第7章【因縁の相手】

「あらら、あっさりと決勝に行っちゃったね」


 ユーシアは客席で手を叩いて笑い、ネアは「すごーい!」と歓声を上げている。スノウリリィは凄惨な光景に目も当てられないようなのか、先程から顔を覆ってばかりだ。

 さて、決勝に駒を進めてしまったのであれば、ついにユーシアの出番である。無理を言って持ち込んだ純白の対物狙撃銃をケースから取り出して、いつでも撃てる準備をする。


「ユーシアさん、何をする気ですか?」

「リヴ君から頼まれてるんだよ。決勝で必ず相手を殺せるように、補佐をしてほしいってね」


 先程、四戦目の少女が狙撃手の補佐を受けて戦っていたが、あれぐらいの芸当ならユーシアでもできる。フェンスを通過? 余裕余裕。

 そもそも、ユーシアの場合は弾丸を使ったところで相手に傷一つ負わせることなどできやしないのだから、今回は無駄なので弾丸は使わない。照準器スコープを覗き込み、倍率を確認しながらリヴの対戦相手が試合会場にやってくる瞬間を待った。

 対戦相手を殺すということにスノウリリィは嫌そうな顔をしたが、「これはリヴ君の戦いだから、彼の判断に従うよ」と言うと彼女は押し黙った。狙撃に頼るなどずるいとは思っているのだろうが、他ならぬリヴの頼みなので黙っていることにしたようだ。

 すると、観客たちがにわかに騒ぎ始める。高いフェンスの向こう側に広がる試合会場に、決勝の対戦相手がやってきた。


「さて。リヴ君の因縁の相手はあれか」


 ユーシアは純白の対物狙撃銃を構えて、口の端を吊り上げる。

 さあ、決勝戦の幕開けだ。


 ☆


 艶のない黒い髪を適当に伸ばして、安物のヘアゴムで一括りにしている。顔立ちは幼く、体格は細身を通り越して華奢。少女めいた顔立ちは儚げな印象を相手に与えるものの、喉仏が出ているので男であることが判断できる。

 やはり、記憶の通りだ。人違いでもなんでもなく、リヴの同僚が決勝戦の対戦相手だった。招待状で見たあの名前は、勘違いでもなんでもなかったのだ。

 リヴはあえて黒い雨合羽レインコートのフードを脱ぐと、真正面から対戦相手を睨みつける。相手もまさかリヴと戦うことになるとは思ってもいなかったようで、瞳を見開いて固まっていた。


「……久しぶりですね、岸部きしべエレンさん」

「……驚いた。リヴ・オーリオって聞いたから、誰かと思った」


 岸部エレンと呼ばれた対戦相手は、苦笑してリヴに言う。


「随分と印象が違うのだけれど、イメチェンでもしたの?」

「ええ、まあ。つるむ人が変わったので、自然と変わりましたね」


 心底面倒臭そうに応じながら、リヴはエレンを見やった。


「アンタは変わってない様子ですが。一体どうして組織を抜けたんですか? まだ辞表を出していない様子でしたが」

「……あの組織には、もういられないよ」


 エレンは顔を俯けて、絞り出すような声で言った。

 リヴもなんとなくだが、理解できる気がする。あの組織は辛くて苦しいだけで、在籍していたところで自分には何の役得もない。リヴは苦しいだけの組織に嫌気が差して、上司の顔面に辞表を叩きつけてやったのだが、この目の前の同僚は辞表さえも出さずに雲隠れしたのだ。

 在籍していたのであれば、最後まで義理を果たすのが人間だろう。辞意を表明しないで雲隠れすれば、あの組織がどう動くかなんて火を見るより明らかだ。


「面倒なので、アンタは殺します」

「組織から言われているのかい?」

「僕はすでに組織を抜けている身なので、これは個人的な理由です。アンタを生かしておいたら、僕自身にどんな不利益を被ることになるか分からないので」


 そう言うと、リヴは黒い雨合羽の袖から注射器を取り出した。それは、一五分の休憩の際にリヴの相棒が届けてくれたものだった。

 針を首筋に突き刺して、シリンダーの中身を一気に注入する。中身がなくなった注射器は捨てることなく、手のひらに握り込んで武器とする。

 エレンはやれやれと肩を竦めると、


「ここは武器の持ち込みを禁じられているはずだけど」

「関係ありませんよ。今まで外部から狙撃されたり、薬物漬けになった奴と対戦したりしたんですから。それに、アンタは存在自体が反則の塊じゃないですか」


 リヴは【OD】の異能力を使って、姿を掻き消す。

 幽霊のように消えたリヴの姿を探すエレンだが、その態度に慌てふためくような様子はない。同僚だからこそ、なんの異能力を獲得したのか理解しているのだ。

 リヴもまた、エレンの能力を知っていた。彼もまた【OD】であり、厄介な相手であることは知っている。


「だから」


 リヴはエレンの背後に現れ、握り込んだ注射器の針を彼の頸動脈に突き立てようとした。

 しかし、振り向きざまにエレンが回し蹴りを放ってきて、握り込んだ注射器がリヴの手から離れてしまう。蹴飛ばされた手の甲の痛みに舌打ちをし、リヴはエレンから飛び退って距離を取る。

 やはり、同じ組織に身を置いていたので侮れない。その身体能力の高さは折り紙付きだ。武器を持ち込まなかったことを今更ながら後悔するリヴをよそに、エレンは右ストレートをリヴの顔面めがけて放ってくる。


「こちらも全力でズルさせてもらいますので」

「…………?」


 エレンの右ストレートをさばいた瞬間、彼の頭が傾ぐ。

 音もなかった。きっと銃弾を使っていないのだろう。銃弾を使わずに【OD】の能力を使うことができるとは、さすが相棒である。


「眠いでしょう? 僕の相棒は狙撃した相手を眠らせる能力を持ちますので、アンタでも耐えられないと思いますが」

「……はッ、そんなものがあっても無駄さ」


 眠気を耐えるエレンは、深く息を吸った。それから、


「――――♪」


 朗々とした歌声を響かせる。

 舌打ちをしたリヴはエレンの顎に掌底を叩き込もうとしたが、寸前で手首を掴まれて阻止されてしまう。不敵に笑ったエレンの顔が眼前いっぱいに広がり、リヴの背中に冷や汗が伝い落ちていく。

 エレンは背筋を大きく反らすと、思い切り頭を振り下ろしてきた。リヴの額に自分の額をぶつけてきて、リヴの目の前に星が散る。鈍い痛みが頭蓋骨を通して脳味噌まで伝わってきて、痛さのあまり悶絶する。


「接近してくるのが悪いのさ」

「このッ……!!」


 リヴはエレンの鳩尾を蹴って吹き飛ばし、頭突きを受けた額をさする。普通、至近距離にやってきた相手を頭突きでどうにかするものなのだろうか。

 こちらだって簡単に殺される訳にはいかないのだ。完全に私情であるが、リヴにはエレンを殺さなければならない理由がある。


「やっぱり一筋縄ではいかないようですね、ラプンツェル」

「そう呼んでくれるのは、懐かしいな」


 リヴが【OD】となって親指姫の異能力を獲得したのと同じように、エレンもまた【OD】として覚醒した数少ない諜報官だった。

 その異能力はラプンツェル――歌うことによって自分の怪我や状態異常を治すことができるのだ。その為、エレンは進んで前線で傷つきながら戦うことを良しとしていた。

 味方であれば心強いが、敵になるとこの上なく面倒くさい。即死の攻撃を与えない限りは、彼は死なない。注射器だけでは即死を与えるに至らず、考えられる方法は頸椎けいついを叩き折ること。


(――いや、もうそれしかないですね)


 ナイフの一本でもあれば、手段はまだあったはずだ。その手段を塞いだのは自分である。

 相対するエレンの頭が再び揺れ、眠気を掻き消すように歌い始める。相棒は絶えず支援してくれているようだが、この相手ではむしろ一生目覚めないぐらいの眠気を与えてやらないと無駄かもしれない。――いや、おそらく昏睡状態の眠りにつくほどの力を込めているだろうが、全てラプンツェルの異能力で掻き消されてしまうのだ。

 なりふり構っていられるか。ここで目の前の敵を殺すのだ!


「あれ、脱いじゃうのかい? 君はあまり露出するタイプではないと思ったんだけれど」

「準備運動はもう終わりです。本気で殺させてもらいます」

「そう言って、やっぱり君は接近してくるんだろう? 同じような戦い方が通用すると思っているのかい?」

「思いますよ。今の僕には優秀な後方支援がいますので。――それに」


 雨合羽を脱ぎ捨てたリヴは、目隠しの代わりとしてエレンに雨合羽を投げつける。「こういう使い方をするのか!!」とどこか感心するような声を上げるエレンの隙をついて、リヴは二本目の注射器を首に突き刺した。

 シリンダーの中身を注入し、リヴは姿を掻き消す。エレンは楽しそうに「どこに行ったんだい?」とリヴの行方を探すが、すでに彼の見える範囲からリヴは消えていた。


「――死ねよ」


 二本目の注射器を使った時点で、リヴの思考回路は【DOF】による狂気に染まりつつあった。

 目の前の野郎は殺す。フェンスの向こうにいる奴は殺す。なにもかも殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!!


「死ね死ね死ね敵は全部死んじまえ殺してやるからよォ!!」


 狂気に染まったリヴは、いつもの慇懃いんぎんとした口調を捨て去ってエレンへ飛びかかる。

 上から。

 フェンスによじ登ったリヴは、上空からエレンへ襲いかかっていた。振り向いたエレンの顔面に、先程のお返しだとばかりに頭突きを食らわせる。


「い、づぅ……!!」

「どうしたんですかほら早くきてくださいよ殺してやる殺してやる殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!! はははははははは!!」


 握り込んだままにしていた注射器を、エレンの左眼球に突っ込む。鮮血が舞い、エレンが痛そうに悲鳴を上げる。

 距離を取って歌おうとしたが、逃がさない。逃す訳がない。リヴは引き裂くように笑うと、エレンに肉薄する。驚きで残った右目を見開くエレンの首に抱きつくと、両腕に力を込めて首を捻り切ろうとする。


「させ、るか……!! ――――♪」

「耳障りだな」


 リヴはもう一度、エレンの鼻っ面に頭突きを叩き込む。鼻が曲がっていた。ザマアミロ。

 頭突きのおかげで歌を中断させられたエレンへ、さらにリヴの支援が飛ぶ。急激に襲いかかってくる眠気にエレンは舌打ちをするが、その隙をリヴが見逃すはずがなかった。ニィと裂けるように笑うと、三本目の注射器を取り出す。


「それで中毒死でもさせる気か……!?」

「中毒死ィ? そんな生易しい殺され方がお望みですかァ? ヒハ、ひひひははははははッ!! そんなお優しい死に方なんか、アンタにできる訳ねーでしょーがよォ!!」


 狂気に染まるリヴは、首筋に三本目の注射器を刺した。中身を注入すると、フッと姿を掻き消した。

 エレンは急いでリヴの姿を探すが、彼は幽霊のように後ろからやってきた。するりと首に腕を絡めてくると、愛おしそうに顔を覗き込んできて囁く。


「アンタは首を折られて死ぬのがお似合いですよ。本当は首を切り取ってやりたかったんですけど、ナイフがないので」


 ゴキン、と。

 リヴの腕の中で、硬い何かが折れる。首が見事に折れ曲がったエレンの死体を放り捨てると、リヴは地面に落ちていた黒い雨合羽を羽織る。

 まだ余韻は抜けない。

 わあわあと騒がしい歓声が鬱陶しい。まとめて全員殺してやりたい。


『挑戦者のリヴ・オーリオ選手、まさかの全勝です!! さあ、優勝者インタビューをしてみましょう。うちでも優秀な戦士の岸部エレンを殺しちゃった気分は如何――』


 不用意に近づいてきた山高帽子やまたかぼうしの司会者の首根っこを押さえつけ、リヴは要求した。


「まだ殺し足りません。ここの経営者を出してください」

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