第8章【ハートの女王の御前】
今日の
対戦者を容赦なく殺していき、降参した相手は見逃した。対戦者が殺されると
高みの見物を決め込んでいた地下闘技場の経営者、ロード・ハートはやれやれと肩を竦めた。今しがた決勝戦が終わったが、やはり決勝戦で出した対戦者は殺されてしまった。せっかく数少ない【OD】だったのに、殺されてしまうとは大きな損害である。
「それにしても、外部から狙撃か……面白いな」
ロード・ハートはニヤリと笑う。
あの黒い雨合羽の青年は、決勝戦で【OD】を前に圧倒的有利な立場にいた。すぐに外傷を回復してしまう【OD】だった彼を、軽くいなしていた。
さらに、彼の場合は外部からの協力もあるようだった。青年の対戦者であった
【OD】だからこそほしい人材であるし、なによりここまで無傷で勝ち上がってきた。地下闘技場の華にもなるだろう。
「オーナー、少々よろしいでしょうか?」
「……ああ、なんだ。君かね」
ロード・ハートは胡乱げに背後を振り返る。
VIP専用の観覧席までやってきたのは、金髪を後頭部に撫で付けた黒いスーツの男だった。曖昧な笑みを浮かべた彼は薬瓶から錠剤を大量に取り出してボリシャリと食らいつきながら、
「挑戦者がオーナーと呼べと」
「……ほう?」
ロード・ハートは目を眇める。
あの挑戦者は、どうやら自分と戦うことを求めているようだった。
「それは確かかね?」
「殺し足りないから経営者を出せと仰っているようですが」
「ふぅむ……それはなかなか、面白いことになった」
ロード・ハートは金髪の男へ「いいだろう」と応じる。
「血気盛んな若者だ。私が直々に出迎え、そして地下闘技場の戦士としてスカウトするのも悪くないだろう」
「彼が地下闘技場の戦士になれば、盛り上がりそうですね。ですが、相手は殺し合いをお望みですよ」
「構わんよ。あんな若造に、負ける気はしないさ」
ゆったりと寛げる安楽椅子から立ち上がったロード・ハートは、自分との戦いを求める黒いてるてる坊主が待つ戦場へ向かうのだった。
☆
「リヴ君、誰に喧嘩を売っちゃったか理解できる?」
「地下闘技場の経営者ですね。きちんと理解できていますよ」
ミネラルウォーターのボトルを傾けながら、リヴは珍しく怒った様子のユーシアへ言う。
審判が屁っ放り腰になりながら経営者を呼びにいき、その隙を見てリヴは控え室に引っ込んだのだ。そこでユーシアが待ち構えていて、先程の台詞に繋がる。滅多なことでは怒らないユーシアが、ここまで憤ることにリヴは驚きが隠せなかったが。
不機嫌な様子で唇を尖らせていたユーシアは、仕方がなさそうに持ち込んだライフルケースから数本のナイフを取り出した。リヴが使っているナイフだが、一本だけ天使のモチーフが施されたメルヘンなナイフまで混ざっていた。
「ネアちゃんが貸してあげるだってさ。それで『けいえーしゃさんにも、かってね』だってさ」
「シア先輩、ロリ声めっちゃ萌えませんね」
「突っ込むところはそこじゃない」
ユーシアから手渡されたナイフを受け取ったリヴは、ようやく自分の立場を取り戻したような気がした。雨合羽の中にナイフを仕込み、それから天使のモチーフが印象的なナイフを逆手に握りしめる。
【OD】の衝動に負けて挑んでしまった想定外の試合だが、得物が戻れば勝てる気がする。リヴは「ありがとうございます」とユーシアへ素直に礼を述べた。
「俺もできる限り背後から支援するけど、気を付けてね。死んだら元も子もないんだから」
「アンタの復讐が完遂する瞬間を見届けるまで、僕は絶対に死にませんよ」
手の中で天使のモチーフが特徴的なナイフを弄ぶリヴは、雨合羽のフードを目深に被った。ユーシアから貰った錠剤の【DOF】を口の中に三錠ほど放り入れ、ラムネ菓子よろしくボリシャリと食らう。
こんなところで死ぬ訳にはいかないのだ。相棒のユーシアの悲願が達成するその瞬間を見届けてやるまで、リヴは絶対に死ねない。
ユーシアは「自信があるようだからいいけどね」と言うと、戦いに出ようとするリヴへ注射器を一本だけ渡した。リヴが普段から使っている形式の【DOF】であり、先程三本も使って麻薬の衝動に押し負けた劇物だ。
「最後の一本だけね。あんまり使うと、さっきみたいにおかしくなっちゃうから」
「ありがとうございます」
注射器を受け取ったリヴに、ユーシアが「知らないって思われてるかもしれないけど」と言葉を続ける。
「リヴ君が使ってる【DOF】って三倍の濃度があるんでしょ? わざわざそんな劇物を、どうして使ってるの?」
「……そうでもしなきゃ、戦えないでしょう?」
注射器のシリンダー内で揺れる液状の【DOF】を掲げて、リヴは平然と言ってのけた。
「僕はアンタと違って、幻覚の規模が広すぎますからね」
「……難儀なものだよね、本当に。俺たちって」
「ええ、本当に。そこだけは認めますよ」
注射器を雨合羽の中にしまい込んだリヴは、ユーシアに綺麗な笑みを見せた。私情で付き合わせてしまった相棒に対して、最大限の感謝を込めてこう告げる。
「それではシア先輩、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい。帰ってきたらお祝いだね」
「期待していますね」
相棒に背中を押されて、リヴは最後の戦いに挑む。
☆
相棒の真っ黒てるてる坊主を見送り、ユーシアはやれやれと肩を竦めた。とりあえずリヴの装備を持っておいて正解だったようだ。
地下闘技場では思うように戦えていなかったようだし、経営者に喧嘩を売ってしまったのだから武器ぐらいは持っていてもいいだろう。どうせこの地下闘技場に、武器の持ち込み禁止という規則を馬鹿正直に守るようなことはないのだから。
ネアから託された天使のモチーフがついたメルヘンなナイフも渡したし、あとは観客席に戻って狙撃の準備をすればいいだろう。
「……本当に、難儀なものだよねぇ」
ユーシアは感慨深げに呟く。
リヴ・オーリオという青年の殺意が異常に強いことは知っていた。それが【DOF】からもたらされる衝動であることも、ユーシアは理解していた。
彼が注射器の【DOF】を使っているのは、痛みが伴った方がいいというユーシアにはよく分からない理由からだった。だがその中身である【DOF】が三倍の濃度を有していると知ったのは、つい最近のことだ。だから使い続けると、彼は衝動に負けて誰彼構わず殺してしまう傾向にあるらしい。
おそらく、そうでもしなければリヴは【OD】の異能力を使えないのだ。ユーシアとは違い、リヴが受け入れた幻影は世界中が自分の敵であるという広義的なものだ。幻影の規模によって【DOF】を使う量も増えるのだろうか。
「よく分からないまま使っていたからなぁ」
くすんだ金髪を掻いたユーシアは、観客席に戻ろうと身を翻した。
「ここは」
不意に背後から聞こえてきた穏やかな声に、ユーシアは足を止める。
振り返った先にいたのは、金髪を後頭部に撫で付けて曖昧な笑みを浮かべる優男だった。黒いスーツに身を包んでいるところを見ると、この地下闘技場の関係者なのだろうか。
「関係者以外立ち入り禁止ですが」
「……あー、すみませんね。挑戦者が俺の関係者なもので」
「なんと、それは大変失礼致しました」
慇懃な口調で応じる優男は、自然な動作で懐から薬瓶を取り出す。そして手のひらに錠剤をザラザラと大量に取り出すと、それらをまとめて口の中に放り込んだ。
ラムネ菓子よろしくボリシャリと錠剤を噛み砕くその優男は、申し訳なさそうな様子を欠片も見せずに「これはお見苦しいところをお見せしました」と謝罪してくる。
「少々、薬が手放せない性質でして」
「……もしかして、それは【DOF】かい?」
「おや、ご存知でいらっしゃいましたか」
曖昧な笑みを浮かべる優男が、驚いたような風に言う。
ご存知もなにも、ユーシアも同じような錠剤の【DOF】を使っている。あそこまで大量に使うことはまずないが、それでも察することなら可能だ。
間違いない、この男も【OD】だ。
「お前さんも【OD】か?」
「お恥ずかしながら」
「なんの異能力を発現させたか、聞いてもいいかな?」
「それは企業秘密です」
「残念」
「もしかして、貴方も【OD】でいらっしゃいますか?」
「そうじゃなかったら【DOF】も【OD】も知らないさ」
「おやおや、ここでまさか同じような人物に出会えるとは……なんという偶然でしょうね」
慇懃な口調で対応してくる男から、ユーシアは警戒心を解かなかった。
この男はどこか怪しい予感がする。引きずってきたライフルケースを手繰り寄せて、ユーシアは男の一挙手一投足を見逃すまいと観察する。
「夢を……」
「夢?」
「夢を見たいのですよ、私は」
薬瓶からスナック菓子感覚で一粒ずつ錠剤を取り出して口に運ぶ男は、唐突にそんなことを言った。
「【DOF】は、身体に影響が出る異能力を獲得しますと、その摂取量が自然と増えます。幻影の規模も広いものになります。――先程の試合を観戦させていただき、リヴ・オーリオ選手もおそらくその類でしょう」
「……リヴ君の試合を観戦しただけで分かったんだ。凄いな」
「あれだけ分かりやすければ当然の判断です。ですから彼の、濃度の高い【DOF】を使う判断は間違っていませんよ。そうでもしなければ、即座に異能力を行使することはできませんから」
それでは、と銀髪の優男は頭を下げて、ユーシアの前から立ち去ろうとする。
ユーシアは優男の遠ざかっていく背中を観察し、それからライフルケースから純白の対物狙撃銃を取り出した。照準器を覗き込むと、優男の背中に金色の髪を持つ少女がへばりついている。
「――――――――」
ユーシアは引き金を引いた。
薬室に弾丸を込めていないので、カチンという間抜けな音しか響かない。それでもよかった。ユーシアにとって、射線上にあの優男がいれば。
しかし、
「危ないですね。背後からいきなり撃たないでくださいよ」
男は跳躍して天井に飛びつき、ユーシアの不可視の銃弾を回避したのだ。ユーシアにしか見えない幻影の少女が、いきなり消えた男を探して戸惑っている。
驚きで瞳を見開くユーシアは、引き攣った笑みを浮かべる。
「驚いた。お前さん、とんでもない運動神経だね」
「職業柄、身体能力には自信があります」
天井に飛びついた男は軽やかに床へ着地すると、
「とても静かな狙撃ですね。滑らかな挙動で、とても素晴らしいです。ぜひお名前をお伺いしたいのですが」
「ユーシア・レゾナントールだ。殺しの依頼なら引き受けてあげるよ」
男は「ユーシアさんですね」と頷き、
「私は
「……俺は二度と会いたくないけどね」
「それは寂しいですね。では、私はこれで失礼いたします」
優男はくるりと踵を返して、ゆったりとした足取りで去っていった。
もう一度狙うこともできたが、ユーシアは対物狙撃銃をライフルケースに戻す。もうあの男には会いたくないと願いながら。
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