第10章【帰る場所】

「お疲れ様、リヴ君」

「りっちゃん、ゆーしょーおめでとー!」

「お疲れ様でした、リヴさん」


 地下闘技場コロシアムを出たところで最初にリヴを迎えてくれたのは、金色の小さな頭だった。疲れた体に受けた衝撃は軽く、見ればネアが満面の笑みでリヴに抱きついていた。

 それからユーシアとスノウリリィがやってきて、それぞれ労いの言葉をかけてくれる。ようやく元の位置に戻れたような安心感に包まれたリヴは膝から崩れ落ちてしまいそうになるが、ネアの手前でそんな愚行はできない。

 金色の小さな頭を擦り付けてくるネアを引っ付けさせたまま、リヴは「ありがとうございます」とユーシアとスノウリリィに応じた。


「シア先輩がお祝いをしてくれるということでしたので、頑張っちゃいました」

「いいよ。今日はリヴ君が一番頑張った日だからね。たまには外食とかにしようか?」

「いえ、シア先輩の手料理でお願いします」


 リヴからのリクエストがそれほど珍しいものだったのか、ユーシアは「え、本当にそんなものでいいの?」と瞳を見開いて驚いていた。

 確かに、豪勢な外食を強請ねだるのも悪くはない。だが、リヴにとっては信用できる他人の手料理ほど豪勢な食事はない。今までのリヴの食事はブロック型の携帯食料や、出来合いの惣菜ばかりだったのだから。


「なら、もう一個だけご褒美を追加しても?」

「えーと、あんまり高いものを強請られると厳しいんだけど……」

「簡単なことです。しかも無料タダです」


 自信を持って言うリヴに、ユーシアは「そんなものあるの?」と首を傾げる。

 リヴは腰に引っ付いたままのネアに「ちょっと離れてくれますか?」と紳士的にお願いして、少しの間だけ離れててもらった。少女の温かな温もりが去っていくのを感じて、少しだけ名残惜しく思う。

 目深に被っていた雨合羽レインコートのフードを取り払うと、リヴはユーシアの手を取って自分の頭に乗せた。


「……んん?」


 ユーシアは困惑した様子である。

 彼の手のひらへぐりぐりと頭を押し付けて、リヴは促した。


「さ、どうぞ」

「いや、どうぞって言われても!?」


 これほど分かりやすく行動で示したのに、ユーシアはますます困惑するばかりである。

 口で説明しなければ分からないか、とリヴは小さく肩を竦めると、


「撫でてください」

「ええ……リヴ君、もしかして【DOF】の使いすぎで、精神年齢が退行しちゃった?」

「そんな訳ありません。僕はいつでもどこでも誰でも殺すことができますよ。ただ――」


 今日ばかりは疲れたのだ。

【OD】のなり損ないや他の連中と戦って、同業者の【OD】と戦って、精神的にも肉体的にも疲れたのだ。今日ほど体を酷使する日など、諜報官時代以来なかったのだから。

 リヴはユーシアの手のひらの重みを感じながら、


「……誰かに甘えていたい気分なんです」


 自分の中にこんな感情があるだなんて驚いたが、リヴは素直に自分の思いを吐露した。

 ユーシアは果たしてなんて言うだろうか。迷惑がるか、それとも笑うか。「冗談ですよ」と引き返すのであれば、今のうちだ。

 すると、ユーシアの手が遠慮がちに動き始める。親が子供をあやすように軽く撫でてきて、それから両手で包み込むようにしてわしゃわしゃーッ!! と乱してくる。

 ユーシアらしかぬ乱暴な撫で方に、今度はリヴが驚いた。顔を上げると見慣れた相棒の顔が、やたら楽しそうな笑みを浮かべていた。


「よく頑張ったね、リヴ君」


 その言葉は、もうずっと誰からも貰ったことがない言葉だった。

 諜報官として暗躍していた時代も、それよりずっと前も、そんな温かな言葉なんて貰った記憶がなかった。

 リヴは頰を包み込むユーシアの手のひらを押さえて、自信満々に言う。


「そうでしょう?」


 ☆


 体に異変をもたらす【OD】は、自然と【DOF】の摂取量も増える。

 リヴの親指姫の異能力は、自分の体を親指サイズにまで縮めるものだ。自分の体に変化をもたらす異能力であるからこそ、すぐに使えるように【DOF】も濃度が高いものを摂取しているのだろう。

 ――そして、使いすぎると誰彼構わず見境なしに襲いかかってしまうのも。


「リヴ君の寝顔なんて初めて見たなぁ」


 ユーシアは車の運転をしながら、助手席で眠りこけるリヴを一瞥する。

 取り払ったフードを戻すこともせず、彼はあどけない寝顔を晒していた。いつも寝てしまうのはユーシアなので、リヴの寝顔なんて貴重である。

 一言で表せば、年相応だろうか。まだ二〇歳にも達していないのに大人びた雰囲気はあるものの、寝顔だけは年相応に幼い子供のようだ。

 なんて、そんなことを言おうものなら「忘れてください」という一言と共に、こめかみに自動拳銃でも押し付けられるだろうか。


「今日は色々と危ないことをしたね」


 何度も正気を失って、リヴらしくない殺し方も見て。

 危ない目にも遭ったが、それでもリヴは五体満足で帰ってきた。ハートの女王の【OD】にも打ち勝って、こうして帰ってきた。「僕、地下闘技場に残ります」なんて言われたらどうしようかと思ったけれど。


「俺、リヴ君と出会えてよかったなぁ」

「それは恐縮です」

「起きてたの?」

「独り言が多いもので。とはいえ、僕も起きたのはついさっきです」


 パッチリと瞼が開いて、黒曜石の瞳が現れる。

 眠たげに欠伸をしたリヴは、中性的な顔立ちに笑みを貼り付ける。


「僕もシア先輩と出会えてよかったです。フェンスを通過できる狙撃なんて、さすがですね」

「いやいや、俺よりも凄い狙撃手ってのはたくさんいるよ」

「『白い死神ヴァイス・トート』の二つ名は伊達じゃないってことですか」


 リヴの口から滑り落ちた、ユーシアの二つ名。

 それは、聞けばあまりにも有名だった。

 白い死神――かつて、軍隊に所属していた時に与えられた、ユーシアの称号である。純白の対物狙撃銃を引っ提げて、狙った獲物を確実に刈り取る。そうしていくうちに、いつのまにか素晴らしい戦績がついてきたのだ。

 やれと言われたからやった、それだけ。


「知ってたんだ」

「ええ、まあ。――【OD】もしくは【DOF】使用によって暴走した連中を殲滅する革命阻止軍の狙撃兵だったことも、ちゃんと知っています」


 どこからそんな情報を仕入れてくるのか知らないが、ユーシアは苦笑する他はなかった。

 どれも真実だからだ。

 かつては【OD】を殺す立場にいたのに、今では自分も革命阻止軍に狩られる側だ。革命阻止軍は今では解体されているが、もしまだ存在していたらと考えると恐ろしくて仕方がない。

 ユーシアはおそらく、かつての仲間を前にしたら狙撃銃の引き金を引けないだろう。

 だから、かつての同僚だった相手を殺すことができたリヴの精神力はすごいと思う。


「僕は【DOF】がもたらす副作用で、世界中の人間が自分の敵に見えるんです。敵だから殺さなきゃ、敵だから始末しなきゃって思うんです。それは味方でも変わらない」


 ぶかぶかな雨合羽の袖から、リヴはほっそりとした頼りなさそうな腕を伸ばす。

 それは、確かに何人もの命を奪ってきた暗殺者の手だ。頼りなさそうで細いが、それでもユーシアにとっては信頼できる腕である。


「でも、ここにいる人たちはたとえ狂ったとしても、僕は殺しません」


 そう言うと、リヴは助手席から後部座席を見やった。

 仲良く寄り添って眠りこける少女が二人――ネアとスノウリリィである。こうして見ると姉妹のようにも見えるが、事情が大変物騒なのは否めない。

 ユーシアとリヴは二人して笑うと、


「ここが僕の帰る場所なので、誰にも奪わせなんてさせませんよ」

「そうだね。お前さんなら歓迎するよ」


 悪党を乗せた車は、夜も更けようとしているゲームルバークをひた走る。

 物騒な縁で結ばれてはいるが、はた目から見ると彼らはとても仲のいい家族のようにも思えた。

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