデカデカとプリントされたTシャツとジーンズというものだった。素材がいいだけに、服装がとんでもない方向へ舵を切った。

 一瞬だけ思考回路が停止しかけたユーシアは、ハッと我に返るとリヴの腕を掴む。


「ダメダメダメダメ!! そんな今日びオタクでもしないような格好なんて、俺は絶対に認めないからね!?」

「ええー、お洒落しゃれしろって言ったじゃないですか」

「どこが!? これのどこがお洒落しゃれ!? あーもうリヴ君、自分の服はどれぐらい持ってるの!? この前まともな格好してるの、俺はちゃんと見てるんだからね!!」


 お洒落にやる気を見せないリヴを浴室に連行し、ユーシアは彼にまともな服を選んでやるのだった。

 見た目は本当に儚い系のイケメンで何でもそつなくこなすのに、どうして私服のチョイスが壊滅的なのだろうか。

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