第9章【ハートの女王は討死する】

 わあああああああ、という歓声がリヴを迎える。

 鬱陶しいばかりの歓声に雨合羽レインコートの下で顔を顰めるリヴだが、すでにリング上へやってきていた筋骨隆々とした男を認めて立ち止まる。

 はち切れんばかりの筋肉をスーツの中に押し込み、ロマンスグレーの髪を後頭部に撫で付けている。熊のような上背に顔立ちもそこそこ悪く、地下闘技場コロシアムという非合法の殺し合いの場を経営するだけの風格はあるだろうか。武器としてなにやらゴルフクラブを持っているが、もしやそれで殴りかかってくる気だろうか。

 撲殺を選択するとは、なんとも野蛮な男である。リヴはつまらなさそうにフンと鼻を鳴らして、


「アンタがこの地下闘技場の経営者ですか」

「いかにも」


 堅気ではない熊が、やたら自信満々に頷いた。


「随分と派手に暴れてくれたみたいではないか。戦士を次々と殺されると、こちらも経営が立ち行かなくなるのだが?」

「知りませんよ、そっちの事情なんて」


 リヴの対応はまさに塩であった。

【DOF】からもたらされる副作用で、リヴはこの世のあらゆる人間が敵に見える幻覚にかかった。経営者をリングに引きずり出したのも、どうせ敵だろうから殺してやろうという至極適当な理由からである。

 地下闘技場の経営状態がどうなろうが、リヴの知ったことではない。ぶかぶかな雨合羽の袖の下で握りしめた天使のモチーフが特徴のナイフを男に見せつけて、リヴは綺麗に微笑んだ。


「アンタが死んでさえくれれば、どちらでも構いません。僕の為に死んでください」

「…………これは相当扱いづらいな。戦士として雇うには向かないかもしれない」


 なにかぶつくさ言っていたが、リヴは気にせず経営者の男めがけて一直線に踏み込んだ。

 まずはその腹を引き裂いて、臓物をぶち撒けてやろう。悲鳴を聞きながら皮を剥いでやろう。眼球を取り出して、痛みに悶える様を眺めながらじっくり殺してやろう。

 殺しの手順を頭に思い浮かべるリヴだが、目の前に突き出されたゴルフクラブに思考が引き戻される。身を捻ってゴルフクラブを回避すると、経営者の男は「ほう」と感心したような口振りで言う。


「暴走状態に陥りながらも、あれを回避するのか。さすがの身のこなしだな」

「…………それはどうも」


 嫌味の一つでも言ってやろうと思ったのだが、リヴの背筋に冷たいものが伝い落ちていき、あのゴルフクラブはただのゴルフクラブではないと判断する。

 相対する経営者の男は、余裕の表情を浮かべている。どこからでもかかってこいとばかりの態度に、リヴは質問を投げた。


「アンタの名前を聞きそびれましたね。遺言代わりに覚えていてあげますので、教えてくれますか?」

「ロード・ハートだ。――もしかして、ああ、察したか?」


 鋭い瞳をすがめて、経営者の男――ロード・ハートは言う。


「私が【OD】であることを」


 その一言に、リヴは「やっぱり」と舌打ちをした。

 どういう異能力を発現させたか不明だが、この雰囲気は間違いなく【OD】だ。岸部エレンと対峙した感覚と似ている。

 面倒な相手が最後にやってきたものである。異能力を知っていた岸部きしべエレンを相手にするより、目の前のロード・ハートを殺す方が面倒臭い。


(とりあえず、牽制けんせいとしてナイフを投げますか。シア先輩から自動拳銃を貰っとけばよかった)


 自分の武器のラインナップに少しだけ後悔しながら、リヴは天使のモチーフが特徴のナイフを握っていない方の手で、雨合羽から別のナイフを一本だけ取り出す。

 スポットライトに強く照らされたナイフはギラリと鈍色に輝き、リヴは躊躇いもなくロード・ハートの眉間を狙って投げつけた。ユーシアほどの実力を持っている訳ではないが、リヴも投げナイフであれば狙った場所に刺せる。

 だが、【OD】を前にただの投げナイフでは対抗できるかと問われれば、答えは断然『否』だ。


「収束」


 ナイフの軌道が変わる。

 まるで磁石に引き寄せられたかのように、ナイフの切っ先がロード・ハートが構えるゴルフクラブに向かっていく。

 ニヤリと不敵に笑ったロード・ハートから、リヴは距離を取った。ここにいては危険だ、と頭の中で警鐘けいしょうが鳴る。

 しかし、


「発射」


 ロード・ハートがナイフめがけてゴルフクラブをぶち当てた。

 ゴッキィン!! と金属と金属が擦れる嫌な音をリングに響かせると、ナイフが真っ直ぐにリヴめがけて飛んでくる。慌ててリングの床に転がって回避すると、ナイフはリングを囲うフェンスにぶち当たって耳障りな音を奏でた。

 どうやら、あれがロード・ハートの異能力のようだ。収束、発射。彼の動作だけで、なんの異能力なのか予想はつけられる。


「アンタ、ハートの女王ですか」

「そうだとも。名前からして分かりやすかろう?」


 ロード・ハートはゴルフクラブを素振りしながら、やたら楽しそうな声で言う。

 確かにまあ、分かりやすいと言えば分かりやすい。ロード・ハート――ハートの女王。傲岸不遜で迷ってしまった夢見る少女を処刑しようとした、あの不可思議な世界を統治する女王陛下。

 なるほど、ゴルフクラブを操るのはクリケットが関係してくるのか。物語でも彼女は巧みにフラミンゴに操り、ハリネズミの球をトランプ兵のゴールに叩き込んでいたか。あれと同じような感覚なのだろうか。


(――飛び道具は効かない)


 リヴは舌打ちをする。

 もちろん、あの異能力はおそらく自分が認識したものしか飛ばすことはできないだろうが、認識さえできればリヴに全てが飛んでくる。この上なく面倒臭い。

 やはりナイフで喉笛を引き裂くしかなさそうだ。この地下闘技場は、どこまでリヴに自由な殺しをさせてくれないのだろうか。


「――――?」


 不意に、歓声に紛れて聞き覚えのある音を聞いた。

 弾かれたように顔を上げたリヴは、次にカァン!! という音を認識する。リングに立つロード・ハートの持つゴルフクラブが、ぶるぶると震えていた。その下には、真鍮しんちゅう製の薬莢やっきょうが落ちている。


「……シア先輩……!!」


 リヴは安堵した。

 ここにきて、ようやく相棒が戻ってきてくれた。実家に帰ってきたかのような安心感に包まれたリヴは、自然な笑みを漏らした。

 一方でロード・ハートは、狙撃が飛んできた背後をジロリと睨みつけた。リングからでは逆光によって観客席は見えず、リヴを支援する狙撃手の顔を捉えることができない。


「……所詮は狙撃手、この室内では同じところに留まるしかできないだろう」

「果たして、そうでしょうか?」


 右手に天使のモチーフが特徴の借り受けたナイフを逆手に握り、左手で投げナイフをもう一本装備する。

 ナイフを二本も装備した邪悪なてるてる坊主は、黒曜石の瞳に殺意をみなぎらせて言う。


「僕の相棒は凄腕の狙撃手ですよ。アンタ如きじゃ、捉えられない」

「言ってくれる……!!」


 ロード・ハートはリヴの安い挑発を確かに受け止め、ゴルフクラブを振り上げた。


「収束!!」


 すると、高いフェンスを上手く通過して飛んできた狙撃弾が、クンと引っ張られて軌道を変えてゴルフクラブめがけて飛んでくる。

 弾丸が飛んできた方向は先程と同じ――やはりその場から動くことができないか。

 飛ばすボールを得ることができれば、あとはゴルフクラブを叩きつければいいだけだ。ロード・ハートはゴルフクラブを叩きつけようとしたが、


「ああ、ほら」


 リヴが強く、強く踏み込んでくる。

 ロード・ハートの間合いに飛び込んだリヴは、左手のナイフを振りかざした。


「やっぱりアンタでは無理ですよ、女王陛下サマ」


 ナイフを振り抜く。

 鈍色のナイフはロード・ハートのスーツを引き裂いただけだったが、彼が振るおうとしたゴルフクラブに横合いから狙撃弾がぶち当たる。ゴィン!! とゴルフクラブは軌道を逸らされて、弾丸を発射することができなかった。


「違う方向から……!?」

「それほど驚愕することですか? 狙撃手なら狙撃ポイントを変えることなんて、基本中の基本ですよ」


 左手のナイフをくるりと逆手に持ち替えると、リヴはロード・ハートの太腿にナイフを突き刺した。

 飛び散る鮮血。黒い雨合羽にロード・ハートが流した返り血が付着し、滴となってリングに落ちる。


「づ、ゥ」


 ロード・ハートの痛みに悶える表情が、リヴの殺意を駆り立てる。

 もっとだ、もっと苦しめろ。もっともっともっともっと――自分の中に潜む【DOF】の本能が囁き、リヴはそうだそうだと受け入れる。

 さあ、殺そう。心のゆくまで殺してしまおう。


「ヒヒッ、でーすよねェ」


 リヴは笑うと、左のナイフを投げ捨てた。そして代わりに雨合羽の袖から取り出したものは、透明な液体が揺れる注射器だった。

 注射器を首筋に突き刺すと、リヴはシリンダーの中身を投入する。三倍の濃度にした【DOF】が体内に入ってきて、痛みと同時に得られた快感にリヴは「これだァ……!!」と歓喜する。


「それでは女王陛下サマ――」


 リヴは恭しくお辞儀をすると同時に、フッと姿を掻き消す。今まで見ていたものは幻影であるとばかりに。

【OD】の異能力を発動したリヴを探して、ロード・ハートは視線を巡らせる。だが、すでに時は遅い。


「さようなら、でーす」


 心底楽しそうにリヴは呟き、天使のモチーフが特徴のメルヘンなナイフをロード・ハートの首に突き立てた。

 驚くのもつかの間のこと、一気にその喉笛を引き裂いてやる。ぶしゅり、と鮮血が勢いよく飛び散って、白いリングを容赦なく汚していく。

 ロード・ハートの死体を乱暴に蹴飛ばして、リヴはふと観客席を見やった。

 経営者を殺したことで歓声が上がるかと思いきや、観客たちは水を打ったように静まり返っている。彼らも「まさかここまでやるとは」と思っていなかったのだろう。


「まあ、いいですね」


 ハートの女王は殺すことができたし、リヴの気分も今まで以上にすっきりと晴れやかなものだ。

 ネアから借りたナイフの刃を死んだロード・ハートの衣服できちんと拭ってやり、リヴはリングから軽い足取りで立ち去った。


「人殺し」


 誰かが言った。


「人殺しだ」

「殺人鬼め」

「地獄に落ちろ」


 先程までリヴに歓声を浴びせていた観客たちだが、リヴは特になにも感じなかった。手のひらを返されようがなんだろうが、全員等しくリヴの敵であるからだ。

 雑魚がなにを言ったところでリヴの心にまで届かない。

 それどころか、リヴは罵詈雑言で満たされたリングを一瞥して呟く。


「人殺しをエンターテイメントとして楽しんでいたアンタらは、じゃあ一体なんだって話ですよね」


 その正論が聞こえた観客は、いない。

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